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#08 極上ケア
柔らかい朝日がまぶたを刺し、ジェルーシャは静かに目を覚ました。
見知らぬ天井。ふかふかのベッド。昨夜、見知らぬ青年に抱きかかえられ、テスラで連れ帰られた記憶が唐突に蘇り、ジェルーシャはガバッと身を起こした。
熱はすっかり下がり、昨夜の重みが嘘のように身体が軽かった。奥底に残る不思議な充足感に包まれながらカーテンを開けると、最上階のペントハウスならではの大パノラマが広がり、大きなガラス窓の向こうにはマンハッタンの摩天楼が一望できた。
リビングの方から、トントントンと小気味良い音、そして淹れたてのコーヒーと香ばしいトーストの匂いが微かに漂ってくる。
ジェルーシャは誘われるように部屋を出ると、そこにはエプロン姿の青年がキッチンに立ち、手際よく朝食を用意してくれていた。
「おや。もう大丈夫かい?」
「あ……はい。あの……すみません、ここは……?」
「僕の家だよ。昨夜、君がオフィスで倒れちゃったからね。放置するわけにもいかなくて……変なことは何ひとつしていないよ、安心して。……僕はサリー。よろしくね、ジェルーシャくん」
「……あ、そうでした。昨日、僕……。すみません、助けていただいて、ありがとうございます」
「ところで君、なんで会社のロゴのついた作業服なんて着てたの?」
「あぁ……初日に服が濡れちゃって。翌日にはクロークで洗濯してあるって言われたんですけど、まだできてなくって。それで、このまんまなんです」
「そうなんだ。そんなことがあったんだね」
サリーはコーヒーを一口飲み、さらりと言った。
「でも、作業服で出社するのも変だから、今日は僕の服を貸してあげるよ」
「いや、そんなの悪いです! 僕、これで全然問題ないですから」
「あ、でも僕の服だとちょっとサイズが合わないかな」
遠慮するジェルーシャの反応など全く気にしていない様子で、サリーはポンと手を叩いた。
「そうだ。弟の服が余ってるんだよね」
そのまま強引に連れて行かれたのは、ゲストルームの隣にあるクローゼットだった。部屋はすでに主がいないようで殺風景だったが、いくつかの荷物だけがぽつんと残されていた。
「弟は今、ロンドンで働いてるんだけどね。荷物をいくつか置きっぱなしにしてるんだよ。全く迷惑な話だよ、さっさと片付けたいんだけど」
青年はクローゼットから数着の服を見繕い、ジェルーシャの体に当てて満足そうに頷いた。
「ほら、サイズぴったりじゃないか。君にあげるよ。頼むから持ってってくれよ」
半ば押し付けるような強引な優しさに、ジェルーシャはそれ以上断ることができず、ありがたく着替えさせてもらうことになった。
用意してもらった小綺麗な私服に着替えを済ませると、青年は約束通りテスラでジェルーシャを会社まで送り届けた。ペンドルトン社のエントランス近くで車が停まる。
「僕は他にちょっと寄るところがあるから、ここで。今日も無理はしないようにね」
サリーは車を降りず、運転席から優しく見送ろうとする。
「すみません、何から何まで……本当にありがとうございました」
「いいんだよ。じゃあ、またね」
サリーは前を見据えたまま、ふっと微かに微笑んだ。車を降り、去っていくテスラをどこか夢見心地で見送っていたジェルーシャだったが、ふと腕時計を見て血の気が引いた。
「……っ、遅刻だ!」
慌ててオフィスビルへと駆け出していく。その背中を、ビルのエントランスの陰から忌々しそうに見つめている人物がいた。双子の片割れ、ジュリアだ。
(……あの新人Sub、なんでサリーの車から?)
ジュリアの冷たい瞳が、獲物を見つけたように細められた。ジュリアはすぐに、双子の兄であるジュリアンのプライベートオフィスへと向かった。
「ちょっと聞いて、お兄様! あの新人Subがサリー様の車から降りてきたのよ!」
「サリーの車からだと? 二人で一体何をしてたんだ!?」
ジュリアンはデスクのパソコンに向かい、システム画面を開いてジェルーシャの社内行動ログや位置情報を確認しようとした。しかし、画面には何も表示されない。
「しまった、まだ奴の端末にアプリを入れてないのか……」
ジュリアンが忌々しげに毒づくと、ジュリアが冷酷に微笑んだ。
「じゃあ、私が鈴をつけてくるわ」
ジュリアはそう言い残すと、ジュリアンのプライベートオフィスを後にした。エレベーターで階下に降り、仕切りのないぶち抜きの広いフロアへと足を踏み入れる。
その中から、モニターの前で小さく気配を消しているジェルーシャを見つけると、背後からそっと近づき、わざとらしく大きな声を張り上げた。
「今日、遅刻してきたでしょう?」
頭上から降ってきた冷ややかな声に、ジェルーシャはビクッと肩を跳ねさせた。見上げると、タイトスカートに華やかなブラウスをまとったジュリアが、腕を組んで見下ろしている。
「遅刻する時は連絡しなきゃだめよ。聞いてなかったの? あなたの教育係は誰なのかしら」
周囲に聞こえるような声でネチネチと嫌みを突きつけられ、ジェルーシャは「すみません……」と縮こまるしかない。
「しょうがないわね。私が教えてあげる。ちょっと貸して」
ジュリアはジェルーシャのデスクの上に置かれていた私物のスマートフォンを、半ば強引にひったくった。
「なによ! ロックかかってるじゃない? 生意気に。解除しなさい」
「えっ、あ、あの……」
「早く!」
有無を言わさぬその迫力に気圧され、ジェルーシャは言われるがままにロックを解除して手渡した。
ジュリアはジェルーシャのスマホを受け取ると、地爪に美しく手入れされた長いネイルの爪先を液晶画面に当ててカタカタと音を鳴らす。
ジェルーシャからは見えないその画面の中で、ジュリアは不気味にほくそ笑みながら、アプリが要求する様々な権限設定をためらいなくすべて「オン」に切り替えていた。
「これでよし、と」
満足げに口角を上げたジュリアが、ジェルーシャにスマホを突き返した。
「今度からは、このアプリで連絡しなさい。勝手に設定いじったりしちゃだめだからね。わかった?」
有無を言わさぬその圧力に、ジェルーシャはただ小さく頷くことしかできなかった。
つづく
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