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Year 2 - #1

Year 2 - #1 地獄のような時間だった。 偶に父の職場に顔を出す大田原に、直接聞けば良かったのかもしれない。 しかしあからさまに思い悩む彼の後ろ姿を遠目に捉えて、胸の内を何かに喰まれるような嫌悪感を抱いてしまった。 彼に向ける顔を取り繕えるとは到底思えず、徹底的に避けた、その結果。 夜ごとに襲い掛かるのは劣情ではなく、酷い不安感に取って代わった。 布団の中で、憶測や伝聞は無駄だと、そう言い聞かせ何度も奥歯を噛み締めてしまい、、一体いくつのマウスピースを食い千切ったことか。 自傷よりはマシだろうと思うあたり、冷静ではなかったように思う。 国立繁殖センターの大きな建物。 地上から見える場所にサクヤはいない。 カムフラージュのように隣接した建物から、地下へと進む。 不気味な程清潔で変哲のない空間に溶け込めるよう、大人しく洗浄を受け入れて、早く終われとじっと待つ。 誘導用AIは追従するだけ電力の無駄だと思ったのか、濡れた髪のままいつもの場所へと向かうミコトを咎めることすらしなかった。 背後の扉が閉まるのを確認することもなく、部屋の奥へと駆け込む。 「サクヤ!」 眼前に広がる光景にミコトは息を呑んだ。 透明なはずのガラスはびっしりと書き込まれた文字で蒼く染まり、その全てが自分に向けられた言の葉であることに気付いて身体の芯が震える。 暫く惚けていたミコトはハッと我に返り、ガラスの向こう側に居るであろうサクヤを探す。 青い文字の隙間、証明を落とした部屋に、こちらの光を透かして床へと同じ青を落としている。 まるで、水槽のような。 美しい長椅子も、上質で柔らかそうな衣類も、日焼けが引いた柔肌も、白金の少し伸びた髪も。 全てが透き通った青を受けて、煌いているようだった。 たとえこの厚いガラスがどんなに音を立てても向こう側に響かないとしても、小さく丸まって眠るサクヤを起こさないよう、そっと静かに後退る。 腰を抜かすように背後の寝台に倒れ込み、深く息を吐いた。 どれだけの時間をかけて綴ってくれたのだろう。 相変わらず癖のある、偶に逆を向いてしまう文字の全てが愛しくて仕方ない。 「サクヤ、起きて……」 久しぶりに腹の底から穏やかな声が出て、ミコトはやっと息を吹き返したような感覚を噛み締めた。 醜い嫉妬心も、苛立ちも、自己嫌悪も、此処に来てサクヤを視界に収められている間は、押し寄せる多幸感に覆い隠されてしまう。 限られた時間内に、たくさん書くのは大変そうだったサクヤ。 俺のためにこうして頑張ってくれたのだとしたら、とても、嬉しい。 けれど肝心のサクヤは眠ったまま。 「こんなにたくさん書いてくれたんだね、疲れたよね」 大事そうに腹を抱えて丸くなる姿は、まるで深海で抱卵する美しい生命のよう……。 そう考えた所でミコトは身体を突発的に起こす。 知りたいことが、確認したいことが頭を駆け巡るも、ここにはなんのデバイスもなかった。 地上に100億もの人類が繁栄していた旧技術時代。 その頃の人類は自然繁殖が可能だったのにも関わらず、女性が生涯出産するのは多く見積もっても片手で数えられる程度。 双児すら稀だったはず。 他の動物とは異なり、発情期を持たない人類。 過去のデータを見る限り、定まった日ではなく、一年を通してヒトは出生していた。 と言うことは、通年でひとつないし複数個の生殖細胞を、定期的に育める身体であったということ。 例えばサクヤとの面会は年4回、それが周期なのだとしたら? 年4回で現在の人口を賄えるわけがない。 知識が不足し過ぎて頭痛が止まらない。 結局自分はサクヤについてなんの知識もなく、繁殖可能個体としてどのような境遇に置かれているのかすら知らないのだ。 視界の隅で影のような何かが動く気配がして顔を上げる。 袖口を青い文字だったもので染めながら、ガラスを拭き上げるサクヤと目が合う。 「消してしまったの?」 『起きて読み返したら恥ずかしくなったの、忘れて』 「忘れられないくらい嬉しかったんだ、おはようサクヤ」 『おはよう、寝ててごめんね』 今まで気にも留めなかったサクヤの、不自然な程にゆとりのある衣類と、膨らんだ下腹部。 何か食べたばかりではないし、そもそも胃にしては低過ぎる。 胃下垂、は、サクヤの程よく締まった手脚から推測される身体には、無縁のような気がする。 そういえば、サクヤが何かを口にしているところを、見たことがない。 「サクヤ、食べ物は何が好き?」 『甘いもの! でも肉食獣だから毎日感謝祭でもいいくらい』 茶目っ気たっぷりに笑って見せるサクヤ。 「差し入れ許可が出たら、なにか持ってきてもいい?」 ミコトの提案に何か不味い事があったのか。 愛らしい笑顔のまま眉尻を下げて、困ったような、ぎこちない表情にさせてしまった。 『ありがとう、楽しみ。 でもミコトの前では食べられないの』 「どうして?」 『ミコトが帰ったらすぐにサイランするから、絶食なんだ、ごめんね』 下腹部を撫でる青紫色の指先。 知りたいと思えば、サクヤは何でも教えてくれるだろう。そのサイラン、とは、腹で育てた卵子を採取することなのか、と。 それでもミコトは躊躇っていた。 サクヤ本人から事実を知って、正気を保てるとは到底思えなかったからだ。 「サクヤ、好きだよ」 薄っすらと感じている絶望に蓋をして、ミコトは精一杯の想いを伝える。 「いつだってサクヤのことを考えてる」 愛らしいソバカスの肌も、耳も、首筋までもを赤に染めて、目を見開くサクヤ。 想定外の表情がいつもより幼く見えた。 『……オレもずっとミコトが好きだよ、両思いだね』 照れたように笑いながらガラスに凭れるサクヤの髪をそっと撫でる。 相変わらずの冷たい無機質の向こう側、その柔らかな手触りを脳内で補完しながらミコトはそっと目を細めた。 サクヤが不安や怒りに翻弄されている姿を想像するだけで、気管支がぎゅっと狭まる。 だからどうか自分と居る時は笑っていて欲しい。 「俺にとってサクヤは唯一だから」 『ミコトは外にお友達いるでしょ、たくさん』 「友達はいてもこんなに愛しい人はいない」 食い気味に断言してみせると、サクヤはミコトの手元から視線を上げて、じっと見つめてきた。 『全部、幻覚だったら?』 眉尻を下げて、寂しそうに。 「それでも好き」 『触れられもしないのに』 「幻覚でもいい、サクヤに会えるだけで、今だって、幸せ」 『……意地悪言ってごめんね、オレはちゃんと代謝維持してる生物だし、ミコトが好き』 毎度手にしている花も、身に着けた衣類も、臆することなく使う椅子も、所作も、見える限りは天上人のような待遇である。 読むだけではなく書くこともでき、会話の滞りも全くないのは、恐らく高等教育も施されているからだ。 それでも、サクヤは此処で、きちんと人として扱ってもらえているのだろうか。 その服の下に、罰せられたような痣を隠してはいないだろうか。 余計だと分かっていても、そんな考えが頭を過る。 「サクヤ」 『なに?』 「傲慢かもしれないけど、君が望むことは、何でもしてあげたいと思ってる」 『うん、ありがとう』 そう笑うサクヤに胸が締め付けられる。 何でもしてあげられる程の力も、権力も、資金も、全ては自分にはないのだけれども。 「絶対にサクヤを守れる程の力を付けるから、だからどうか」 指先をじっと見つめていたサクヤと、不意に視線が交わる。 その潤んだ瞳は、ミコトにその先を言葉にすることを、促しているようだった。 「俺だけの、サクヤでいてほしい」 「誰にも、他のAlphaにも、見せたくない」 「俺だけに好きと言って」 此処に来て落ち着いていた感情が、堰を切ったように溢れ出てゆく。 気味悪がられてしまうかもしれないと思っているのに、捲し立てる指先が止まらない。 サクヤなら受け止めてくれると、頭の何処かで迷信してしまっているのだ。 『ミコト』 青い指が名を呼んで、ミコトはぴたりと止まる。 その一挙一動にミコトが過集中していることを、サクヤはきっと知っているのだろう。 『嬉しい、大好き』 どのタイミングで愛を囁やけば良いのかも。 『オレはミコトだけが好き、他の外の人とは会ったこともないけど、ミコトだけ』 スッと目を細めて、頷きながら頭を寄せてくるサクヤ。 『オレを想って行動してくれるの嬉しいよ、がんばってね』 そして、ミコトは容易く火をつけられてしまう。 next

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