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ママ、逃げる

 翌朝起きて来た朝陽は、楓と台所に立っていた恭平を見て、気まずそうに立ち止まった。怒られるのではないか。警戒したように腰が後ろに引けている。 「おはよう」 「……おはよう」  あえて昨日のことには触れずに挨拶をすると、恐る恐るという表情で返事が返ってくる。 「ねえ朝陽、一つ聞いてもいいかな?」 「な、何……?」  小動物のように警戒する朝陽の前に朝食の卵焼きを並べ、納豆を出す。三人分の朝食をちゃぶ台に並べたところで、恭平は切り出した。 「俺、やっぱり楓さんと一緒に暮らしたいんだけど、朝陽はどう思う?」 「えっ!」  一瞬卵焼きに気を取られていた朝陽が恭平を見て、それから楓の方向に顔が動いた。ぱっと顔が明るくなる。  「本当!? やった!」  両手を上げ、今にも跳ね回りそうな朝陽だったが、「あ、でも」とその動きが止まる。 「ママはどうするの? 確か、楓とママって同じ家には住めないんでしょ?」 「……うん」  物理的に無理ではないが、状況的に難しいだろう。何より、恭平の精神が持ちそうな気がしない。 「ママには、家から出て行ってもらうことになると思う。ただ、朝陽が会いたいなら、休みの日とかに会えるようにはする」 「そっか……」  神妙な顔をして頷く朝陽に、恭平は頭を下げた。 「俺たちの都合で振り回して、本当にごめん」 「んー」  考え込みながら卵焼きに箸を伸ばす朝陽は、いつの間にかひどく大人びた顔をしていた。 「いいよ。楓と一緒にいられるの、僕も嬉しいし」 「……そっか」  どこか寂しい気持ちで頷いた恭平は、隣に座った楓と顔を見合わせた。 「っていうかさあ、よく一人で来れたよな、ここまで」 「すごいでしょ、僕」 「すごいけどさあ……どれだけ心配したと思ってんだよ。何かあったらどうしようって、気が気じゃなかったんだからな」  少しだけ語気を強めると、朝陽がしょんぼりと視線を落とした。 「それは……ごめんなさい」 「もうさあ、あちこち同級生の家回ったり警察に連絡したり、大変だったんだぞ」 「えーっ」  恭平の言葉に、朝陽の顔から反省の色が一瞬で消えた。苦いものでも食べたように顔を顰める。 「じゃあ僕が家出したって、みんなにバレてるってこと?」  警察、という言葉が効いたのか、と思ったが、それよりも同級生の間で噂になることの方が朝陽にとっては嫌なことらしい。 「多分な」 「うげーっ」  朝食を食べ終え、楓が用意してくれていた服に着替える。  干していてもらっていた洋服を畳んでいると、「なあ」と楓が尻尾を振った。 「家まで送ろうか、恭平」 「いや、そこまでは……だって新幹線ですし」 「いやなに、最近飛行許可を取ってな。竜の姿でおぬしらを家まで乗せていけるぞ」 「えっ、そうなんですか!」  特区に来た日、大きな竜の姿になって飛んでいた楓を思い出す。 (正直、かなり……乗ってみたい) 「い、いいですか? お言葉に甘えても」 「おう!」  嬉しそうに尻尾を振った楓は庭に出ると、大きな竜の姿になった。落下防止用の鞍を背中につけ、ぺたりと地面に伏せる。 「乗るがいい」  伏せた状態と言っても、背中によじ登ると怖いくらいに視線が高い。できるだけ下を見ないようにしながら、恭平は朝陽と自分のシートベルトを締めた。 「よいか? それではゆくぞ!」  ばさり、と翼が羽ばたくと、あたりの景色がちぎれて飛んで行った。 「おおお……」 「すげえ!」  今までも楓に抱かれて空を飛んだことはあるが、その比ではないスピードだ。吹き飛ばされそうな眼鏡を恭平は慌てて押さえた。  ミニチュアのような家や山が、はるか下に広がる。  爽快な気分に、恭平は自分でも気づかないうちに笑みを浮かべていた。 (すごいな……これが、ドラゴンなのか)  頬にあたる風は少し痛いほどだが、それが気持ちいい。山あいに、キラキラと輝く湖が見える。  やがて民家やビルが増えてきたころに、楓は高度を落とした。そのまま滑るように鏡野家に着地する。  ここで待ってて、と楓と朝陽に言い残し、恭平は玄関を開けた。 「ただいまー」  しんとした家に一瞬留守を疑うが、たたきに愛実の靴がある。リビングに入ると、机に座った愛実が不貞腐れた顔で恭平を見た。 「何? 私に対する当てつけなの? 人のことおいて出かけるなんて」 「……あのなあ」  開口一番それか。相変わらずだな、と恭平はため息をついた。 「昨日散々連絡したよな、俺。なんで無視したんだ?」 「何よ、いいじゃない。ちょっとくらい息抜きしたって」 「それがダメとは言わないけど」  警察からも連絡はいっていただろうに、全部無視していたのだろうか。 「……昨日、何があったか知ってるか?」 「はあ? 私が不在の間に二人してどっか出かけてたんでしょ?」  きっと愛実の方から見ればそうなのだろう。何もおかしいことは言っていない、という表情に、恭平の中では憐れみのような感情が生まれた。  自分が傷つき、傷心を癒そうと自分の時間を持っている間に、恭平と朝陽だけがどこかに出かけて楽しい思いをしていた――きっと、彼女の中ではそういうストーリーなのだろう。  ある一側面だけを切り出せば、間違ってはいないからたちが悪い。 「朝陽が家出したんだよ」  恭平の言葉に、なぜか愛実は嬉しそうな顔をした。 「え、私を追って?」 「違う。俺と君が言い争っている間のことだ。ホットケーキを焼こうとして失敗した後のことだよ。だから連絡したんだけど、君はそれを全部無視した」  さすがに愛実の顔も、少しだけ引きつるのが見えた。 「そ、そんなの知るわけ――」 「そうだね」  恭平はため息をついた。 「……もういいよ」 「何よ!」 「君は、朝陽の産みの親かもしれないけど……それだけだ。一緒に暮らして、家族としてやり直すことはできない」  できるだけきっぱりと聞こえるように、一語一語を切って含めるように口に出す。 「で、でも私、頑張って……」 「そうだろうね、でも無理なものは無理だ」 「っ……」  愛実の顔がくしゃりと歪んだかとおもうと、椅子を蹴倒して立ちあがる。そのまま恭平の隣を駆け抜けていったかと思うと、また玄関が開く音がした。  外に出ると、人間の姿に戻った楓と朝陽が、ぽかんとした顔で道を眺めていた。 「ママ……逃げてっちゃった」  朝陽の素直すぎるコメントに、少し笑ってしまう。 「……よいのか? 追わずとも」  楓に聞かれ、恭平は軽く肩をすくめた。 「いいんですよ、もう。勝手に逃げてっちゃったんですから」  考えてみれば、愛実は最初からそうだった。恭平に何も話さず、朝陽は置き去りにし、自分の都合の悪いことからは逃げ続けていた。 (なにか……どこか一つでも違ってたら、よかったのかな)  一瞬だけそんな考えが頭をよぎったが、今更過去のことを考えても仕方ない、と恭平は首を振った。  それから、横に立つ楓を見上げる。 「お帰りなさい、楓さん」 「ん」  ふわりと笑う楓と、朝陽の手を引いて家に入る。

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