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第3話(Side 誠)
その男が入ってきた瞬間、部屋の温度が二度下がったような気がした。
スタッフが息を飲む音が聞こえる。
誠も思わず背筋を正した。
見るもの全てを畏怖させるような、圧倒的なオーラ。
「お、来たか!久しぶりだな、保志」
唯一、監督だけが気軽に彼に話しかけた。
――及川保志が、来ていた。まだ二次審査なのに。
「保志ね、俺が呼んだの。俺たちの後ろで見てもらうから。」
どうしてここまで。
大丈夫か、騒ぎにならないだろうか。
そんなことを考えていると、またコンコンと今度ははっきりとしたノックが響いた。
今度こそ、準備ができたのかもしれない。
ドアの前に立っていたのは、サングラスに帽子という変装姿。
それらでは隠しきれないモデルのような頭身。
不思議に思ったのもつかの間、やけに堂々とした歩みを見て今度は誰なのか気付き始めた。横でにやにや笑っている犬養監督も、いつもの冷静な笑みを崩さない天達先生もきっともう分かっているはずだ。
「やっほー誠さん、来ちゃった。」
……この軽薄そうな男は、及川保志に次ぐ人気と実力を誇る若手俳優、伊賀漣 である。
「漣くん、来るなんて話してなかったじゃないか」
「言ったでしょ、面白い天音役がいなかったら降りるって」
「結果だけ聞く約束だっただろう?」
そう言いながらも、いや、彼に約束など無いのかと思い直していた。
彼が業界一の自由人であることは、周知の事実だ。
「及川保志も伊賀漣もいるなんて。ばれたら大騒ぎですよ」
「え、なに!及川保志もいるの?」
「――どうも。」
お互い軽く会釈している。意外にも初対面だったようだ。
「二人とも、ちゃんと帽子被ってマスクつけておいてね。特に漣くんはまだ正式に受けるって決めてないんだし。噂でも漏れたら一大事だぞ。」
「大丈夫だって。面白い天音役いれば受けるし。」
今飛ぶ鳥を落とす勢いの二人の初共演作となれば、ヒットになることは間違いないと確信して伊賀漣にオファーを出した。
もちろん監督たちとよく話し合った上でのキャスティングだが、まだ正式な承諾はもらっていない。
「もう、始まるなら移動した方がいいのでは?無駄な時間は、減らせるだけ減らしましょう。」
及川保志が、無表情で時計を見てつぶやいた。
また、少し緩んでいた空気がピンと張り詰めた。
二人にうっとりと見とれていたスタッフが、慌てて動き出す。
彼は、職人気質だが無口で感情の起伏が少ない。何を考えているのかさっぱりわからない。
問題行動などもってのほかで模範的な俳優だと聞いたことがある。
けれど、逆に人間味がなくて、演技マシーンのようだと誠は思っていた。
彼の演技は一級品だ。特に、この世に対する諦念や絶望感などの演技は他者の追随を許さないような圧倒的なものがある。
「なに、保志くんせっかちなの?」
全く物怖じしていない伊賀漣が笑いながら尋ねた。
「……無駄が嫌いなだけです」
「ふうん。無駄であればあるほど面白いじゃん。」
そういって肩をすくめている伊賀漣とは何度か一緒に仕事をしたことがある。
彼は及川保志とはまた全く種類の違うタイプだ。
まず、及川保志が安定したプロフェッショナルなのに対して、彼はやる気のむらがすごい。
自分の興味の湧いた役しか受けないし、途中で監督と意見が割れれば平気で役を降りてしまう。
その興味というのは、役柄そのものであったり、一緒に作品を作るスタッフであったり、はたまた共演者であったり様々だ。
及川保志には、脚本が面白いものを選ぶという絶対的な軸があるように見える。
一方で、伊賀漣にはおそらくそうした軸がない。
ただ、作品の規模は彼の条件には入らないのだろう。今回もビックネームが揃っているからと言って彼が受けてくれる理由にはならなそうだ。
だから、今回のオファーを受けてくれるかも五分五分ではあった。
それにしても超多忙旬の俳優の二人がオーディションを直接見に来るとは。
こうして、午後の部の観客には及川保志と伊賀漣が加わることとなった。
スタッフに紛れて壁際に座っている漣が、これから始まるショーを待つ観客のように、楽しげにこちらに手を振っている。
及川保志は、静かにまだ開かない扉を見つめていた。
候補者たちは、まさかこんなに近くに有名俳優が二人もいるとは微塵も思わないだろう。これから二人に品定めをされるであろう候補者を思うと、なんだか気の毒になった。
******
午後の審査は、かなり見応えがあって面白かった。
一万人のなかから五十人に選ばれただけあって、かなりの精鋭ぞろいだ。すでにドラマで顔を見たことがある有名俳優も数人紛れ込んでいる。
しっかりと教育されてきたことがわかるような発声やブレス、表情。かなり質が高い。
ただ、あの七川朔の天音を超えるものは居なかったというのが正直な感想だ。
「ねえ、誠さん。あんまり面白いやつ居ないね」
九組目が退出した後、こちらまで歩いてきては恐ろしいセリフを口にした伊賀漣を尻目に、こめかみを抑えた。
「いやいや、かなり質は高いよ。」
「なんか『上手い』だけって感じ。つまんない。」
口をとがらせながらそう言う。
共演大ヒットの夢はここで途絶えるだろうか。ああ、熾月 役を探さないといけないじゃないか。また仕事が増える。
今度は、文字通り頭を抱えた。
そんなことをしていると、ついに最後のグループが入ってきた。伊賀漣はまた壁際の席に戻って行った。
そう。七川朔のいる唯一の六人グループである。
実際に対面で見る彼は、やけに自信がなさそうで、やはり動画を最初に見たとき感じたような素朴な印象だった。
率直に言うと、六人の中ですら埋もれて見える。
このグループには、まだ主演はやっていないものの、いくつかの作品で重要な役を任されていた橋口悠 がいる。
今回のオーディションで最も有力な候補といっても過言ではないだろう。
そしていよいよ演技審査が始まったわけだが、七川朔は他の人の演技を見たりする様子もなく、ただひたすらに俯き、深呼吸を繰り返しているようだった。
橋口悠の演技は、今日見た中ではやはりいちばん良かった。役の解釈をしっかりとしている事が見て取れたし、技術的な面でもレベルが違う。
何か、波乱がなければきっと天音役はこの子に決まるだろう。
波乱が――――なければ。
「七川朔、二十二歳です。よろしくお願いします。」
質疑応答後に、いよいよ演技審査が始まる。
「それでは、演技を始めてください。どうぞ。」
「……綺麗だった。」
たったの一言。これまでの参加者の、嫉妬を含んだ悔しさ混じりのものとは全く違う。
まるで冬の夜空に吐く白い雪のように、柔らかく繊細で儚い声だった。
空気が変わった。彼の一言が、人々の動きを止めて、静寂を生み出す。
先程までこの部屋に蔓延していた、いよいよあと一人で終わるぞ、決まるぞという、だらけ切ったその場の空気が引き締まる。
監督が身を乗り出した。
けれどすぐに異変を感じとった。彼の演技が止まってしまったのだ。
本当にキャスティングプロデューサーが言っていたように、まさしくフリーズしていた。いや、強制シャットダウンの方が正しいのかもしれない。
彼のこめかみに脂汗が浮かんでいる。倒れるぎりぎりで戦っているように、ひたすら耐えているように見える。いったい何が彼を襲っているのか。
明らかに異常だった。
誰かに喉を締められているみたいだ。酸素を求めて口を開閉させ、瞳も潤んでいる。
……ああ、残念だがいくら解釈が素晴らしかろうと演技が全くできないようでは彼を選ぶことは出来ない。
誠たちが欲しいのは、演出家ではなく、演技者なのだから。
しかししばらくの沈黙の後、誠は異変に気づいた。
隣の天達先生が、食い入るように七川朔を見つめていた。
感動なのか、興奮なのか分からないけれど、なにか恐ろしいものを見るかのように彼を見つめていた。
畏怖している、という表現がいちばん近いかもしれない。
監督も身を乗り出したままだ。彼もまた七川朔の瞳から視線を逸らさない。
二人のクリエイターが、七川朔の瞳から何かを感じとっているのが分かった。
誠も七川朔の瞳を見つめる。鬼気迫るような、何かが彼からは感じられた。
そのままじっと見つめていると、分かった。彼が、瞳で「演じている」ことが。
彼の背後に、壮大な森が広がっているのが見えた。
そして、彼が奏でるバイオリンの音が聞こえた気がした。
鼻腔をくすぐる、神聖な木々の匂い。
物語の中に入っている。天音と同じ世界に、僕らはいるんだ――。
彼は一言も発していないのに、あの演技シートに書いてあったような感情が、ダイレクトに伝わってくる。偽物なんかじゃない、リアルな感情。
彼を演出家だと偉そうに評価していた数分前の自分がひどく恥ずかしくなった。彼は誰よりも演技者の瞳をしていた。
そのとき、がたんと大きな音がして七川朔に魅入られていた全ての人が我に返るのが分かった。もちろん誠もその一人だ。
振り向くと、及川保志が立ち上がっていた。そして、彼はやけに険しい顔で七川朔を見つめていた。
無意識だろうか、前の座席の背もたれを強く握りしめている。
そして、その奥で伊賀漣も心底楽しそうに笑っていた。
まずい。二人の正体がバレてはいけない。もう、十分だろう。
「はい、ありがとうございました。それでは審査は以上です。退出してください。」
そう手短に伝え、今にも七川朔に話しかけそうな伊賀漣を止めに向かった。
二次審査・午後の部はこれにて幕を閉じた。
******
「誠さん。俺、アイツがいい。……俺がアイツを食うか、アイツに食われるか。ねえ、久しぶりにゾクゾクしたんだ。」
伊賀漣は、強敵を見つけた捕食者の目をしていた。もう、七川朔しか見えていないようだ。
熾月役のキャスティングに関する懸念は払拭されたように思うが、それでも問題は残っている。
確かに彼の瞳の演技は圧巻だった。
ただ、課題となっていたセリフは一部しか言えていなかったし、実際の撮影であの調子では話にならない。
とはいえ、あの演技を見てしまった以上、比べると他の人の印象が薄いのもまた事実だった。
「……化け物ですね、彼は。」
いつも物静かであまり多くを語らない天達先生が、珍しく一番に口を開いた。そういえば、七川朔の瞳の演技に一番に気づいていたのは先生だったような気がする。
「……僕が、このホンを書く時に考えていた役の感情そのものだったんです。なんて言うのかな、もう投影のほうが近いかもしれない。本当に、寸分違わず。恐ろしいくらいに、完璧だった。」
何処か遠くを見つめている天達先生は、彼の演技を反芻している様だった。
「頭の中で描いていた人物が、すぐそこに『生きている』のを見るのは素晴らしいことですね」
珍しくベタ褒めだ。人を褒めることが少ないのに、彼の演技がよっぽど気に入ったらしい。
及川保志は、まだ七川朔が出ていった扉に釘付けになっていた。その瞳には、困惑とそして微かな渇望が浮かんでいるように誠には見えた。
七川朔が、この二人の共演者に大きな影響を与えたことは言うまでもない。
「……爆弾だな。」
監督はそう呟いた。
「……本当にそうですね」
頷きながら、あの爆弾をどうしたものが悩みあぐねていた。
この中では誠が一番、作品を現実的な目で見ていると自負している。
無事に撮影を終わらせなければならないし、視聴率を取らなければならない。
だから、彼を選ぶことはリスクが大きすぎると思っている部分もあった。
「みんなの興味を引いてくれる起爆剤になるかもしれないし、作品をぶち壊すダイナマイトになるかも知れない。」
監督は、迷っているようだった。
「でも、セリフを口に出しての演技ができないと難しいのでは?」
ずっと感じていた疑問を口に出す。
「……毒を制するには、それ以上の猛毒をぶつけるしかない、か」
監督は、獲物を狙う獣のように目を細めた。
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