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契約
散々“思い出”を作った後、相変わらずサクヤはあっさりと行ってしまった。
そのままそこに残って手続きを、と思ったが、とてつもない性衝動の後の疲労で何一つ出来なかった。
そのためこうして、日を改めてこの部屋に足を運んだ。
もちろん、お勤めは終わったためサクヤはいない。妊娠に向けての最終メンテナンスが忙しいらしい。
「あんな口約束が契約として有効だなんて、どういう事ですか」
ガラスの向こうの殺風景な部屋に佇む、美しい椅子を眺めながら、ミコトは天井に向かってそう零す。
『言葉足らずな君たちに非があるだろう、他の番たちは大抵退役の1年前には誓いを立てている』
どれもこれも、初耳だった。
そう言うことは、少なくとも10年間のうち最後の1年間は、心穏やかに過ごせた、ということだろう。
サクヤが自分の元に来てくれると、そう安心感を持っていれば、サクヤのその後に気を揉んで悩んだりする必要はなかったのだ。
サクヤはなぜ何も言ってくれなかったのか、いや何も聞かなかった自分に非があるのだが。
『気が緩んだ瞬間に腑抜けたAlphaもいたからな、Y-0398の策略かもしれないが』
サラリ、サラリと恐ろしい事実を述べてくる頭上のスピーカーに、ミコトはその広い肩幅をぎゅっと縮める。
確かに、そうなのだ。
サクヤとの交尾の約束を取り付けた直後、あまりにも心ここにあらずの態度でいたため、父に叱責された。
“思い出”のせいで夜な夜な自慰をし過ぎて眠れなかったせいかもしれないが。
『単純に色欲に走り過ぎだな』
見られていると理解はしていたが、指摘されればそれなりに羞恥心は煽られる。
「繁殖可能個体の匂いで惑わせられたら、そうなるのも致し方ないかと」
『貞操帯まで付けられる個体はなかなかいないぞ』
「……そうなのですね」
『あれは賢いが探究心が強すぎる』
久々の施設長の声を頭上から聞きながら、ミコトはデバイスに表示された内容を読み込む。
生活方針、遵守事項、禁止事項、報告義務、費用負担、契約解除と返還。
サクヤと契約を結ぶにあたり、相当量の文に目を通さなければいけなかった。
「……サクヤは守られていたのですね」
『当たり前だろう、あの子らがいなければ人類は存続できない』
「悪い事ばかり考えていました、サクヤは囚われの身で自由を知らない哀れな無垢だと」
『サクヤが無垢? あれは理を知悉した小さな獣だぞ』
随分な物言いだが、それだけふたりは関わりが深いのだろう。
「獣。いいですね可愛くて」
『全く、不出来なAlphaだ……そう思えるなら僥倖だろうな』
すくすくと笑うミコトに、珍しく施設長は続ける。
『しかし正直、君がここまで我々の思惑に乗ってくるとは思わなかった』
「はは、素直なところが僕の唯一の取り柄だったので」
狂おしいまでの独占欲も、怒りも、渇望も、劣情も、全てを原動力にしてここまで来た。
とは言え、周囲にお膳立てされた部分は多いのだが。
『父君の会社までも食らい尽くすのは流石に想定外だったよ』
「結局は父の手中です、何かしら思惑があったのでしょうし」
ミコトの造った嗜好品が一気に流行となり、最近では国民の贅沢の代表格であった食肉に、陰りが見えるようになった。
元々纏った資金が手に入る度に父の主導で手を出していたので、吸収するまでそう時間は掛からなかった。
一旦まっさらにして余計なしがらみ等を切りたかったりと、おそらく、全てが手のひらの上。
『君の父君か、彼は特別だからね』
特別。
そう、ミコトにとって父は特別だ。
今だって何をしても、何一つ敵わない。
「施設長、お聞きしてもよろしいでしょうか」
『ああ、なんなりと』
「私が此処に呼ばれる真の目的は何なのでしょう」
『人類の存続の為に君が不可欠だからだよ』
「それは建前ですよね」
だからこそ特別ではない自分がここにいることが、とても不思議だった。
『同種のオスと競わなくなった生物はいずれ滅びる、人類のように』
サクヤが奪われる想像をして、ひとり苛まれ続けた10年間の事を指しているのだ。
「それは、そうですが」
『生物である以上、繁殖を巡る闘争心は必要だろう』
「私がサクヤに心奪われない可能性は想定しなかったのですか」
『後はサクヤへ聞けばいい。いつまでも羽化すらしない、怯えた繭のままのでいるなよ』
そこで、気付く。
「アカデミアの資料棟最上階の一室からは、ここの桜がいつも見えるみたいですね」
頭上のスピーカーから、微かに、笑うような吐息が漏れた。
『知っているよ……深淵を覗く時は深淵にも覗かれているのだと、あの子は賢いから理解しているよ』
その穏やかな声は、あのサクヤの笑顔を彷彿とさせるのだった。
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