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Year 10 - #4

Year 10 - #4 / Total #40 『これで最後だよ、ミコト』 ガラスの向こう側で、サクヤはそう笑う。 心臓が止まったようで、何も言葉にならなかった。 『今まで本当にどうもありがとう』 これで終わりだと、暗に伝えられているのだと、そう解釈した。 鼻の奥が急激に熱を持ち、ぱたりと、握った拳の上に水滴が落ちる。 『やだやだ、どうしたの、泣かないで』 それがサクヤの願いなら仕方がない。 目頭をギュッと押さえ、今後、サクヤはどうなるのか。 サクヤと目を合わせられず、その美しい指先を見ながら、一番聞きたかった事を問う。 『今後? ミコトと生きるよ?』 驚き顔を上げると、サクヤは青緑色の目を何度も瞬かせていた。 『ミコトが望んでくれるならって言ったよね』 思い当たる節は確かにある。 しかしあれが、たったのあれだけでサクヤの見受けが許可されていたという事なのだろうか。 『ミコトがオレを引き取ってくれなければ、この職員になるんだ』 サクヤ含めた繁殖可能個体だけが、この施設にいる訳ではないことは気付いていた。 医療行為、身の回りの世話、セキュリティ、思い付くだけでそれなりの人数がいるのだろうが、彼らが元繁殖可能個体だとは思ってもいなかった。 『そうなるともう会えなくなるの』 しかしよくよく考えれば、それはかなり効率の良いシステムではある。 ただ、彼らは一生をここで過ごすのだろう。 サクヤと二度と会えなくなるのは、絶対に嫌だった。そんなの耐えられるわけがない。 気が付けば喉の奥から絞り出すように、サクヤへ愛をささやいていた。 『良かった、ずっと一緒にいようね』 そう、それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべて、サクヤはその膨らんだ腹を愛おしく撫でた。 これが最後と言わんばかりに。 サクヤはここでの生活を、どう思っていたのだろうか。 『オレたちの人権は意外と手厚いんだよ、お賃金も出てたし』 サクヤが大切にされていることは、ここで過ごす間に徐々に気付いていた。 繁殖可能個体と呼ばれ、名もなく、身体を搾取されているのは確かなのだけど。 その身体に痣があることも、激しく精神を病むことも、なかったのだ。 『虐げられてないよ、ちゃんと、うーん、これは出られてから話すね』 まるでこの施設から出られることは当たり前のように笑うサクヤに、この年月ずっと抱いていた焦燥感が癒されていくようだった。 『ミコトの会社にもいきたいし、ミコトのお父さんにも会いたいなぁ』 そうだ、外に出ると言うことは、サクヤも他人との接点を持つということ。 外にいる自分以外のAlphaと出会ったら、サクヤは、何を思うのだろうか。 過去に適合者となったAlphaの面々とは会社を興してから何度か会ったことがある、皆パートナーがいるとのことだったが、一度もその姿を見たことは、ない。 『そうだ、外に出るにあたっては莫大な費用が……』 サクヤがこちらの世界に来るということは、全てを初めから揃えていかなくてはいけない。 住むところは自分と同じでいいのだろうか、他所にやるつもりは毛頭もないけれど。 今日で勤めが終わると言うなら、今日、今すぐにでも攫ってもいいということだろうか。 手始めにいくら払えばいいのだろう。 『掛からないんだけどね、オレひとりなら』 そう言うサクヤに酷く拍子抜けした。 しかし、含みのある言い方ではある。 『そうなの、だってここで10年もお勤め頑張ったんだよ』 そう言えば、給金も出ていたと言っていた。 サクヤはここでの逢瀬と、その後の手術を『お勤め』と言っていた。 字面通りの、仕事だったということか。 『ねえ、ミコト』 まるでその腹を撫でる時のような、慈愛の籠もった瞳で見られると、身体の隅々まで幸福で満たされてしまう。 『うん、って言ってくれるかな』 サクヤが望むのならば、なんなりと。 『あのね、オレね』 珍しく、手を右往左往させて、なかなか用件を紡がない指先。 『お腹で赤ちゃん育てたいの』 は。 『わ、どうしたの、そんな顔しないで』 自分がどんなに間抜けな表情を浮かべているかは、ガラスに映っているので、知りたくなくてもよくわかる。 好物を他人に取って食われ、絶望を隠しきれずに泣きそうな幼子……そんな顔だ。 『もちろんミコトがお父さんだったら嬉しいなって、思うんだけど』 ああ。 『いい、かな?』 そう言って撫でる腹には、誰の子でもなく、まだ無数の卵子だけ、と言うことでいいのだろうか。 『うん』 つまり、その腹があるべき平らな状態になった後、自分の子を宿してくれると、そういう事だろうか。 『そうだよ、オレとミコトの遺伝子を継ぐの』 散々腹を痛めていたサクヤが、自分との子を望んでくれる。 そんなに幸せなことがあって、いいのだろうか。 『どんな子でも愛してくれるかな』 自分との子を、腹で育むことに喜びをサクヤが感じてくれるのならば、愛しい以外何も無い。 『ミコトみたいなAlphaかもしれないし、オレみたいにOmegaかもしれない』 興奮するこの頭を、サクヤはスッと冷静に戻してくれる。 Alphaなら共に外の世界に、Omegaならば? 『オレと同じようにここで頑張るんだよ』 そうサクヤは笑う。 Omegaだったら可哀想だと、そう思うことはサクヤそのものを否定することになるのだろう。 けれど。 『女の子の可能性もあるんだよ』 それは、生命の選別を、しないから? 『そう、自然妊娠だからね』 女児であれば、Omegaであってもなくても、この施設で育てられるということだろうか。 この地にヒトのメスが安寧して暮らせる場所など、どこにもない。 サクヤと自分の子が、共に外に出てこられることは奇跡に近いと、そう言うことなのだろう。 『そうだね、きっとそれは奇跡だね』 こうしてサクヤと出会えたことすら奇跡に近いのだから、どんなことがあっても、全て、受け入れよう。 『うん、そうだね』 そしてふと、あの〈Physiological Prematurity〉という単語を思い出す。 子は腹の中でどのくらいの間、育つのだろう。 そして自分はサクヤをいつ、迎え入れることができるのだろう。 『妊娠期間とその後の育児期間があるから、2年くらいかな』 待ち望んだ10年の終わりに、2年の追加。 妊娠して、出産して、育児まで? ここで、サクヤひとりで? 『そうだよ、だって外の世界には胎内で子を育てる人も、乳を飲むくらい小さな子もいないでしょ?』 確かにそうだ。 今のサクヤですら、この世界に存在しないことになっている。 地上にいた哺乳類の多くは、その字の通り乳を飲み成長する。 ということは、もしや。 『そうだよ、この乳首から分泌液が出るの』 ぺろり、と上衣を捲って見せてくるサクヤ。 桜色の小さな乳首が、ツン、と存在を主張している。 『生まれてからじゃないと、出る出ないは分からないんだけどね』 その胸に唇を寄せる権利が、今まだ生まれもしない、卵として育ってもいない自分の子が既に持っている。 そんな事に気付いて独占欲を剥き出しにする、愚かな自分。 それでもサクヤの全てが、欲しい。 『ミコトも欲しいの? お腹壊しちゃうかもよ?』 困ったように笑うサクヤは、決して拒否したりはしない。 彼の中では既に、子育てをしているような気分なのだろうか。 『ミコトみたいになってくれたら、それは大成功じゃないかな』 小さな自分に似た子、同族嫌悪という言葉があるが、その半分はサクヤ由来なのだ。 きっと、恐らく、絶対に、愛しいと思わない訳がない。 『ふふ、楽しみだね』 とは言え、疑問はある。 いったいどこで、サクヤは子を育むのだろうか。 『ここで、妊娠も出産も子育てもするんだよ』 サクヤがこれだけ繁殖に関する処置を受けてきたのだから、まあ、妥当ではある。 『その期間はもうお勤めじゃないから、費用が掛かっちゃうんだ』 サクヤのような繁殖可能個体が妊娠することが、既に想定されているのだろう。 しっかりとしたシステムが出来上がっている。 『オレの貯蓄じゃ心許なくて、もし足りなかったら……』 皆まで言わなくてもいい、自分の子をその腹で慈しんでくれるのだから。 『え、ダメだよオレの子でもあるんだし』 サクヤには、これから何一つ不安に思ったり、苦しい思いをさせたくない。 そのために、ここまで、身を粉にして働いてきたのだから。 『ふふ、頼もしいね』 サクヤのその笑顔が、何よりの励みだった。 そして今だって、いや、以前にも増して、サクヤのために一生を捧げたいと、本気で思っている。 『だから次は直接会えるよ』 身体が大袈裟に跳ねた。 サクヤの言葉は理解できるが、理解しきれない。 会えるのは2年後に延期されたのでは、ないのだろうか。 『交尾しなきゃ赤ちゃんできないよ?』 サラリと、そう紡ぐサクヤ。 まるでからかうように、けれどもその瞳は、いつにも増して潤んでいる。 このガラスが取り払われ、サクヤの肌に、鼻を寄せることが許される、なんて。 『オレの匂い好きだもんね、理性無くなっちゃうかも』 正直、今だって揺らいでいる。 想像しただけでこんなにも、身体が熱い。 『出産と同時に卵巣も全部摘出するから、甘い匂いはしなくなると思うの』 輝かしいまでのこれからの未来と仄暗い現実。 サクヤが散々酷使してきた臓器は、傷だらけなのだろう。 『オレのこと覚えててね』 10年間身を焦がしてきたあの匂いは、いつまでも鼻腔にこびりついている。 匂いがなくともサクヤは、サクヤなのだから。 『愛してるよ、ミコト。3ヶ月後にまた会おうね』 身を裂かれるような時間だった3ヶ月。 それが今日からは、サクヤと、その子との生活のために費やせる準備期間となる。 恐らく、あっという間に過ぎてしまうだろう。 『待ってる』 額をガラスに擦り付けるサクヤ。 そこに小さく口づけを落とせば、あの花のように、ぱっと笑うのだ。 『そうだ、言い忘れてた』 サクヤの細められた目が、とても、可愛い。 『3日前からは禁欲しててね』 そしてサクヤは上衣に手をかけ、するりと、服を脱ぎ捨てる。 『これが最後だし、記念にえっちな思い出作ろうか。我慢がしんどくなるくらいの』 ガラスに押し付けられたサクヤの指先を、ぺろりと舐め上げる。 断る理由などどこにもない。 next

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