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第5話 ネコ同士の答え合わせ
今日はバイトの日だった。
凪生は杜灯恋愛相談室の扉をカードキーで開けた。
「お疲れ」
「お疲れ」
ソファにいた片平征路が、タブレットから顔を上げる。
いつも通りの表情だった。
涼しい目。
整った横顔。
黒いシャツ。
仕事場の片平。
それだけで、凪生の首筋が熱くなった。
駄目だ。
昨日のホテルを思い出す。
遠隔操作の震え。
街中で乱れた呼吸。
ホテルのドアが閉まる音。
片平の手。
片平の声。
自分から「お前がいい」と言ったこと。
最後に、好き、と漏らしたこと。
あれは聞こえていた。
聞こえていたし、忘れないと言われた。
思い出した瞬間、凪生は肩に力を入れた。
「首元まで赤い」
「開口一番それかよ」
「昨日の影響か」
「言うな」
「体調は」
「平気」
片平の声は落ち着いていた。
余計なことは言わない。
からかいもしない。
ただ、必要な部分だけを確かめてくる。
それが腹立たしい。
そして、少しだけ安心する。
「今日は案件かよ」
「そうだ」
「平然と仕事に戻るな」
「戻さない方がいいのか」
「そういう聞き方やめろ」
「分かった」
素直に返されると、それはそれで落ち着かない。
****
凪生はソファに腰を下ろし、クッションを抱えた。
「で、何の案件」
片平は景窓を切り替えた。
映ったのは、夜の小さな部屋だった。
柔らかい布のソファ。
低いテーブル。
間接照明。
ベッドは画面の奥に少しだけ映っている。
あたたかい色なのに、どこか息を潜めているような部屋だった。
同い年の恋人同士。
どちらも、男性相手では受け取る側に慣れている。
互いに好きだが、身体を重ねようとすると、どちらが進めるべきかで止まってしまう。
片方が無理に主導しようとすると、熱が薄れてしまう。
凪生は眉を寄せた。
「受け同士ってことか」
「そうだ」
「それ、相談室に来るほどなのか」
「本人たちには大きい」
「まあ……そうか」
映像が始まる。
二人の男が、ソファで向かい合っていた。
どちらも柔らかい雰囲気だ。
片方が相手の頬に触れる。
もう片方が、少し照れたように笑う。
キスをする。
ゆっくり、深く。
互いの手が相手の服に触れる。
そこまではいい。
けれど、その先で、空気が止まる。
片方が相手の腰へ手を回しかけ、すぐに引く。
もう片方も同じように、触れたいのに、先へ進めない。
『ごめん』
映像の中の一人が言った。
『俺が、ちゃんとできればいいんだけど』
もう一人が首を振る。
『俺こそ、ごめん。お前にさせるの、違う気がして』
二人とも、相手を好きなのは分かる。
触れたいのも分かる。
でも、どちらも自分が主導する側になろうとすると、少しだけ表情が硬くなる。
相手に無理をさせたくない。
けれど、自分も本当は受け取りたい。
その遠慮が、二人の間に薄い膜みたいに挟まっていた。
凪生は腕を組んだ。
「補助具を使えばいいんじゃねぇの」
「どう使う」
「片方が無理に攻め役になるんじゃなくて、補助具で……その、足りないところをどうにかする」
「芯は外していない」
「じゃあ正解か」
「足りない」
「腹立つ」
片平は映像を止めた。
「補助具を入れれば済む話じゃない。二人は、自分が受け取りたいことを恥じている」
「恥じてる?」
「互いに、自分が相手を満たす側になれないと思っている。だから謝る。だが、本当は違う」
片平の指が、画面の中の二人の手元を示す。
片方が相手の胸に触れる。
もう片方も、ほとんど同じタイミングで相手の胸へ触れている。
「二人は、同じ反応を共有したい。同じ熱に沈みたい。どちらかが役を背負うんじゃない。互いに受け取りながら、互いを満たせばいい」
「同じ熱」
凪生は画面の二人を確かめた。
確かに、どちらかが前へ出ると冷める。
けれど、同じように触れ合っている時は、表情がほどけている。
相手を抱きたいというより、一緒に崩れたい。
そんな感じだった。
「じゃあ、補助具は」
「代わりにするものじゃない。二人が同じ場所へ降りるために使う」
「言い方がいちいち……」
「いちいち?」
「いやらしい」
「内容が内容だからな」
「出たよ」
片平は香炉の前に立った。
「試せば分かる」
「結局やるんじゃねぇか」
「お前も、分かりかけている」
「勝手に決めんな」
「違うなら、終わりにする」
凪生は口を閉じた。
昨日のことがある。
ホテルで、自分から片平を求めたことがある。
その翌日に、また片平と検証する。
普通でいられるわけがない。
「……やる」
「分かった」
****
片平が杜香に火を入れる。
今日の香りは、甘さの中に少しだけ青さがあった。
柔らかいのに、奥へゆっくり沈んでいく。
凪生はソファから立ち上がり、ベッドの端に座った。
片平が近づいてくる。
近い。
それだけで、昨日のホテルが蘇る。
あの時の片平は、仕事ではなかった。
検証でもなかった。
凪生の言葉を待って、凪生の意思を確かめて、その上で触れてきた。
今は仕事だ。
そう言い聞かせる。
けれど、身体はもう知っている。
片平に触れられることを。
片平に欲しがられることを。
片平の腕の中で、自分がどう崩れるかを。
「目を閉じろ」
「分かってる」
「今日は、どちらかが攻める形にしない。互いの反応を合わせる」
「説明すんな。変に意識する」
「意識しろ」
「くそ真面目」
凪生は目を閉じた。
杜香の匂いが胸の奥へ入る。
相手が好きだ。
触れたい。
触れられたい。
でも、自分が前に出ると、何かが違う。
相手に無理をさせたくない。
自分も無理をしたくない。
ただ、一緒に気持ちよくなりたい。
同じ熱で、同じ呼吸で、同じ場所まで落ちていきたい。
甘い。
でも、少し臆病だ。
相手に受け取ってほしい。
自分も受け取りたい。
欲張りなのだろうか。
男同士なのに、どちらもそう望むのはおかしいのだろうか。
違う。
おかしくない。
そう言ってほしい。
目を開けると、片平が正面にいた。
いつもの片平なのに、重なっている感情はいつもと違う。
片平の口から出る言葉も、片平自身のものではない。
分かっているのに、声が近い。
「触っていい?」
片平が言った。
凪生の胸が大きく跳ねた。
攻め側の強い言葉ではない。
命令でもない。
探るような、少し怯えた声。
凪生の口が、勝手に答える。
「俺も、触りたい」
声が甘かった。
自分の喉から出たのに、自分だけの言葉ではない。
依頼者の不安と欲が混ざっている。
けれど、片平に触れたいと思ったのは、凪生自身でもあった。
二人の手が、同時に相手へ伸びる。
片平の指が、凪生のシャツのボタンに触れる。
凪生の指も、片平のシャツへ触れた。
同じ速度で、同じためらいで、服が乱れていく。
「変だね」
凪生の口が言う。
「俺たち、同じことしたがってる」
片平の声が、低く返る。
「同じでいい」
その一言で、胸がほどけた。
依頼者の感情が、凪生の中で甘く震える。
同じでいい。
どちらかが無理に変わらなくていい。
どちらかが我慢して役を背負わなくていい。
二人とも欲しがっていい。
二人とも受け取っていい。
片平の手が、凪生の胸へ触れる。
凪生の手も、片平の胸へ触れた。
指先が同じ動きをたどる。
片平が凪生の敏感な場所を撫でると、凪生も同じように片平へ触れる。
片平の息が乱れる。
凪生の身体も熱くなる。
それが、まずかった。
検証中だ。
依頼者の反応だ。
そう分かっているのに、片平の喉から漏れる低い息が、凪生の身体を奥から煽った。
「声、出た」
凪生の口が言った。
依頼者の言葉のはずだった。
でも、内側の凪生も同じことを思っていた。
片平が感じている。
片平が、自分に触れられて少し崩れている。
それが、たまらなく熱い。
「お前も」
片平の指が、凪生の腰を引き寄せる。
「同じ声、してる」
顔が熱くなる。
凪生は言い返したかった。
違う、と言いたかった。
でも口から出たのは、依頼者の甘い声だった。
「もっと、同じにして」
片平の目が熱を帯びる。
二人の間に、補助具が置かれた。
代わりに何かをさせるためのものではない。
二人の熱を、同じ場所へ導くためのもの。
片平の手が、それを確かめる。
左右に分かれた先端が、それぞれ二人の内側へ収まる。
中央の制御部が二つを連動させ、同じ強さと間隔の震えを、二人の奥へ同時に返す。
凪生の身体が震える。
片平自身の身体にも、同じ震えが走る。
互いの呼吸がずれて、また重なる。
「怖い?」
片平が低く聞く。
「怖くない」
凪生の口が答える。
「一緒なら、怖くない」
胸の奥が痛くなるほど甘かった。
片平の手が凪生の指に絡む。
今度は恋人繋ぎのように、強く。
凪生はその手を握り返した。
同じ熱。
同じ呼吸。
同じ震え。
身体の奥が、ゆっくり満たされていく。
片平に一方的に崩されるのとは違う。
片平と一緒に崩れている。
片平の息が乱れるたび、凪生も深く熱を帯びる。
自分だけが受け取っているのではない。
片平も受け取っている。
片平も、同じ場所まで落ちてくる。
それが、信じられないほど嬉しい。
「気持ちいい?」
凪生の口が聞いた。
片平が息を乱して答える。
「気持ちいい」
それが依頼者の声だとしても。
片平の声で聞こえる。
凪生の身体が跳ねた。
「俺も」
凪生は言った。
「俺も、気持ちいい」
もう、どこまでが依頼者で、どこからが自分なのか分からなかった。
片平に可愛いと思われたい。
片平に感じているところを確かめられたい。
でも、片平にも崩れてほしい。
いつも仕事顔で、何でも分析する男が、自分の手で少しだけ乱れるところを確かめたい。
欲張りだ。
でも、止められない。
片平が凪生の額に触れた。
「同じでいい」
また言われた。
その言葉で、凪生の中の何かがほどけた。
受け取る側でいたい。
片平に触れられたい。
片平に奥から崩されたい。
そんな自分を、もう否定できなかった。
片平の視線が、凪生の乱れた呼吸と、震える指先と、熱くなった頬を静かにたどる。
恥ずかしい。
なのに、嫌じゃない。
むしろ、もっと甘く崩れたら、片平はどんな顔をするのか知りたくなった。
可愛いと思われたい。
そう思った瞬間、凪生は内側で固まった。
何だ、それ。
男に。
片平に。
可愛いと思われたいとか。
最悪だ。
最悪なのに、身体は片平の手を離さない。
「もっと」
凪生の口が言った。
「一緒に、もっと」
片平の手が強くなる。
触れ合う熱が深くなる。
補助具の震えが、二人の間で同じ波を作る。
息が合う。
乱れる。
絡む。
凪生は片平の肩にしがみついた。
片平も、凪生を強く抱いた。
その腕が、いつもより少しだけ落ち着きを失っている。
凪生はそれが嬉しかった。
「崩れて」
自分の口から出た言葉に、凪生の内側が固まる。
依頼者の言葉だ。
そう分かっている。
でも、片平に向けて言いたかった言葉でもある。
片平の仕事顔を崩したい。
片平の整った呼吸を乱したい。
片平に、自分だけで熱くなってほしい。
片平の指が、凪生の手を強く握った。
一瞬だけ。
けれど、その力は、いつもの落ち着いた片平のものではなかった。
低く乱れた息が、凪生の耳元に落ちる。
凪生の胸が、甘く跳ねた。
勝った、と思った。
何に勝ったのか分からない。
でも、片平が同じ場所まで落ちてきた気がして、どうしようもなく嬉しかった。
「凪生」
片平の声が、ふいに自分の名前を呼んだ。
依頼者の名ではない。
凪生の名だった。
まずい。
そう思ったのに、身体の奥が甘く跳ねた。
もっと呼ばれたい。
その願いが、依頼者のものなのか、自分のものなのか、もう分からなかった。
片平が凪生を抱き寄せた。
熱が一気に深くなる。
凪生は声を抑えられなかった。
二人の感覚が混ざり合い、どちらか片方だけでは届かない場所へ落ちていく。
補助具の震えも、片平の手も、片平の声も、全部が重なる。
身体が白く弾ける。
凪生は片平の肩に顔を埋めて、熱の中でほどけた。
杜香の匂いが薄れていく。
景窓の灯りが静かに揺れている。
凪生はしばらく動けなかった。
身体の奥に、まだ同じ熱の名残が残っている。
いつものように片平に崩されたというより、片平と一緒にどこかへ沈んだ感覚だった。
片平は、すぐにタブレットへ手を伸ばさなかった。
それだけで、凪生は少し息をつけた。
「……今の、やばい」
「何が」
「お前まで、ちょっと崩れてた」
片平は少し黙った。
「追体験だ」
「それで済ませんな」
「済ませてはいない」
凪生は顔を上げた。
片平の髪が少し乱れている。
襟元も、いつもより崩れている。
呼吸も、まだ少し深い。
それを確かめただけで、身体の奥がまた熱を持つ。
「お前、そういう顔するんだな」
「どんな顔だ」
「知らねぇ。腹立つ顔」
「悪口か」
「褒めてはない」
「そうか」
片平はタオルを渡した。
凪生は受け取って、身体を拭いた。
沈黙が落ちる。
けれど、前みたいに気まずくはなかった。
さっき、同じ熱で崩れたからかもしれない。
片平が、ようやくタブレットを手に取った。
だが、すぐには操作しなかった。
「分かったか」
「……分かった気がする」
「言ってみろ」
凪生は深く息を吐いた。
「あの二人、どっちかが攻め役になれないから駄目なんじゃない。どっちも受け取りたいことを、駄目だと思ってるのがつらいんだ」
「続けろ」
「片方が無理に変わると、たぶん冷める。そうじゃなくて、同じことをすればいい。触れるのも、触れられるのも、同時に。補助具も、代わりじゃなくて、二人が同じ熱に沈むために使う」
「正解だ」
凪生は一瞬だけ黙った。
「……今日は早いな」
「答えに届いている」
「最初からそう言え」
「今言った」
「腹立つ」
照れそうになって、凪生は視線を逸らした。
片平の声が静かに続く。
「お前は、受け取ることへの抵抗が薄くなった」
「は?」
「最初より、自分の反応を否定しなくなった」
「分析すんな」
「している」
「堂々と言うな」
「必要だ」
凪生は唇を噛んだ。
反論したい。
でも、当たっている。
最初は、男同士の熱を何も分かっていなかった。
尽くされることに驚いて、強く求められることに混乱して、キスだけで満たされることに戸惑って、昨日は自分から片平を欲しがった。
そして今日は。
片平にされる側でいることを、嫌だと思わなかった。
むしろ、片平にそうされたいと思った。
可愛いと思われたい。
崩れるところを、片平に確かめられたい。
でも、片平にも少し崩れてほしい。
自分だけが乱されるのではなく、片平も一緒に熱くなってほしい。
「……俺、変になってる」
凪生は小さく言った。
「変ではない」
「お前に言われると、それはそれで腹立つ」
「なぜ」
「何でも正解にされそうだから」
「正解かどうかは、本人が決める」
凪生は片平へ視線を向けた。
「じゃあ、俺がこれでいいって思ったら、それでいいのかよ」
「そうだ」
片平は即答した。
「お前が受け取りたいと思うなら、それはお前の欲だ。恥じる必要はない」
胸の奥が、熱くなる。
言葉がまっすぐすぎる。
片平はそういう男だ。
変なところで遠回りしない。
余計な飾りをつけずに、真ん中へ触れてくる。
凪生は、クッションを抱え直した。
「……お前にされるのは、嫌じゃない」
言ってから、耳まで熱くなった。
片平の手が止まる。
凪生はすぐに続けた。
「検証の話だからな」
「分かっている」
片平は短く答えた。
けれど、その声がいつもより低い。
分かっている声じゃないだろ。
そう思ったが、凪生も言えなかった。
片平が少し笑った。
その笑い方に、凪生の胸がまた跳ねる。
もう駄目だ。
完全に駄目だ。
好きだと自覚したあとに、こんな検証をするのは危険すぎる。
片平の言葉も、手も、少し崩れた息も、全部が自分に向いているように感じてしまう。
「凪生」
「何」
「昨日のことを、今ここで整理しなくていい」
凪生は固まった。
片平はタブレットを伏せた。
「今日の検証と混ざると、判断が鈍る。急いで答えを出す必要はない」
「……答えって何だよ」
「お前が昨日、何を望んだのか」
凪生の喉が詰まった。
昨日、何を望んだのか。
そんなの、もう分かっている。
片平に触られたかった。
片平に求められたかった。
片平としたかった。
でも、それを片平の前で言えるほど、まだ強くない。
「うるせぇ」
「そうか」
「そういうとこだぞ」
「どこだ」
「踏み込むのか引くのか、分かんねぇとこ」
「迷っている」
片平が短く言った。
凪生は息を止めた。
片平が、また分からない顔をした。
いつもの涼しい目なのに、その奥だけ少し揺れている。
「お前との距離を、どう扱うべきか」
凪生の胸が、痛いくらいに跳ねる。
「仕事としては、近い方がいい。反応も取りやすい。だが、近づきすぎると、俺の判断が鈍る」
「まだ鈍ってんのかよ」
「昨日より、少し」
凪生は返す言葉を失った。
片平が平然と言うほど、こちらは平然ではいられない。
少し、という言葉にすら熱を持ってしまう。
「……俺のせいかよ」
「俺の問題だ」
「その言い方、嫌い」
「なぜ」
「俺だけ外に置かれてるみたいだから」
片平の視線が、凪生に向く。
凪生はクッションを握った。
「俺だって、ちゃんと変なんだよ」
言った瞬間、自分で意味が分からなくなった。
ちゃんと変。
何だそれ。
でも、片平は笑わなかった。
「そうか」
「笑うなよ」
「笑っていない」
「何か言えよ」
「言葉を選んでいる」
「選ぶな。変になる」
片平は少しだけ息を吐いた。
「昨日のことを、なかったことにするつもりはない」
凪生の胸が鳴った。
「今日の検証も、ただの案件として終わらせるには、俺の反応が混ざった」
「……それ、仕事として駄目じゃねぇの」
「駄目だな」
あっさり認められて、凪生は目を瞬かせた。
「認めんなよ」
「事実だ」
「くそ真面目」
「だから、慎重にする」
「何を」
「お前に触れることを」
凪生は黙った。
慎重にされたいわけではない。
でも、片平が乱暴に扱わない男だと分かっているから、好きになったところもある。
言葉を待って、意思を確かめて、それでも触れる時は容赦がない。
そこが厄介だ。
「慎重にするなら」
凪生は、言いかけて止まった。
やめろ。
今言うな。
でも、口は止まらなかった。
「俺が言った時は、ちゃんと触れよ」
片平の表情が変わった。
凪生はすぐに顔を背けた。
「今のは、検証の話」
「違うだろ」
「違わねぇ」
「凪生」
名前を呼ばれるだけで、身体が熱くなる。
片平の声が、少し低くなる。
「今のは、お前の言葉だ」
凪生は何も言えなかった。
部屋の空気が熱い。
杜香はもう薄い。
それでも、片平との距離だけが近い。
「……また次」
凪生は立ち上がった。
これ以上ここにいたら、何か言う。
今度は、検証のせいにもできない言葉を。
片平は追ってこなかった。
「ああ」
短い返事だけが、背中に届いた。
****
定禅寺裏の夜は、少し湿っていた。
凪生は駅へ向かいながら、手のひらを開いたり閉じたりした。
まだ片平の指の感覚が残っている。
今日の検証では、片平の呼吸まで近かった。
片平が崩れるところまで、少しだけ確かめてしまった。
「やばい」
声に出すと、ますます現実味が増した。
好きだ。
昨日、確定した。
それだけでも十分やばいのに、今日はさらに別のことまで分かってしまった。
片平にされる側でいたい。
でも、片平にも乱れてほしい。
片平に可愛いと思われたい。
でも、片平を自分で崩したい。
欲張りすぎる。
でも、たぶん、それが自分の欲だった。
駅のホームで、凪生はスマホを取り出した。
片平から連絡は来ていない。
来ていないのに、画面を確認してしまう。
「何やってんだよ」
自分に呆れて、スマホをしまう。
電車が来る。
風が吹く。
凪生はホームの端で、さっきの片平の声を思い出した。
お前が受け取りたいと思うなら、それはお前の欲だ。
恥じる必要はない。
「……恥ずいんだよ」
凪生は小さく呟いた。
けれど、その恥ずかしさごと、少しだけ嬉しかった。
自分の欲を、片平が否定しなかった。
同じでいい、と言われた依頼者たちみたいに。
凪生も、少しだけ自分を許された気がした。
電車の窓に映った自分の表情は、まだ赤かった。
凪生はそれを確かめて、すぐに視線を落とした。
「最悪」
でも、胸の奥は甘く騒いでいた。
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