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Year 1 - #2
Year 1 - #2
国立繁殖センターの隣接した建物。
一見どこにでもあるような至って普通の搬入口。
そこのセキュリティに生体デバイスを翳し中へ入ると、地下へ向かう昇降機がミコトを待っていた。
操作パネルもないそこに乗り込めば直ぐに閉まる扉。
そして足の裏から、じわじわと、時間を掛けて下がってゆく感覚が伝わってきた。
サクヤに会える。
待ち侘びたこの日に浮足立って、時間ぴったりに指定された場所に来たというのに。
自分の足でどうにもならない移動が、もどかしい。
どのくらい下がったのかも分からない、それでもガクン、と小さく揺れて止まった昇降機から、ミコトは忙しなく飛び出す。
廊下は細く長く、誰かとすれ違えば肩が触れそうだった。
おそらく、そんなことは、ないのだろうけど。
『イワナガ様』
小さな案内AIについて行くと、ひとつの扉が開いた。
廊下側に開いた重厚な開き戸は、それより廊下の奥へ進むことを物理的に許さない。
ミコトは大人しくその部屋へと入る。
昇降機と同じ位狭い。
あるのは大きめの人体用洗濯機と、着替えと、それだけ。
『衣類を全て取り払った上で洗浄を願いまス』
一緒に入ってきた案内役が、面食らうミコトの足にガツガツとぶつかってくる。
催促しているのだろうが、こんな無礼な機体は初めて見た。
「ここまでする必要ないだろ」
『あります、規則であり義務でス』
手持ちの中で一番いい服を着てきて、髪も肌も店で整えて貰って今を迎えたというのに。
それでも従わない選択肢はミコトにはなかった。
服も生体管理デバイスも指示されるままに壁の窪みに押し込んで、狭い人体洗濯機で徹底的に洗浄されるのを黙って受け入れる。
まるで自分が、外界から迷い込んだ汚い生物のようだった。
『不快はございませんカ』
「うん、ないよ。ありがとう」
一つの刺激もない滑らかな保湿剤が、石鹸によって身体の油分を全て奪われた肌に、深く浸透させられる。
整髪剤を洗い落とされた素の髪はいつにも増して柔らかく、用意された白い衣類はミコトのものより上質な素材で、寸分の無駄もなく。
全て上位互換の品で書き換えられてしまった。
サクヤに少しでも良く見てもらえるように、と思って準備してきたのだが。
ここまで徹底されてしまうと、あの可能性が頭を過って仕方ない。
もしかして、今日はあのガラスが、ないのかも。
『こちらへお入り下さい、責任者が説明しまス』
まるで他都市の貴賓を迎えるような、無機質で上等な奥行きのある部屋に通された。
バクバクと高鳴る心音を聞きながら、足は自然と中へと進む。
たった数メートルの距離だった。
そう物事は上手くは進まないと、過度な期待はしてはいけないと、分かっていたのに。
部屋の最奥で、面会室と同等か、それよりも厚くなったガラスに手を這わせながら、ミコトは酷く落胆した。
『洗体はどうだったかい。告知もなしに失礼した』
「いえ、義務ですので……」
『この施設では外部からの持ち込みは衛生上、遠慮してもらっているのでね』
たとえ部屋が変わっても、頭上のスピーカーは健在だった。
きっと施設長には、自分の愚かさも滑稽さも、全て見通されている。
『こちらで用意したものに不備があればいつでも指摘してくれたまえ』
相変わらず抑揚のない声にそう言われ、ミコトはガラスに映る自分を見遣った。
自宅を出てきた時とは全く異なる衣服に身を包んだ、飾り気のない姿。
自分がただの適合者として此処にいることを、思い知らされるには十分だった。
そして、いつだって同じ白い……とても上等な、白いだけの衣服を身に着けたサクヤと、釣り合いが取れている。
浮かれていた自分の足元を簡単に掬われて、格の違いを見せ付けられたのだ。
悔しさを孕む羞恥心を押し殺すのが精一杯だった。
「……お気遣い感謝致します」
そう言ってミコトはガラスに付いた手をキュッと握り締める。
まるで壁の一面に水槽をはめ込まれたようなここに、このガラスの向こう側に、サクヤは来るのだ。
椅子がひとつだけ置かれている、温かみの一つもない白い部屋。
対してこちら側には、シャワーブース、重厚なデスクとチェア、ゆとりのあるベッドという、ミコトの自室にあるものより数段上の物が備え付けられていた。
「前回までと、待遇が随分違いますね」
『ミコト殿は罪人ではないからそれなりの設備と面積が必要になる、自由に使ってくれて構わない』
「ここでは僕の人権は無視されるのかと思ってました」
『君はAlphaだ、そんな訳ない。Y-0398は少し遅れているようだがそのうち来るだろう』
そして複数もある天井のスピーカーと、あからさまなカメラ。
罪人ではないにしろ、実験動物に近い。
それでもミコトにとってそこから聞こえる声は、相変わらず天啓のように思えてしまう。
望みに望んだ愛おしい数字の羅列を耳にするだけで、足の裏がむずむずして、キュッと指を丸める。
『緊急時には壁の呼び出しを。使わないことを願っているよ』
「承知しました」
『それから』
「はい」
『勤務期間の繁殖可能個体との直接的な接触は一切ない、そのつもりでいるように』
そして静かになる部屋。
まともな呼吸もできないまま、背後のベッドにドサリと腰掛けた。
思考を止めた頭は、茫然と視覚情報を処理してゆく。
脚の曲線美に沿って、繊細に彫り込まれた、名も知らない花。
背凭れから座面まで贅沢に張られた輝くような生地は、いかにも柔らかく、肌触りが良さそうだ。
装飾性は高いが、恐らく寝台を兼ねた長椅子なのだろう。
そこに座るのはサクヤ。
そう、サクヤだ。
椅子に脚を組んで座るのか、それとも寝転ぶのか分からない、けれども、ここにサクヤは来るのだ。
昨日は確かに、此処に来れるだけで、あの瞳を独占できるだけで、それだけで良いと、思ったのだ。
滑る肌触りのシーツに、脱力するように身を横たえる。
「……サクヤ」
情けない声だった。
まるで幼子が父を呼ぶような、自分を見つけて視界に収めて欲しいと強請るような
ガラスの向こう側、勿論ひとつの窓もない壁にくり抜かれただけの出入り口。
鮮やかな色彩が現れて、ミコトは見間違いかと目を瞬かせる。
「サクヤ」
教えられた指での会話は、会えなかった3ヶ月間で徹底的に頭に叩き込んだ。
自然と指が動いてそう合図すれば、入ってきたサクヤは満足そうに目を細める。
サクヤは両腕いっぱいに青紫色を抱えたまま、美しい椅子には目もくれず、ガラスの前に座り込む。
『どうしたの ミコト』
手にしていたそれらを膝下に置きながら、未だ身体を起こせないミコトを見て笑う。
『みて きれい』
吸い込まれるように、ミコトも身を起き上がらせ、サクヤ同様に床に膝を付く。
同じ目線にしようと思うと、必然的に背が丸まってしまう。
「うん きれい みたことない」
先程迄ひとり鬱々していたというのに。
『ここにはよくあるよ そとはさいてないのかな このはな』
花。
それが咲いているのは世界中でキャベツ畑か、富裕層の食卓くらいだ。
「おいしいの」
『おいしくないよ』
食用でないなら尚の事、目にすることはない。
サクヤは心底おかしいとばかりにクスクス笑っている。
その様子が狂いそうな迄に愛しいのに、住む世界が違い過ぎて、少し、苦しい。
『みててね』
そう綴った指先が、花弁をひとつ、千切ってしまう。
爪が白くなる程に力を込めているサクヤ。
「なにしているの」
サクヤはにっこり笑うと、ミコトの前に人さし指を向けて。
そしてその青い色素を纏わせた指先を、ガラスにゆっくりと、擦り付けてゆく。
『ミコト』
所々掠れた、小さな青紫色の名。
完璧な鏡文字を迷うことなく書き進めてゆくサクヤに、ミコトは只々驚いた。
「サクヤ、文字が書ける、の?」
驚き過ぎてきちんと指を折れていたか分からない。
けれど再び指先で花弁を練りながら、サクヤは少しだけ誇らしげに唇を尖らせ頷く。
ミコトの指先と口元を交互に見る艶々の瞳は、もしかしたら読唇術も備えているのかもしれない。
『会いたかった』
立て続けに綴られる言葉に、ミコトは呼吸を忘れて見入ってしまう。
パーソナルAIと国から配布されるデバイスに管理されたこの世界で、文字を書くという行為は不要で廃れた文化だった。
だからこそサクヤの綴る少し雑で丸い文字は、整った書体に慣れたミコトにとって、ほんの少し読みにくい。
『今日をずっと待ってた』
『でも遅れて ごめんね』
それでも自分ただ一人に向けられた文字は、強烈にミコトの脳を揺さぶる。
今すぐにでもサクヤを連れ去りたい。
誰も知らない場所で、滅茶苦茶に素肌を合わせたい。
永遠に自分の腕のなかに閉じ込めてしまいたい。
そんな愚かな願望をサクヤに知られて気味悪がられるわけにはいかず、ミコトは震える指先を折りながら精一杯の思いを綴る。
「……俺も、会いたかったよ」
そう声に出しながら、目頭が熱くなるのを感じた。
今まで指を折るだけで、どうせ聞こえないからと口を開けることすらしなかった。
『嬉しい』
思いが伝わるだけで、こんなにも幸福感を得られてしまう。
『ミコトの出生日はいつ?』
「先月成人したよ。サクヤは?」
『初めて会った日』
「そう」
こんなにも恋焦がれているのに、彼の事を何も知らない。
『ミコトは背が高いね』
立ち上がって手招きする手に、なんの疑問もなく従うミコト。
ガラスにぺたりと背を張り付けたサクヤは、同じように、とガラスを突付く。
そしてミコトが背を付け、振り返ると、丁度自分の頭頂の辺りに数センチの横線が引かれていた。
『これくらい』
「サクヤも、もう一度背をつけて」
素直にガラスにくっ付いたサクヤの頭頂部に、指を置く。
先程は分からなかったが、こうすると、その途轍もなく惹かれる首筋が、よく見える。
『これオレ?』
「そう」
ミコトの指先に青紫色に染まった指先をぴたりと重ねて、掠れた線を引くサクヤ。
『10センチくらいかな』
「12はあるかも」
ふふ、と笑いながら再び座り込むサクヤ。
上質な衣服に時折青を零しながら、楽しそうに文字を綴る。
『ミコトは笑うと右だけにえくぼができるね』
『昨日の栄養錠剤すごく不味かった』
『ミコトたちも同じの飲むの?』
『好きな食べ物ある?』
『ミコトはいつも何してるの?』
『どんな生活してるの?』
『家族は?』
速度はそんなに速くないものの、怒涛の文字で返事が追いつかないし、サクヤは偶にこちらを見ることを忘れてしまう。
なので途中からミコトがガラスに書かれた文字を指差しで拾い始めたのをきっかけに、サクヤは五十音表を書いてみせた。
「濁点はどう表そうか」
『2回曲げるとか? 疑問符もいるね』
「手の平だけじゃなくて手の甲も使ったらいいのかも」
『うん、賛成。すごく楽しい』
「俺も楽しいよ」
徐々に会話がスムーズになり、いつもの指文字のルールを決めたりと、だいぶ余裕も出てきた。
話題は尽きる事がなかったし、このやり取りが次回からの逢瀬にも繋がってゆく事が、嬉しかった。
『疲れたから休憩するね』
暫くのやり取りのあと、そう綴ったサクヤ。
そして散々書き連ねた文字を、何の躊躇もなく、その袖口で拭き取ってしまう。
「消すの、もったいないね」
『ミコトが見えないからね、またかくよ』
サクヤは椅子に座ることなく、その脚に背を凭れさせるだけだった。
「体調、大丈夫?」
『うん、ありがとう……でも、もうすぐ時間かな』
そう零して青い指先で、ワシャワシャと髪を掻き混ぜるサクヤ。
髪の隙間から見える瞳が、潤んでいる。
『帰るのはさみしいの、すごく』
「俺もいつも寂しい、いつだってサクヤに会いたい」
食い気味にそう言ってしまい、物凄く恥ずかしい。
それでもサクヤは頬を赤らめ、笑ってくれるのだ。
『次は何を話そうね』
「もっと一緒にいたい、サクヤ」
『困ったミコト』
そう言ってサクヤはガラスを撫でる。
恐らくミコトの頭を撫でたのだろう。
『また会えるのを楽しみにしているね』
立ち上がり、小さく手を振ったサクヤは、そのままもと来た出入り口へ消えてしまった。
花の残骸と、それを踏んで出来てしまった足跡。
それを茫然と眺めたまま、ミコトは暫く動けなかった。
部屋には甘い香りが充満していた。
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