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樹下
生まれてこの方、秘密とは無縁だった。
一人で抱え込むだけの器もなく。
罪悪感に耐えられる程の精神力もなく。
そして何より、敬愛する父を裏切るような、そんな後ろめたさがあった。
それが今はどうだ。
上背ばかり伸びて、薄く頼りない身体には、あっという間に大量の秘密が詰め込まれてしまった。
息をするのも苦しい程に。
疑いもしなかった国家への根底的な疑念も。
毎夜苛まれる性衝動と自慰行為も。
サクヤの存在も。
そして苦痛を感じる程、彼を愛しく思う気持ちも。
これらの経験の無い事象は、ミコトを大いに戸惑わせた。
それでも湧いてくるサクヤが欲しいという、狂ったような渇望。
それは日増しに、全てを侵食していくようだった。
嫌と思わず受け入れている自分自身が、一番怖いのだが。
「教授、課題を送付しました。試験代替のご配慮ありがとうございます」
アカデミアの一室、たった一つのデバイスが置かれただけの研究室。
サクヤに触れることが叶わず、夜毎に無様に自らの生殖器を握り締めているその手で、戸を叩く。
そんな異様さを無視して、ミコトは室内の中年男性に声をかけた。
「ああ、うん、良くやってたね。受理したから心配せず行ってきて」
「承知しました。是非またご鞭撻の程よろしくお願い致します」
サクヤのことが知りたい一心で、今まで全く興味の湧かなかった分野に手を出した。
国が教育を支援するということは、とどのつまりより学べという事なのだろう。
「私の分野は発生だから君の将来とはあまり関わりがないかもだけど、うん。お父上にもよろしく」
「はい。失礼します」
全てが人工知能で網羅されたこの時代。
ミコトにとって学舎は、自分のような未熟者を炙り出し、他のAlphaより劣っている現実を突き付けられる、そんな場所だった。
だからこそ人間の教育機関ではなく、データセンターの一つでも増やすべきだと、そんなスタンスで過ごしていた。
「ミコト、今帰り?」
そしてどちらかといえば、それはAlpha以外の大多数の国民寄りな思考であったし、底辺で燻る要因でもあった。
「来月末のうちの企業報告会に来る? 養蚕の遺伝子操作担当者来るよ」
「うん、行く」
それでも。
鬱々とした態度で過ごしていても、底辺を這うような学力でも、ミコトの周りには人が絶えなかった。
「最近付き合いいいよな。明日の試験勉強も一緒にやろうよ、できれば岩永社長から培養食品学の助言を頂きたいんだけど」
皆が、自分が生まれ持った頭脳ではなく、強大な家柄という後ろ盾を求めるからだ。
そしてそれが更にミコトを卑屈にさせていた。
その価値を活かしてどこぞの優秀な人物と懇意になり、ゆくゆく受け継ぐであろう会社の基盤を固める……それが最適解であると頭では理解していたのに。
「いいよ。明日は勅命があるから、俺は試験受けないけどね」
自宅に級友を招くこともしなかった。
父には級友と比較され嘆かれると思っていたし、級友には父との遺伝的繋がりを疑われると思っていた。
ある日突然誰も知らない聡明な頭脳を持った人物が、後継者という血筋に惹かれて、自分の全てを受け入れて面倒事を全て代わってくれればいいのに。
どうせ身辺調査は父がするから誰でもいい。
そう、思っていた。
「じゃあ勉強する必要なくない?」
「皆の話を聞くのが楽しいし、もっと何を考えてるのか知りたい」
その願いは半分……いやその更に半分程、叶ってしまった。
ガラスの向こう側に座って、奇妙なコミュニケーションしか取れない、そんな奇天烈な関係だが。
しかし彼について、いくら調べても出てこない。
AIに聞いても分からない。
もちろん父も知らない。
ならば聡明な頭脳を持った人類と関わるしかないのだと行き着いた。
「はは、やっと老舗の跡取りって覚悟できてきたんだ」
幸いにも此処は人類の数%しかいない、遺伝子に選ばれた賢いAlphaの通うアカデミアだった。
AIで統制されたこの世界だからこそ、人間同士で知識の擦り合わせをする。
奇抜な発想と柔軟な思考こそが、唯一人間に残された領域なのだと、皆知っていたのだろう。
サクヤに出会う前の自分を除いて。
「うん、まあ」
ミコトは少しだけ笑い、コロニーの中央、円柱型のドームに大きく咲いた桜色を遠目に見る。
あらゆる重要機関の真ん中に位置した、国立繁殖センターの象徴である桜は、年に4度春を迎える。
草花が咲き誇る、この世界で唯一の春。
「またキャベツ畑見てるの? ミコトは胎内回帰願望が強過ぎるわ」
友人は隣でしっかりと防寒着を着込み直し、赤い鼻を鳴らしながら、ミコトをからかうように笑う。
白くなった吐息が、すっと消えてゆく。
「桜色の盛で綺麗だし……あの下は暖かそうだなって」
ミコトはそう呟いて、誰にも触れられぬように断絶された春から、目を逸らすように俯く。
微かに灰色の空が、天井に積もる雪の隙間から僅かな光を落とし、足元に影を滲ませている。
この凍えそうな世界と、向こうの世界は、まるで違う。
「まあ、春だからな」
薄い衣類を身に着け、健康そうに焼けた身体を弾ませながら笑う、脳内に住み着いたサクヤ。
顔に散った花弁のような跡は、そばかすと言うらしい。
まるで春を体現したような彼は、きっとこの寒さには耐えられないだろうなと、根拠もないのにそう思う。
「桜の下には死体が埋まってるって古い言葉があるよ、墓標だったのかも知れないね」
ミコトが顔を上げると、友人と目が合う。
彼は確か実家が養蚕業で植物に精通していたはずだ、今の時代の蚕は葉ではなく岩を食べるらしいが。
「旧技術世代はあんな大樹が大地を覆ってたんだろうね」
「……そうなんだ、知らなかった」
こうして知識が一つ一つと増えてゆく。
そして自分だけが知っていることもある。
あの桜色の下には、珠玉が隠匿されているのだと。
誰にも知られる必要はない。
自分の中で噛み締め、慈しむ。
仄暗い優越感に浸りながら、ミコトはヒビ割れた地面を靴でなじった。
サクヤとも、こうして空気を振動させながら会話ができればいいのに。
けれどそう多くは望まない。
明日には一時ではあるものの、あの美しい瞳を自分は独占できるのだから。
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