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Year 3 - #3 ※R

Year 3 - #3 / Total #11 美しい真珠のような涙を受け止め続ける象牙色の床には、一際目を引く青紫色の花弁が散っていた。 「サクヤ、どうした?」 何度呼びかけ続けても、崩壊した涙腺から溢れるそれは止まらない。 それどころか、益々数を増してゆく。 『ミコト……』 ワナワナと震える唇がほんの少しだけ開いて、何かを呟く。 いつものはっきりとした口の動きではないため、何を言ったのか正確に読み取れない。 それでも、決してミコトにとって良い言葉ではないことは確かだった。 「……冷えるから、せめて椅子に座って」 何故泣くのか、何故辛そうなのか、何故何も言ってくれないのか。 触れることも会話することすらできないガラスを隔てたこの関係を、何故かとても強固なものだと思っていた。 常にサクヤの笑顔が向こう側にあったから。 「サクヤ、どこか痛いの……? 人を呼ぶ?」 最初の頃に説明を受けていた緊急呼出ボタンを指差すと、サクヤの顔がパッと上がる。 『……だめ』 「でも、無理はしないで」 『押したらミコト帰らされちゃう』 そうとだけ紡いで、サクヤは再び俯く。 小さく揺れる肩を自分でぎゅっ、と抱き締めるその様子は、ミコトの呼吸を酷く浅いものにした。 サクヤの悲しみも、不安も、苛立ちも、眼球を通して脳に刻み込まれてゆくような感覚。 苦しい 大切なもの 取り上げないで 下から覗き込んだサクヤは、恐らく、こういった言葉を零していた。 脳内で全てが合致した気がしてて、スッと心が冷えてゆく。 「サクヤ」 膨れた腹を守るように抱えるサクヤ。 その内側には、過剰な数の生命の欠片が蓄えられているのだろう。 自分ではない誰かに、渡すために。 サクヤの視界に入るよう、ガラスと床のギリギリの部分を指先で叩く。 こちらをみて、の合図が今日は届かない。 「俺はここに居ても良い?」 地面に向かって毛先を落としたままの睫毛。 あんなに美しかった真珠母貝の髪は、いつの間にか油分が抜けてより軽くなっている。 桜色の瞳はこちらを見てはくれないものの、視線だけ動かして、ミコトの手元だけは見てくれていたようだ。 涙で濡れたサクヤの指先。 花弁を潰すことすらせずに泣き出したサクヤの手は、久々に肌の色をしていた。 『好き、ここにいて』 そう指では伝えてくれるのに、サクヤの唇は全く違う動きをする。 ミコトが くるから とられる 全身の血が凍りつくようだった。 衝撃が強すぎて、唖然とした顔すら取り繕えない。 絶望に似た酷い混乱の中、ミコトは懸命に思考を巡らせる。 そもそも不安定な生殖可能個体の支えになる、と言うのが自分がここに居る本来の目的であり、Y-0398は不安定になっているだけ。 そう自分自身に何度も言い聞かせる。 「サク、ヤ」 あれだけ愛しいと思っていた名前を、呼ぶことすら躊躇ってしまった。 「ごめんね 辛い思いさせてるね」 そう綴るだけで精一杯だった。 その瞬間、サクヤは両手で顔を覆ってしまう。 こちらを見てくれる事で漸く意思疎通の土台が出来るこの関係は、あまりにも脆い。 空調設備の僅かな機械音がするだけの部屋。 目の前には嗚咽を漏らしながら泣く愛しい人がいるのに、不気味な程の静寂がミコトを包み込む。 自分が音を立てなければ、この部屋はこんなにも静かなのだ。 「サクヤ?」 ぴたり、と動きを止めた薄い肩。 そして瞬きもせぬうちに、激しく咳き込むように蹲ったサクヤの両腕が、大量の液体でその袖を濡らしていた。 「施設長いらっしゃいますか!」 『ああ、いるし見ているよ』 頭上のスピーカーから、寸の間も空けずに返ってくる相変わらずの凪いだ声。 「介抱を願います、早く!」 『大したことのない嘔吐と過呼吸のようだが、必要ならば非常ボタンを』 この状態が大したことないと言うのなら、サクヤは普段どのような扱いを受けていると言うのだろう。 直ぐ側の壁に手を伸ばしたその時。 『今日のこの大切な時間を失うが、それでもいいのならば』 「……構いません」 『サクヤは嫌がっているようだけど』 その声でハッとサクヤを振り返る。 涙で濡れた顔に髪を貼り付けながら、見たことがない悲痛な表情で、何かを叫ぶサクヤと目が合う。 ガラスに貼り付いたサクヤの手に手を重ね、ミコトは小さく笑う。 「サクヤ、休んでおいで」 何か言いたげだった唇は、我慢するようにきつく結ばれた。 虚ろな瞳から絶え間なく流れる涙に後ろ髪を引かれながら、ミコトは壁際のボタンを強く押し込んだ。 耳障りな警戒音とともに、直ぐに色を変えたガラスは、あっという間に美しい椅子も、愛しいサクヤも、ミコトの視界から奪っていった。 貼り付けていた笑顔は溶け落ち、ミコトは壁に凭れながらズルズルと座り込む。 「……サクヤはこの国の大切な繁殖可能個体なんですよね、なぜ直ぐに助けようとしないのですか」 『大したことはないと言っただろう』 わなわなと、身体の底から震えが伝わってくる。 触れることすら叶わない自分が、とても、とても惨めだ。 『楽になりたいなら部屋から出ればいいのに、あの子が自分の意思で留まっていただけだ』 「何を、勝手な……!」 そこまで言って、ミコトは口を噤む。 『あの子はソレを押すことを望んでいたのかな』 「……自分はサクヤが大切なんです」 『相手の意思を無視して大切と言えるのかい、それはただのエゴでは?』 反発のしようもない正論が、身を削り取っていくようだった。 「……帰ります」 『そうか』 壁に付いた手に力を込めながら、ノロノロと、身を起こす。 振り返っても、ガラスの向こう側は何も見えない。 「この後のサクヤの処置はどうなりますか」 『規定通り行う、後が支えてしまうからね』 「そう、ですか」 頭上のスピーカーからは、何一つ余計な事は言われない。 しかし今日は少しだけ、違った。 『ただし』と前置きをした上で、ほんの少しだけ嗜めるような声が続く。 『あの子が幸福感を得られる薬を接種することになる、君が帰るのだから仕方ないね』 「……ここにサクヤは戻ってきますか?」 『あの子がそうしたいと言うのならね』 動けなくなったミコトに、頭上から大きなため息が降ってきた。 彼の人間らしい所を、初めて感じたように思う。 『着替えを用意させよう、シャワーでも浴びて仮眠をしたらいい』 ◇ 柔らか過ぎるベッドは好きでは無い。 まるで泥濘に沈んでいるようで、身動きが取りにくいから。 現に今もそう、甘い匂いが鼻腔を擽り、早く起きようと、そう思うのに。 身体はひとつも言う事を聞かない。 それでも何処かで小さな話し声が聞こえた気がして、頭が覚醒したと同時に、一気に身体を起こした。 目の前のすっかり透明になったガラスの向こう側、髪を弄るサクヤと目が合う。 『ミコト、ごめんね』 ガラスに張り付きそうな程近づいてきたサクヤは、そう綴る。 涙を這わせ凍えているかのような頬は、いつも通りの血色を取り戻し、光を蓄えたように艷やかだった。 開口一番に謝られる事がしんどくて、ミコトは左右に頭を振る。 「落ち着いたみたいで良かった」 『オレ、鼻が良すぎて……勝手に色々考えちゃうんだ』 「鼻?」 『そう、こっちにはミコトの匂いが届くようになってるからね』 伏し目がちな腫れぼったい瞼から、伺うようにみつめてくる瞳。 なかなか驚きはしたが、この部屋に来る度に洗われていることを思い出して納得してしまった。 『ほら、そこにダクトがあるじゃない』 「それって一方通行?」 『うん、そう』 ということはサクヤの匂いは届いていないのだと、なぜか落胆してしまう自分がいた。 『ミコトがオレの事好きって、言葉だけじゃないのが分かって凄く嬉しかったんだけど』 そこまで紡いだ指先が、潤む瞳を押さえつける。 『最近、ミコトの言葉と気持ちがバラバラになってる』 思い当たる節は有り過ぎる。 「ごめんね、サクヤを好きだと言う気持ちは揺るぎないよ」 「けれど、俺以外の誰かの為に身体を張ってるサクヤを見るのが辛かった」 「その腹の中にはたくさんの卵子が入ってるって想像しただけで狂いそうだった」 「愛しそうに腹を撫でるのを見て嫉妬した」 「相応しい人間になりたかったのに、俺の態度がサクヤを不安にさせていたね、ごめんね」 そして抱いてしまった、サクヤに対する嫌悪感。 五感の全てが、いつだってサクヤを求めてしまう程、愛おしいのに。 「サクヤと他人の子供がどこかにいると思うと、何をするか分からない自分が怖い」 サクヤは自分を軽蔑するだろうか。 「だから前みたいにガラス越しに触れたり、キスしたり、出来なかった」 いっそ罵倒してくれたほうが気が楽かもしれない。 『ミコト』 『そんなにオレのこと好きなんだ、嬉しい』 『たくさん調べてくれたんだね、頑張ったね、偉いよ』 それでもサクヤは笑って全てを受け入れてしまう。 噛み締めるように、うっとりと、瞳を瞬かせながら。 『地上にいた多くの野生動物はインファンディサイド〈子殺し〉して自分の子を雌に孕ませてたんだって』 『だから大丈夫、ミコトの感覚は普通だよ』 『それにオレは誰の子も孕んでないから、いつだってミコトの子を宿せる身体だよ』 『ね、安心して?』 それから、と、サクヤはほんの少し恥ずかしそうに続ける。 『もしミコトが他人に子を産ませてたら、オレも同じように思うよ』 髪をガラスに擦り付けながら、薄っすらと舌を覗かせる自らの唇をトン、と指差すサクヤ。 きすして 確かにそう動いた唇。 身体中の血液が滾るような錯覚に陥りながら、誘われるがままに従ってしまう。 ガラスの厚さを忘れてサクヤの唇に食らいつこうとしてしまったがために、ガツンと歯がぶつかった。 唇からほんの少し血液が溢れて、舌先が痺れるような鉄の味が広がる。 「サクヤ……」 ちゅ、ちゅ、と何度も角度を変えてキスを落としてくれるサクヤの手が、下の方で蠢く。 視線を落とすと、指先でガラスを撫でていた。 丁度そこに、期待で膨らんでしまった自分の下半身があることに気付いてしまう。 『可愛いね、ミコト』 唾液に濡れた唇で笑みを浮かべながら、ミコトの下半身を撫でていた指先で、そう綴るサクヤ。 袖を切り落とされたような、肘まで見えてしまう服。 「点滴、してたの?」 丁度関節の部分に、正方形絆創膏が貼ってある。 『そう、ここで水を飲んだから元気になったの』 指先でそこを擦りながら、ふと、何かに気付いたらしいサクヤ。 そしてそのまま、脇の辺りで結ばれた紐を解いて見せる。 『汚しちゃったし、この後処置もあるし、適当に羽織ってきたんだけど』 大きく開かれ、露わになる胸元。 『この下、何も着てないの』 にこり、と笑うサクヤの顔の下で、ずるずると、重力に負けてはだけてゆく布。 『見たい?』 ドンッと何かに胸を強くたたかれるような音がした。 見開いた目は、サクヤの素肌から一瞬ですら離せない。 「サクヤ、お腹、見せて」 見たいのは腹だけでは、ないのだけれども。 『いいよ』 そう綴ったサクヤはゆったりとした動作で立ち上がり、服の両端を持って、開いて見せた。 滑らかな肌と、退化せずに残っている淡い色をした乳頭、不自然な形をした腹部。 そしてその下、腹を撫でるかのように、ぴくぴくと上下に震える、幼い性器。 目の前に広がる光景に、ミコトは何も言えなかった。 そして恐る恐る、手を伸ばす。 皮膚を引っ張り、血管の透けて見える肌。 いつも慈しむように撫でているサクヤと同じように、そっと、その腹に触れるように、ガラスを撫でる。 服を離したサクヤの指が、腹を撫でて、23と綴る。 それだけの真珠がこの胎内に、育まれているということなのだろう。 サクヤはそれ以外何も言わず、満足そうな顔を浮かべていた。 「神々しいって、こんな感じかな……」 思わず零した独り言を飲み込みながら、腹の輪郭をゆっくりと辿り、その下……と指を這わせて気が付いた。 左右対称に、下腹部に痣ができている。 「これ、どうしたの?」 『そこにホルモン剤打ってるの』 サクヤに聞けば当然とばかりに返ってくる、ミコトの推測を裏付ける答え。 『目立つけどオレ男だし、頑丈だからそんなに酷い方じゃないよ』 居ても立ってもいられず、ミコトは目を伏せ、その腹の痣へと唇を寄せる。 そしてその下、サクヤの性器へ……と指先を這わせて、驚いた。 ぬるり、と、よく知った感触があった。 バッとガラスから離れると、手が鮮血に染まっている。 いつから出ていたのか分からない鼻血。 それでもまるでサクヤのそこに触れているようで、ガラスに指先を擦り付けながら、にちゃにちゃと、音を立てる。 『ミコト、興奮しすぎ』 はだけた服を直し、再び全て隠してしまうサクヤ。 そしてしゃがみ込み、ぺろりと、ミコトの血を舐め上げる。 『次はミコトの見せてね』 赤く熟れた舌先は、このガラスを濡らした血液と同じものを巡らせている。 そんな事を考えながら、ミコトは酷く高鳴る自分の鼓動に呼吸を乱す。 乾き始めた血を伸ばし、サクヤがしていてくれたように、ガラスに鏡文字を遺す。 上手く書けず、不格好なそれ。 しかしサクヤは笑うのだ。 『オレも、あいしてるよ、ミコト、またね』 ちゅ、とガラスにキスを残し、サクヤは出ていってしまう。 痴態に溺れたまま、ミコトはガラスに額を擦り付けた。 そして自分の書いた文字が、サクヤから見れば 『るてしいあ』 になってしまっていることに、やっと気付いた。 next

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