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第2話(Side 誠)

「……次、行こうか。」  監督の感情のない声に、プロデューサーである:誠(:まこと)は眉間を揉んだ。  会議室の中は、明らかに空気が淀み始めている。  何度も同じシーンを繰り返し見ていると、気が狂いそうだ。 「……まだ三分の一か。」  一次から、書類だけでなく動画審査をやろうと決めたのは自分だったこともあって、非常に肩身が狭い思いだ。  この方式を提案した背景には、いまだ発掘されていない原石を見つけたいという思いがあった。しかし、原石どころか箸にも棒にもかからない素人も紛れ込んでいる。 「うーん。次行こう。」   監督の口数がどんどん減っている。  冷や汗が背中を流れた。  信頼できる部下たちにスクリーニングを任せたが、もう少し様子を見に行くべきだったと猛烈な自責の念に駆られていた。  今回は絶対に失敗が許されない。自分と同世代でありながら、数々の名作を手がけたと名高い監督とヒットメイカーの脚本家。  これだけでももう十分すぎるくらいの重圧だが、今回この作品にかかっているプレッシャーは制作陣だけではない。  メインキャストの響也(きょうや)役は、人気実力ともにナンバーワンである及川保志だ。   局としてもかなり力を入れている作品のプロデューサーに大抜擢されたわけだ。  監督、脚本家ともに世代が近いし、とても人柄のいい二人だから、うまくやっていけそうだと安心した。  だが今、会議室に流れる重い空気で押しつぶされそうだった。 「なんか、あんまりこれといった奴がいねえなあ」  犬養(いぬかい)監督は険しい顔で、ため息をついた。脚本家の天達(あまだつ)先生の口は弧を描いているが目は笑っていない。 手汗でびっしょりの手を握る。若き二人の天才は、使えないやつを容赦なく切ることを、よく知っていた。 「七川朔 二十二歳です。よろしくお願いします。」  次に流れてきたのは、どこにでも居そうな平凡な青年だ。 艶やかな黒髪の隙間から見える、黒目の大きい瞳は印象的だが、他にこれといった特徴がない。  書類を見ると、小さな劇団に所属しているようだった。  しかし、出演作をひとつも書いていない。  どうやら演者としての活動はしていなかったらしい。  いかにも素人っぽい、撮られることにあまり慣れていないような印象を受ける。  記念受験だろうか。疲れてきたせいで、頭があまり回らない。惰性で、ぼんやりと空白の多い書類を眺めた。  手短な自己紹介が終わり、いよいよ演技が始まった。 「――僕は、神をずっと探しているんだ。届くように、ずっと音を奏でてる」  その第一声が耳に飛び込んできた瞬間、思わず顔を上げた。  同時に、この部屋に漂っていた雑音が、消え失せる。  彼の声が、今までの候補生と同じ音響のはずなのに、はっきりと響く。  まるで、この場にいるような立体感。画面から飛び出してきそうだ。  部屋の温度が下がるような感覚。  監督はペンを回していた手を止めた。  全身に鳥肌がたつのが止められない。  声の微弱な震え、発声とともにすっと色を濃くする大きな瞳。安定した息遣いに、指先まで丁寧に作り上げられた美しいシルエット。  何といえばいいのだろう、上手い演技はたくさん見てきたのだ。  それよりも、もっとこう、心を揺さぶるような演技。  まさしく、魂が直接語り掛けているような……。とにかく目が離せない。    ちらりと横に視線をやると、犬養監督の険しい瞳はいつの間にか消え去り、まるでお宝を見つけた少年のような瞳になっていた。天達先生は、いつもの余裕そうな落ち着いた様子とはかけ離れた緊張した面持ちで画面を見つめていた。  しんと静まり返った部屋に響く、エアコンの音。それすらもうるさい。息を止めてモニターを全員が見守る。  天音。天音がそこにいた。  脚本を読んで頭に思い浮かべていたような天音がそのまま目の前に現れたのだ。  素朴?そんな姿はもうどこにも見えない。  目の前の彼は、凛とした瞳でカメラの奥を、視聴者の視線をとらえて離さない。  及川保志の計算されつくされた絶対的な演技ともまた違う、生きている登場人物が、すぐ、そこにいるのだ。 「今の。名前は?」  監督の低い声が部屋に響く。 「七川朔です。」    動画を送ってきた候補者の中には、もちろん素晴らしい演技をする者もたくさんいた。  だが、やはり七川朔のインパクトに勝るものはいなかった。  犬養監督の口角が上がり、天達先生は腕を組んだ。口には出さなくても、二人とも天才の誕生に鼓動が高鳴っているように見えた。   ****** 「午前の審査は以上になります。これより午後の部に進む候補者の協議に入りますので、昼休憩とさせてください。」  午後十二時。ちょうど二次審査の午前の部が終わり、お昼休憩及び審査の結果確認に入った段階である。 午前では、約半分が落ちる。監督や先生ではなく、誠を中心にキャスティング班が手分けして候補生たちを見ていた。  本当は全ての部屋を平等に見て回りたかったが、いろいろやることが多く、あっという間に昼休憩の時間になってしまった。 誠が主に担当していた部屋の通過者はスムーズに確定した。なぜなら、動画以上に力量差が明らかになっていたからだ。  犬養監督と、天達先生と三人で食事をしていると、部屋に困り顔のキャスティングプロデューサーが飛び込んできた。 「お疲れ様です。ちょっと落とすべきか迷う参加者がいて、相談に来ました。」  キャスティングプロデューサーは、白黒はっきりつけるタイプだ。しかも、たいてい即決。だから、彼が迷っているという事態そのものが珍しかった。 「へぇ、永野(ながの)君がそういうなんて珍しいね。誰?」 「七川朔です。」  七川朔、その名前を聞いたとたんに話の続きが気になってたまらなくなる。 横にいた二人も、身を乗り出すのがわかった。 「簡単に言うと、評価不能だったんですよ。演技が始まると、すぐにフリーズして、何も言えなくなったんです。」  何か言おうと努力している姿は見られた。だが、まるで誰かに首でも絞められているかのように苦しそうで、声も全く出ていなかったらしい。  机に置かれた実技の評価シートは、ほぼ真っ白。演技をしていないのだから、点のつけようがなかったようだ。 「もしこれだけなら、不合格にせざるを得なかったんですが、こちらを見てください。」  もう一枚、演技の解釈メモが置かれた。どうやら七川朔が書いたもののようだ。  これは、演技プランや台詞をどのように解釈し、どのように表現したかを書いてもらうシートだ。  公平不公平が出ないように、口頭ではなく筆記で記入してもらう形にした。  役への理解力や解釈する力、それを反映させられるだけの演技力があるかを見るために設けている。  七川朔のシートには、非常に面白い解釈が書いてあった。  今回の課題は、コンクールの一次予選。天音が初めて響也の演奏を聴いた後、森の中でその演奏を思い出しながらつぶやくというシーンだ。 『綺麗だった。一音も、間違えない。寸分の狂いもない完璧な音。まるで無色透明に輝くガラス細工のようだった。……血の匂いがしない音。』 という台詞を読んでもらう。  この解釈について、候補者のほとんどは「血の匂いがしない」という言葉を、「響也の演奏を完璧なだけで魂がないと批判している」と解釈していた。 あるいは、「コンクールのライバルである響也への対抗心が表れている」だとか、「汚れた世界を知らないくせに、と見下している」だとか。  無論、この解釈も間違っているわけではない。  響也と天音は、同じコンクールで優勝を争うライバル関係にあるし、正反対の境遇であることから、このような解釈ももちろん考えられる。  ただ、七川朔のメモにはこう書かれていた。 「響也を見下しているという解釈もできる。  しかし、天音は響也に対して自分にはない苦しみを知らない完璧な世界への憧憬や、自分にはあんなに美しく透き通った音はかなえられないという劣等感、そして自分と道や方法は違えど同じものを見ようとしていると気づいたのではないか。  そんな、唯一自分を理解してくれるかもしれないという祈りのような気持ちも混ざっていると思う。  天音は、これまできちんとした教育を受けてこなかったからこそ、まっすぐに音楽だけをひたすらに愛し続けてきた人の音もあまり聞いたことがなかったのだろう。」  思わず、ごくりとつばを飲み込んだ。 「……素晴らしい。」  天達先生が、小さな声で呟いた。  おそらく、彼が脚本に込めた意味を七川朔は過不足なく読み取ったというわけだ。  これまでの審査で、彼が受け取った情報はみんなと同じだ。  つまり、あらすじと、一次で渡した動画のセリフ、そして今回のセリフだけ。  どれも断片的で、天音という人物を解釈するにはあまりに情報が少なすぎたはず。  ――どうしてここまで完璧な解釈が出来ているんだ?  このシートも、こんな深い解釈が見られると思って導入したわけではなく、どんなことを考えて演技しているのか、しようとしているのかを知りたかっただけだ。  だからこそ、一部のセリフをみて、この作品の本質までも見抜いた七川朔の観察眼は衝撃的だったし、やはり彼からは何か光るものを感じた。 「演技が全くできないって――どういうことでしょうね。」  首をかしげる天達先生に、監督は肩をすくめてみせた。 「まあ、ひとまず見てみるしかないよな。」  短時間でこれだけの解釈ができていること、そして映像での演技の様子から、七川朔は追加枠として午後の部にも進むことが決まった。  五十名を予定していた通過枠の外、つまり五十一人目の通過者となったのだ。 ****** 午後の審査からいよいよ対面で演技を見ることになった。 犬養監督、天達先生と準備ができたと呼ばれるまで待機室で雑談していた。 コンコンと響くノック。準備ができたのだろうか。 「どうぞ」 しかし、扉が開き中に入ってきたのは、スタッフではなかった。  

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