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パパ、二度寝する
◇
廊下は走るなと言われていたけれども、つい足が速くなってしまう。小走りと早歩きの中間くらいで父の部屋へと向かい、遣戸の前で立ち止まる。
(大丈夫、だろうか)
ぐるぐると首を回してみるが、背中は見えない。薄い黄色の服の裾から先が出ていた尻尾を引っ込める。
結局、角も尻尾も、頑張っても消せるようにはならなかった。背中にも鱗が残ってしまったままだ。
だから、やっぱり無理なのかと思っていた。
けれども、それを不憫に思ったのか、村で一番大きな家のババ様が成人の儀に呼んでくれたのだ。服がない、と言ったらお下がりだが晴れ着まで貸してくれた。
刺繍がたっぷりされた厚手の服なんて、生まれて初めてだった。きらびやかな服が嬉しくて、父にも見てほしくなって――ババ様に頼んで、少しだけ返すのを待ってもらったのだ。
(もしかしたら、あるいは)
中途半端な出来だけれども、ここまで頑張って変化の術を覚えたことを褒めてくれるのではないか。
せめて、今日くらいは、成人になっておめでとうと言ってくれるのではないだろうか。
かすかな期待を胸に、戸に手をかける。
「……父上」
声をかけても、答えはない。いつものことだ。
そっと扉を開ける。部屋の中には緩やかな午後の光が差し、新緑の匂いが満ちていた。
隅に置かれた文机に、珍しく竜の姿に戻った父がうつぶせになっている。
「父上、見てください、緑竜の方様に晴れ着を貸していただいたのですよ。これで我も……」
言いかけて、足が止まった。
服の裾から飛び出した尻尾が、白く色褪せていたからだ。
普段なら、燃えるように赤い色をしているのに。
息が止まる。
「……父上……?」
寝ているだけだ。そうに違いない。自分に言い聞かせながら震える手を伸ばし、恐る恐る父の体に触れた。
触れた体は、ひどく硬く、重く、そして冷たい。
「父上……父上!」
揺さぶると、ごろりと父の体が転がった。
半開きになった目は濁り、口の端に泡がついている。
「あ……」
どうしたらよいか分からず、父の横に座り込む。口の泡を拭ってやろうとして、文が机の上に残されているのに気づいた。
『親の務めは果たした。妻に会わせてくれ』
昔、幼かったころに文字を教えてくれた頃と変わらず、丁寧な筆跡だ。
——思えば、父が教えてくれたのはそれだけだったかもしれない。
じっと動かない父を眺めていると、視界の隅で何かが動いた。視線をやると、黒い蝶が二羽、前になり後ろになりちらちらとじゃれ合って飛んでいる。
「……よかったのぉ、父上」
呟いて、空高く消えていく蝶を見送る。
気づいた頃には、辺りは燃えるように赤くなっていた。
赤い太陽の光が、生きているかのように父の鱗を照らす。
「……」
ババ様に服を返さなくては。随分と遅くなってしまった。
立ち上がって、部屋を出る。
父の埋葬が終わったら、どこか遠くに行こう、と思った。
どこかの山にでも深く穴を掘って、二度と目覚めないように埋まるのだ。
きっと、近くに自分がいるのは嫌だろうから。
◇
(ああ……楓さんの夢か、これも)
うつらうつらとした寝起きのまどろみの中で、当然のように恭平はそれを受け入れていた。
自分のものではない。けれども、涙さえ出ないほど心に穴の開いた感覚も、ただ冷たい諦めのような、少しだけほっとしたような感覚も――自分のことのように心に残っていた。
(……それで、楓さんは裏山にいたのか)
ゆっくりと目を開ける。すぐ横、明け方の光のなかで楓がすやすやと寝息を立てていた。
朝晩はだいぶ涼しくなってきている。
生まれたままの姿の楓に身を寄せ、恭平は大きな楓の背中まで入るよう布団をかけ直した。
昨晩お互いを触りあった大きな手を握り、胸元に抱く。
楓が土のなかに埋まったのは決して喜ばしいことではないけれど、けれど今自分の隣にいてくれてよかった、と思う。
また目を閉じて、楓の首元に頭をつける。
幸せな二度寝に落ちるまで、そう時間はかからなかった。
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