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第4話 俺、こいつに恋した。確定で

大学のない日の昼に、片平征路から連絡が来た。 『今日、時間はあるか』 凪生はベッドの上でスマホを持ったまま固まった。 今日はバイトの日ではない。 つまり、業務連絡ではない。 たぶん。 いや、片平のことだから、休日でも平然と仕事の話をしてくる可能性はある。 むしろ、その方が片平らしい。 凪生はしばらく画面をにらんだ。 『何』 返すと、すぐに既読がついた。 『検証具の確認に付き合ってほしい』 「検証具」 声に出した瞬間、嫌な予感しかしなかった。 恋愛相談室で使う検証具。 響きだけで、まともなものではない。 香炉か、寝具か、妙に高そうな小物か。 それとも、もっとろくでもないものか。 凪生は枕に顔を押しつけた。 断ればいい。 バイトの日ではないし、片平も無理にとは言っていない。 そういう男だ。 凪生が嫌だと言えば、そこで話は終わる。 なのに、指は返信欄に触れていた。 『どこ』 送ってから、心臓が跳ねた。 行く気じゃん。 何でだよ。 凪生はベッドの上でしばらく転がったあと、立ち上がった。 服を選ぶのに、いつもより時間がかかった。 気合いを入れたと思われるのは嫌だ。 かといって、適当すぎるのも嫌だ。 何で嫌なのかは考えないことにした。 考えたら、何かが終わる。 黒の細身のパンツに、白いシャツ。 上に薄いブルゾンを羽織る。 鏡の前で髪を直して、すぐに手を止めた。 「だから何してんだ、俺」 それでも直した。 **** 指定された場所は、定禅寺裏から少し離れた商店街だった。 表通りほど人は多くない。 古い喫茶店。 小さな雑貨屋。 輸入食材の店。 古書店。 花屋。 休日の午後の光が、店先のガラスに柔らかく反射している。 片平は、古いビルの前に立っていた。 黒いコートに、薄いグレーのシャツ。 相談室で会う時より少しだけくだけた格好をしている。 けれど、背筋はいつも通りまっすぐで、手には小さな紙袋を持っていた。 凪生は近づきながら、少しだけ息を整えた。 「お疲れ」 「休日にその挨拶か」 「お前が検証具とか言うからだろ」 「確かに」 片平がわずかに笑う。 その笑い方だけで、凪生の胸が変なふうに跳ねた。 「で、何を確認すんだよ」 「まず店で操作機器を受け取る。その後、実地で反応を確認する」 「実地」 「外で使えるかを確認する」 「絶対ろくでもねぇやつだろ」 「正しい」 「認めんな」 片平は歩き出した。 凪生は少し遅れて隣に並ぶ。 並んで歩くと、片平の歩幅が意外と合うことに気づいた。 早すぎない。 遅すぎない。 凪生が店先へ意識を向けると、片平も少し速度を落とす。 そういうところが腹立つ。 自然に合わせてくる。 「何だ」 「何でもねぇ」 「今日はよく黙るな。どうした?」 「観察すんな」 「まだ分析していない」 「今のがもうしてるだろ」 「反応が早い」 「俺を検査対象にすんなよ。仕事病か」 片平は小さく笑った。 その顔に、また胸が跳ねる。 凪生は視線をそらした。 最近、片平の笑顔に弱い。 それが分かってきた。 普段は涼しい顔で、何でも仕事みたいに処理するくせに、ほんの少しだけ笑った時、胸の奥が落ちる。 検証中の熱とは違う。 杜香に飲まれた時の甘さとも違う。 普通の街で、普通に歩いているだけなのに。 片平の隣にいるだけで、落ち着かない。 **** 雑貨店は、店先からして落ち着いた空気だった。 木の看板。 磨かれたガラス。 店内には小さなライトや香り瓶、革小物、寝室用の照明、肌に触れる布製品が並んでいる。 要は、大人向けのおもちゃを扱う店である。 凪生は入ってすぐ、居心地が悪くなった。 恋人同士らしい客が多い。 二人で棚を覗き込み、小声で話し、同じ商品を指して笑っている。 その空気が、妙に生々しい。 片平は平然とカウンターへ行き、店員から小さな箱を受け取った。 凪生は横から箱を確認する。 無地の黒い箱。 説明書きもない。 「何それ」 「遠隔操作の小型検証具」 「まさか検証具って……」 「ローターだな」 「……っ、もう少しぼかせよ」 「ぼかした」 「十分ろくでもねぇよ」 片平は箱を紙袋へ入れた。 「相談室内での使用感は確認済みだ。今日は外での通信、操作遅延、段階調整を確認する」 「え、まさか、それ、俺がやるのか?」 「反応を言語化できる相手がいい」 「ちょ、ちょっと待てよ。俺は、検査機じゃねぇんだけど」 「嫌ならやめるが……どうする」 その言い方は、いつも通りだった。 凪生が断れば、片平は止める。 からかわない。 押し切らない。 そう分かっている。 だから余計に、凪生は腹が立つ。 「……やる」 ほんの少し、片平が安堵の笑みを浮かべたように見えた。 「そうか、ありがとう。感謝する」 それだけで、見返りを受けた錯覚を得た。 **** 店を出たあと、二人は一度、近くの貸しスペースへ入った。 片平が用意していた部屋だった。 白い壁に、小さなソファと洗面台がある。 凪生は紙袋を睨みながら、腕を組んだ。 「ここで?」 「装着だけ済ませる。外で調整するわけにはいかないからな」 片平は黒い箱を開けた。 中のものは、小さく滑らかな形をしていた。 凪生の耳が熱くなる。 「自分で入れられるか」 「できる……と思う」 「無理なら、手伝うが」 「はぁ、お前なんかに手伝ってもらうかよ。ほら、よこせよ」 凪生は検証具をひったくり、洗面台の方へ向かった。 背中に片平の気配があるだけで落ち着かない。 下着の中に手を忍ばせ、小さな震えの種を仕込む。 冷たい感触に身体がびくりとした。 位置を整えるだけで、変な汗が出る。 こんなの、普通におかしい。 なのに、片平に操作されるのだと思うと、身体の奥がもう熱を持ちはじめている。 この体は、片平に支配される、って事なのだ。 「終わった」 声が少し硬くなった。 片平は小型のリモコンを確認していた。 スマホとも連携するらしい。 画面に段階表示が出ている。 「低い段階から始める」 「そんなの当たり前だ」 「では、外へ出るぞ」 「平然としすぎなんだよ。何だよ、その仕事感」 「そんな事はない」 凪生は顔を上げた。 「どこが」 「俺だって……普通に動揺している」 凪生の胸が跳ねた。 けれど、片平はすぐに扉を開けた。 表情はいつもと変わらない。 今の言葉が本当か冗談か、判断できなかった。 **** 外へ出ると、休日の街は何も知らない顔で流れていた。 凪生は歩き出す。 一歩目は平気だった。 二歩目で、片平がリモコンに触れた。 「っ」 小さな震えが、身体の奥で生まれた。 弱い。 本当に弱い。 けれど、場所が悪い。 内側からくすぐられるような、逃れようのない震えがじわじわ広がる。 「どうだ」 「……変」 「痛みは」 「ない」 「不快感は」 「あるに決まってんだろ」 「厳しかったらいつでも言えよ」 「分かってるって」 そう言った瞬間、片平が少しだけ段階を上げた。 凪生の膝が止まりかける。 「っ、おい……」 「一段上げた」 「先に言えよ」 「言った」 「後だうろが!」 「歩けるか」 「歩ける」 「歩幅が乱れている」 「チェックすんな……っ」 凪生は奥歯を噛んだ。 街中だ。 人がいる。 店先には客がいて、車道には車が通り、少し先の喫茶店から笑い声が漏れている。 そんな場所で、身体の奥だけが片平の指に支配されている。 それが、恥ずかしい。 そして、悔しいくらい昂る。 杜香はない。 依頼者の感情もない。 これは全部、凪生自身の反応だった。 「少し下げるか」 「おい、勝手にするな」 「上げる方がいいか」 「そうじゃねぇ!」 片平の声は低い。 いつものように淡々としている。 けれど、凪生の横顔から意識を外していないのが分かる。 呼吸。 歩幅。 指先。 声の震え。 全部、確認されている。 俺の反応に注目している。 それがまた、身体の奥を煽った。 「慣れてきたようだな」 「ああ、まぁな……」 (てか、これマジでやばい……続けられたらまずいな) 体は確実に気持ちいい。 「どんな気分だ?」 「別に……」 ふいに強い震えが来た。 凪生は思わず、近くの壁に手をついた。 「っ、今、何か変えただろ」 「パターンを変えた……お前の好みの刺激で反応が見たくてな」 「こ、好みとか言うな。俺がいつもしてるみたいだろ。てか、何で、俺の好みとか知ってるんだ。初めてなんだぞ、俺は」 「大体分かる。これまでの経験からな」 (やばい、やばい、何でこんなにいいんだ? 刺激だけじゃねぇ……人前でこんな事をさせられて、こいつに制御されてるのがそんなに良いのかよ。くそ) 「凪生」 片平の声が近づく。 「一旦、中止するか」 「す、するな。平気だ」 「限界に近い。見れば分かる」 「くっ、誰のせいだと思ってんだよ」 凪生は息を乱しながら、片平を睨んだ。 睨んだつもりだった。 けれど、片平の表情がわずかに変わったので、たぶんひどい顔をしていたのだと思う。 「お前がやったんだろ」 「操作したのは俺だ」 片平の指がリモコンから離れた。 震えが止まる。 止まったのに、身体の熱は消えなかった。 むしろ、取り残されたみたいに奥が疼く。 凪生は呼吸を整えようとして、失敗した。 足りない。 煽られて、揺らされて、ここで終わりと言われたらたまらない。 でも、素直にホテルへ行きたいとは言えない。 言えるわけがない。 凪生はポケットの中で拳を握った。 「俺、検証してやったんだけど」 「報酬は出る」 「金じゃねぇ」 片平の目が静かになる。 「何が欲しい」 「分かってんだろ」 「言葉にしろ」 「……ホテル」 「だったら、収めるのもお前の役目だろ」 声が掠れた。 言った。 言ってしまった。 けれど、すぐに顔を上げる。 「勘違いすんなよ。お前がこうしたんだからな。俺は検証に協力してやった。しかも、お前の操作でこうなった。だから、お前がどうにかする。筋は通ってる」 「通っているようで、かなり強引だ」 「うるせぇ」 「凪生」 片平が名前を呼ぶ。 その声だけで、背筋が震えた。 「杜香は使っていない」 「分かってる」 「依頼者の感情もない」 「分かってるって」 「検証具の反応だけなら、ここで収める方法はある」 「そういう意味じゃねぇ」 「なら何だ」 凪生は唇を噛んだ。 片平が待っている。 仕事として、検証者として、たぶん男としても。 ここでごまかしたら、片平は乗らない。 そう分かる。 凪生は息を吸った。 「俺が、お前に触られたい」 言った瞬間、片平の表情が変わった。 ほんの少しだった。 けれど、仕事顔が崩れた。 「それを言われたら、仕事には戻せない」 「戻すな」 「後悔するなよ」 「するかよ」 片平はリモコンをポケットへしまった。 「近くにある」 「何が」 「ホテル」 「言わせたくせに、今さら普通に言うな」 「行くぞ」 「命令すんな」 文句を言いながら、凪生は片平の隣を歩いた。 **** ホテルの部屋に入ると、ドアが閉まった音で心臓が跳ねた。 街の音が消える。 片平と二人だけになる。 部屋は静かだった。 大きなベッド。 低い照明。 窓には薄いカーテン。 相談室と似ているようで、全然違う。 ここには景窓も、香炉も、依頼映像もない。 凪生は靴を脱いだまま、動けなかった。 片平が近づいてくる。 「ここからは、お前の意思だ」 「分かってる」 「なら、言え」 凪生は片平を睨んだ。 また言わせるのか。 最低だ。 でも、ここまで来て、まだ片平は凪生の言葉を待っている。 そこが腹立たしい。 そこが、どうしようもなく好きだと思った。 「……お前がいい」 片平の息が、わずかに乱れた。 次の瞬間、唇を奪われた。 激しいキスだった。 検証の時とは違う。 依頼者の言葉をなぞるキスではない。 片平の腕が凪生を抱き寄せ、凪生も自分の手で片平のシャツを掴んだ。 自分で掴んだ。 それが分かった瞬間、身体の熱が一段深くなる。 「っ、征路」 名前が漏れた。 片平の動きが止まる。 「今のは」 「俺だよ」 凪生は息を乱しながら言った。 「俺が呼んだ。悪いかよ」 片平の目が、熱を帯びた。 「悪くない」 またキスされる。 ベッドに倒れ込む。 服が乱れる。 片平の手が凪生の身体を確かめる。 さっきまで小さな震えに支配されていた場所へ、今度は片平の体温が近づいてくる。 「まだ熱いな」 「誰のせいだよ」 「俺だな」 「分かってんなら、ちゃんとしろ」 「何を」 「言わせんな」 「言え」 「……触れ」 声が震えた。 片平の手が止まらなくなる。 凪生はシーツを掴んだ。 検証具の震えとは違う。 機械の刺激ではない。 片平の指。 手のひら。 唇。 息。 それがひとつずつ身体に触れて、熱を作り直していく。 遠隔操作で煽られていた時より、ずっとまずい。 相手が片平だからだ。 片平の手だから、身体が期待してしまう。 片平の声だから、奥が甘く震える。 片平の唇だから、もっと欲しくなる。 「っ、やば……」 「きついか」 「違う」 「何だ」 「気持ちいいんだよ……っ」 言った瞬間、顔が熱くなった。 片平が少しだけ目を細める。 「そうか」 「そこで冷静になるな」 「冷静ではない」 「嘘つけ」 「お前がそう言うと、抑えが利かなくなる」 その言葉で、凪生の胸が跳ねた。 片平の余裕が崩れている。 そう分かっただけで、身体がさらに熱を持つ。 凪生は片平の首に腕を回した。 自分から。 「じゃあ、抑えんな」 片平の呼吸が、今度こそはっきり乱れた。 その先は、もう仕事ではなかった。 検証でもなかった。 片平の熱が近づき、凪生の身体が受け止める。 奥に残っていた疼きが、ゆっくり満たされていく。 深く重なるたび、さっきまで言い訳にしていたものが剥がれていく。 検証してやったから。 片平のせいだから。 役目を果たさせるだけだから。 そんな言い方をいくら重ねても、もう無理だった。 凪生は、自分から片平を求めていた。 「征路……っ」 「凪生」 名前を呼ばれる。 その声だけで、胸の奥まで震える。 片平の腕が強くなる。 凪生も離さなかった。 自分の指で、片平の背中を掴む。 もっと近くへ、と身体が訴える。 「もっと」 言ってしまった。 もう、依頼者の言葉ではない。 杜香もない。 凪生の声だった。 「もっと、して」 片平が深く息を吐いた。 「分かった」 その返事が、甘いほど低かった。 熱が深くなる。 凪生は声を抑えられなかった。 身体の奥から、片平だけを求める感覚がせり上がってくる。 リモコンで揺らされた熱とは違う。 機械では届かないところへ、片平が入ってくる。 心まで持っていかれる。 そう思った瞬間、凪生は片平を抱きしめた。 「好き……」 小さく漏れた。 片平の動きが一瞬止まる。 「凪生」 「今の、忘れろ」 「聞こえた」 「忘れろって」 「忘れない」 片平の声が、低く胸へ落ちた。 言ってしまった。 もう戻れない。 分かっている。 それでも、今は片平の言葉を受け止めきれなかった。 身体が白くほどける。 片平の腕の中で、凪生は深い熱に呑まれた。 **** しばらく、何も考えられなかった。 照明の薄い光が、天井にぼんやり広がっている。 片平の腕が、凪生の背中に回っている。 呼吸が近い。 肌に残る熱が、まだ消えない。 凪生は顔を横に向けた。 片平は何も言わず、凪生の髪に触れていた。 「……何」 「確認している」 「何を」 「後悔していないか」 「してねぇよ」 「そうか」 「むしろ、お前こそ」 「俺?」 「仕事には戻せないとか言ってたろ」 「戻す気はない」 凪生の胸が、また鳴った。 片平は静かな声で言った。 「ただ、急ぎすぎたとは思っている」 「俺が誘った」 「そうだな」 「俺が言った。ホテルって。お前がいいって。だから、変に反省すんな」 「分かった」 素直に返されると、凪生はまた落ち着かない。 「あと」 「何だ」 「今のは、今日だけだからな」 片平の指が止まった。 「どれだ」 「……名前」 「征路、か」 「言うな!」 凪生は枕を掴んで片平に押しつけた。 片平は避けなかった。 枕を受け止めたまま、静かに凪生を捉えている。 「今日だけなのか」 「そうだよ」 「そうか」 「何だよ」 「残念だと思った」 短い返事だった。 それだけで、凪生の身体の奥がまた熱くなる。 「最悪」 「悪い」 「謝るな。余計に変になる」 片平が少しだけ笑った。 凪生はその笑顔に、また落ちた。 もう落ちる場所なんて残っていないのに、さらに落ちた。 検証の見返り。 操作されたせい。 役目を果たさせただけ。 そんな理屈は、ベッドの上で全部溶けていた。 杜香はなかった。 依頼者の感情もなかった。 片平の指で崩れて、片平の声で欲しくなって、片平の腕を自分から掴んだ。 凪生は、片平征路が欲しかった。 それだけだった。 しばらくして、二人はホテルを出た。 **** 外の空気は夜に変わっていた。 街灯が歩道を淡く照らし、遠くで車の音がする。 凪生は首元までブルゾンを引き上げた。 身体にまだ熱が残っている気がして、片平の隣を歩くだけで落ち着かない。 「送る」 「いらねぇ」 「途中まで」 「いらねぇって」 「そうか」 片平はそこで引いた。 引かれると、それはそれで腹が立つ。 凪生は少し黙ってから、低く言った。 「……駅までなら」 片平が短く頷いた。 「分かった」 二人で駅へ向かう。 何を話せばいいのか分からなかった。 身体はまだ片平を覚えている。 唇も、指も、声も。 街の中に戻ったのに、さっきの部屋の熱が消えない。 駅の手前で、凪生は足を止めた。 「またな」 片平が言った。 「ああ」 それだけだった。 凪生は改札へ向かう。 数歩進んで、振り返りそうになった。 やめた。 振り返ったら、何か全部顔に出る気がした。 ホームに着くと、電車はまだ来ていなかった。 凪生は柱にもたれ、額を押さえた。 やばい。 本当に、やばい。 検証具のせいにした。 片平の役目にした。 ホテルまで、自分の欲に理屈をつけて引っ張っていった。 でも、もう分かっている。 本当は、片平に触られたかった。 片平に求められたかった。 片平の腕の中で、自分の声で欲しいと言った。 好き、と漏らした。 その言葉を、片平は聞いた。 忘れないと言った。 もう消せない。 「確定じゃん」 凪生は小さく呟いた。 誰にも聞こえないように。 「俺、こいつに恋した。確定で」 電車がホームに入ってくる。 風が吹く。 その風の中で、片平の低い声が何度も蘇った。 凪生。 名前を呼ばれた時の熱が、まだ胸に残っている。 凪生は額を押さえたまま、電車に乗った。 「最悪」 けれど、口元はどうしても緩んでしまった。

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