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果実
アカデミアにはふらりと立ち寄り、所属先の研究室へのの現状報告と、教授との会話に充てるだけになってしまった。
国に支援すると言われた手前、在籍だけはしておいた方がいいという父の助言だった。
結局、サクヤと出会ったことにより好転した人間関係も、なんとか転がり込んだ研究室も、全て捨てて自分の世界に閉じこもっている。
あんなに外部から情報を得ると息巻いていたのに、結局傷付くのは一緒だった。
国のシステムや、サクヤが搾取されている現状を良しとした訳では無い。
けれども自分がどんなに足掻いた所で何かが変わるわけでも無い。
そして気付いてしまったのは、自分より賢いAlphaの人々がサクヤのような繁殖可能個体と適合しているのに、このシステムが続いているということ。
結局自分は力もない一人の若造であり、サクヤと出会う前と何ら変わらないような気もしていた。
誰もいない静かな建物の一角、ミコトの父が代表を務める、岩永食肉会社が過去の遺物として葬っていた宝の山。
加熱後の食感が植物寄りだと言われて、開発を断念した固形の生食肉の試作ライン。
サクヤに会えない3ヶ月を、ミコトはほぼ外に出ることもせず、ここで過ごすようになった。
「従業でも員雇ったらどうだい?」
「こんな道楽に付き合ってくれる人なんかいないよ」
「セキュリティが今度こそミコトが爆破したと連絡を寄越すんだ、生身の人間に判断してもらおうよ」
壁に映し出した父を観ながら、ミコトは顔にこびりついたドロドロした生臭い液体を、高価なクリーンウエスで雑に拭き取る。
超吸水性ポリマーの吸水率を無理やり書き換えた際に、何かを間違えたのだろう。
超吸水性の計算式を無理やり書き換えて打ち込んだのが間違いだった。
バツン、とショートしたバイオリアクター。
そこから吹き出したのは、配給錠剤の原料である甲殻類の臭さと、何かが発酵したような、吐き気を催す不快感を伴った赤黒い粘液だった。
対処しきれなくなった精密測定器がジュ……と嫌な熱を持ち、早く処理しろと、けたたましい警告音を響かせる。
「ならセキュリティの権限も全部、俺に譲ってよ」
「おやおや、傲慢だね」
父に取り繕うのも辞めた。
相変わらず敬愛してはいるが、父の前で萎縮する時間すら惜しかった。
素の自分も愛して欲しいという、我儘もあるのだが。
「見慣れない家具があるね」
「ここで寝泊まりするから特注したんだ」
ラボのアクリル板の向こう側。
制御装置やら計算機器などの替えの効かない機器を集めた部屋を、勝手に居住区にした。
椅子として、寝台として使える何かが欲しくて、真っ先に思い付いたのはアレだった。
「ミコトにこんな趣味があったのは意外だな」
「そうかも」
曲線美の美しい脚。
花ではなく貝を主軸にした控え目の彫刻。
無理を言って深い青色に染色してもらった布を張った座面。
「地上に最愛王って呼ばれた統治者がいた頃の様式なんだって」
サクヤの使っているものよりも二回りほど大きいが、この長椅子はカウチソファと言うらしい。
「あまり地上思想が大きくなると抑圧されるよ」
「大丈夫、日下部木工所が国に収めてるやつの模倣品だから」
「ああ、あそこの木製家具かい」
このコロニーに木が生えているのはキャベツ畑くらいしかない。
特殊技術で蔦植物を圧縮して木材のように加工、という新興企業が現れたのはミコトが生まれた頃よりも少し前だった。
「ここの創始者を事業モデルにしたくて、父さんの名前でアポ取ったんだ。来月末付き合って」
「あまり私の後輩を振り回さないでやってね、久々に連絡が来て驚いたよ」
模倣会社はいくつかあったが、実物を見て合致した。
「日下部さんも適合者でしょ?」
父は悪戯に眉を持ち上げ、肩を竦めた。
公然の秘密というやつだ。
きっと日下部も、適合した繁殖個体がその尻を付け、時に寝転ぶのは自分の作った物であって欲しいと、変態的なまでに渇望したのだろう。
サクヤの口の中で舐め回され、噛まれ、薄い唇を濡らすような食品を与えたいという、ミコトと同様の狂気があったはずなのだ。
衣類も、生花も、食事も、薬も、そして恐らく医療器具も。
比類のない物ばかりに囲まれたあの場所は、触れられもしない唯一のために、愚かなAlphaたちが血涙を注いで創り上げた楽園。
そう考えれば全て辻褄が合う。
「楽しそうだね、ミコト」
「心配なら父さんもここに来て異臭の分析でもしようよ、嗅覚ディスプレイ遮断してるでしょ」
「では私の部屋と椅子も用意してもらおうかな」
汚泥に塗れたミコトを見ながら、父は心底楽しそうに笑って見せた。
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