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女、やってくる
駅から出ると、重く垂れ込めた雲から今にも雨が降り出しそうだった。いや、気温的には雪かもしれない。
「はあ……」
なんとなくもやもやするのは、天気のせいだけではない。さっき一緒に昼食をとった会社時代の友人に、今ゲームを作っていると聞かされたからだ。
仲間内で作ってるんだけど、ぜひ恭平にも意見を聞かせてほしいと言われてアプリのデモ画面を見せられて、その場では嬉しくて色々話をした。だが別れてからふと、ある事実に気づいてしまったのだ。
(俺、仲間じゃなかったんだな)
いや、向こうにはそのつもりはなかったのかもしれない。わざわざ食事に誘ってくれて、見せてくれるレベルなのだし。
気になるのなら、「俺も混ぜてくれない?」という一言を投げかければ解決する話だ。しかし、朝陽と二人になってからゲームにすらろくに触れられていない自分では、いまさらそんなメッセージを送るのも及び腰になってしまう。
駅から家までは少し離れている。バスに乗ろうとバス停に向かった恭平だったが、思い直してその前を通り過ぎた。
楓の働いているパン屋が、帰り道の途中にある。
まだ仕事中かもしれないが、少し顔を見てから帰りたかった。まだ朝陽が帰ってくるまで時間もある。
(楓さん、どうしてるかな)
あの履歴書で採用されて、早2カ月。前に一度買い物に行った時は、厨房でパンを焼いていた。ドラゴンだからか力があり、立ち仕事にも熱さにも強いのが重宝されているらしい。最近は成形部分も任せてもらえるようになったと言っていた。
折角だから明日の朝食用にいくらかパンを買って帰ろう。何がいいかな。
考えながら歩いていた恭平は、いるはずのない姿を視界の端に捉えて立ち止まった。
(……え?)
喫茶店の窓際の席で、楓とスーツ姿の女性が向かい合っている。見間違いか、と一瞬目を疑うが、2メートル以上あって頭から角が生えている赤髪の男で、しかも楓に容姿が似ている奴なんているはずがない。
今日はバイトに出かけたんじゃなかったのか。
楓はこっちに気づいた様子もなくにこやかに話している。その相手である女性の方は、二十歳すぎくらいの見た目をしていた。薄青色の髪をひとくくりにしているところから見ると、こちらもドラゴンなのだろう。
誰だ。何を話しているんだ。詮索するように見つめてしまう自分が気持ち悪いのは分かっていたが、目が離せない。
ふっと顔を動かした楓が自分の方を向きそうになり、恭平は弾かれたように走り出した。そのまま家まで走り続け、玄関を入ったところでようやく立ち止まる。
「な、何してんだ俺……」
扉に背をつけ、ずるずると座り込む。吐きそうなほどに動悸がするのは、単に久しぶりに走ったからだけではない気がした。
それでも息が落ち着いてきた頃に仕事部屋に移動した恭平は、今日の分の仕事をしようとパソコンをつけた。だが、デザインソフトを開いたところで手が止まる。
(さっきの人……バイト仲間とかかな)
だが、確か他にドラゴンはいないと言っていた。それに、親の件もあり、同種にはあまり会いたくないと本人も言っていたのに。
(じゃあ、でも……)
にこやかに話していたのはなぜなんだ。なんなら恭平といるときより楽しげに見えてしまったのは気のせいなのか。
ひょっとして、浮気なのか。
そう思った瞬間、恭平の胸がきりりと痛くなった。息が詰まる。
(いや、浮気……ではないだろ)
同じベッドで寝て、互いを触り合うのが当たり前になっているとは言っても、互いが恋人同士だとかそういった話はしたことがない。
悶々としていると、玄関の開く音がした。すぐに走ってくる音が聞こえないから楓のほうだろう。
会いたかったはずなのに、今は顔を見るのが怖い。そのまま座っていると、6畳間の扉が開く。
「帰ったぞ、恭平」
「あ……お帰りなさい、楓さん」
手を広げる楓に、つい立ち上がって体を寄せてしまう。胸元を握って頭を寄せると、いつもの優しい匂いがする。
「ん……」
さっき見たことを聞いてもいいのだろうか。楓に視線を合わせられずにいると、「どうした?」と楓が頭を撫でてくる。
「あの、今日……楓さん、バイト……でしたよね?」
「そうじゃが?」
そう言われると、何も言えなくなる。
ちらりと見上げた楓の表情は、いつもと同じに見えた。
不思議そうな顔のまま黙り込んだ楓が、パチパチとまばたきをする。それから何かに思い至ったように「あ」と声を上げた。
「あれか? 休憩時間に特区からの使いと話したが」
「……特区?」
予想外の言葉を恭平はおうむ返しした。
最初に市役所で案内されて以来、久しくその存在なんて忘れていた。今頃になって何の用だ。
「ああ。ようやく我の身分が確認できたらしくてな。そんな昔の個体は珍しいし、純血の竜も減っているので特区に来て見合いなどせんかと勧められただけじゃ」
竜皇の血を引くものは我以外もう絶えてしまったらしくてな、と悲しげに目を細めた楓が首を振る。
「え……それで、楓さんは」
「案ずるな、恭平たちを置いて行くわけなかろう」
伸びてきた尻尾が、恭平の足に巻き付く。
「我は千年前に少しばかり生きていたというだけで、当時の政治も習俗もろくに分からぬ。期待されても応えられぬしな」
「そう、ですか……」
ほっと息をつくが、それでいいのだろうかとも思ってしまう。
楓と離れたくないという自分の感情だけで、わがままを言ってしまっているような気がする。
「そんな顔をするでない、行かぬと言っておろうが」
「……はい」
ちゅ、と軽く降ってきた楓の唇に、自分からも唇を押し付ける。それだけでは足らずに抱きつくと、楓からの接吻が深くなる。
ピンポーン!
不意に聞こえてきた玄関からのチャイムに、びくりと二人は体を離した。
「な、何だろ」
特に荷物などが来る予定もないし、朝陽ならチャイムなど押さないはずだし。
「よい。我が出る」
尻尾を振った楓が玄関に向かうのを見送り、恭平はまたパソコンデスクに手を突いた。
(……特区、か)
昼からのもやもやが、かえって強まった気がする。
玄関を開ける音がした。
「あ、あんた誰よ!」
「ぬあ?」
聞こえてきた女の声に、恭平の全身が固まった。
「わ……我は、楓だが……?」
「どうしました、楓さん!」
見たくない。けれど、確かめない方がよほど怖い。玄関に向かうと、案の定見覚えのある女が振り向いた。
元妻の愛実だ。
記憶の中にある顔より大分しわが多い。視界に入れてしまったことを後悔し、恭平は少し視線を逸らした。
「あっ、恭平! 久しぶり!」
「何しに来た」
呼んだ覚えも、歓迎する義理もない。大体そっちから出ていったくせに、今更何様だ。
低い声で返すものの、愛実は全く意に介した様子はない。
「何って、あなたから連絡があったから会いに来たのよ、引っ越してるなんて知らなかったから時間が——」
「俺はお前の顔なんか見たくなかった」
「そんな、私はずっとあなたたちのこと忘れたことなかったのに」
どの口が言うんだ。
恭平と愛実の間で視線を動かす楓と視線が合ったので、小さく「元妻です」と指先で示す。
「あっ、我は、ええと……」
「楓さんです。今、一緒に暮らしてます」
恭平が紹介すると、「えっ」と愛実が怯み、軽く楓に頭を下げた。
「そんなことより、朝陽は? 私、あの子に会いたいんだけど」
「あ」
そうだ。早くこの女を処理しないと、もう朝陽が学校から帰ってきてしまう時間だ。
「それについては後で連絡するから。今日はもう帰って……」
「おばさん、誰?」
愛実の向こうから、朝陽の声が聞こえた。ランドセルを背負い、通学帽を被った朝陽が、不思議そうな顔で玄関を覗き込んでいる。
「あ、朝陽!」
「朝陽、久しぶりね!」
振り返った愛実が、突然朝陽に抱きつく。あまりのことに、とっさに動くことすらできなかった。
「お前ふざっ……」
「あなたのママよ!」
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