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#13 BYOD

朝の柔らかな光が差し込むペントハウスの寝室。まぶたを開いたジェルーシャを迎えたのは、どこまでも静かで満ち足りた空気だった。ふと横に視線をやると、ベッドの脇に腰掛け、優しい眼差しで自分を見つめるサリーの姿があった。 「おはよう、ジェルーシャ。気分はどうだい?」 「サリー、さん……?」 身も心も満たされるような安心感に包まれながら身体を起こすと、サリーは心配そうに眉を下げ、ジェルーシャの背中をそっと撫でてくれた。 「昨日は本当にひどい目に遭ったね。……ごめんよ、もっと早く迎えに行ってあげられればよかったんだけど」 「ううん……助けに来てくれて、本当にありがとうございました」 「そういえば、あの忌まわしい金属のカラーは僕が外して捨てておいたけれど、代わりに君がつけていた革のカラー(首輪)がなくなっていたね。ジュリアに奪われてしまったんだろう?」 「あ……はい」 「あの首輪がないと、君がまた迷子になった時に困るからね。新しいカラーを用意するまで、君のスマホで代用だ」 サリーは差し出されたジェルーシャのスマホの画面を操作し、バックグラウンドで動く位置情報(GPS)のトラッキングアプリをオンに設定した。 「これで、君に何かあってもすぐに僕が場所を見つけられる。安心しなさい」 「ありがとうございます……」 サリーの言葉は、どこまでもジェルーシャを守るためのものだった。首元の空虚な感触を、スマホの温もりがわずかに埋めてくれる。 身支度を整え終え、コーヒーを淹れながらサリーはふと口を開いた。 「ほら、この前、君の無茶な宿題をAIにやらせただろ? 実はあのAIシステムを構築するのが僕の仕事でね」 「あぁ、あのAIすごいですよね、サリーさんはシステム部の人なんですか?」 「いや。僕はね、ペンドルトンの社員じゃないんだ。外部から委託されて常駐しているエンジニアに過ぎない。だから……この仕事が終われば、近いうちにロンドンへ戻るかもね」 ロンドン——その言葉を聞いた瞬間、ジェルーシャの胸の奥が冷たく軋んだ。この冷酷な大都会で、唯一自分を守ってくれる存在がいなくなってしまう。膝に力が入り、視線が落ちる。 「ロンドンに……行っちゃうんですか?」 寂しそうな顔をするジェルーシャを見て、サリーは愛おしそうにふっと微笑み、静かに問いかけた。 「……君も、僕と一緒にロンドンについてくるかい?」 「え……っ」 ジェルーシャは驚いて目を丸くしたが、サリーの表情はひどく真剣だった。 「実はね、僕はペンドルトン会長の甥にあたるんだ。……今回、彼らの会社にシステムを作ってあげたのは、僕の会社へ融資をしてもらうための恩売りのようなものでね。叔父の会長は留守がちでなかなか会えなくてね。融資申請の信書はもうジュリアに預けたのだけど、やはり直接会って、僕の手で渡したいんだ。今日はもしかすると、彼が会社に来ているかもしれないから……少し様子を見に行くつもりなんだ」 そう言ってジャケットを羽織るサリー。しかし、ジェルーシャの足はどうしても動かなかった。昨夜のジュリアンやジュリアの冷酷な視線、屈辱的な仕打ちが脳裏にこびりついて離れないのだ。首筋が熱を帯び、呼吸が浅くなる。 「……あの、サリーさん」 「ん?」 「僕……今日は、会社に行きたくありません……」 消え入るような声で訴えるジェルーシャに、サリーは無理強いすることなく、「それもそうだね」と優しく頷いた。 「嫌な思いをしたんだ。無理もない。じゃあ、君はここでゆっくりしていなさい。終わったらすぐ帰ってくるからね」 サリーはジェルーシャの頭を優しく撫でると、一人でペンドルトン社へと出社していった。 ◇ 同じ頃、ペンドルトン・エージェンシーの開発部。 ジュリアンが静かな足音を立てて現れた。彼を迎えた開発スタッフたちは、少し緊張した面持ちで立ち上がる。 「おはようございます、ジュリアン様。昨日のプレゼンテーションの方はいかがでしたか?」 「……あぁ、概ね好調だったよ」 「概ね……。と申しますと、何か不具合でも?」 「アニーとかいう男がジェルーシャにコマンドを出した時だ。私には、ジェルーシャの首に嵌めたカラーのインジケーターが『点滅していなかった』ように見えたんだが」 「えっ……? そんなはずはありません。この試作バージョンはDomのコマンドに反応すると必ずインジケーターが点滅する仕様です。もし光らなかったのなら、それはDomのコマンドと認識しなかった可能性が高いです。Subも反応しなかったのでは?」 「いや、それがSubは従順に従ったのだが……」 (……あのアニーという男……怪しいな。ジェルーシャがアニーを見る目も何か隠してる感じもあったし……) ジュリアンの中で、アニーの身分に対する黒い疑念が静かに、しかし確信を持って広がっていく。 そこへ、苛立ったヒールの音を響かせてジュリアが開発部へと踏み込んできた。 「ちょっとお兄様! あの新人Subのジェルーシャ、出勤してこないのよ! どこで油を売っているのかしら!」 「慌てるな、ジュリア」 ジュリアンは手元のタブレット端末を操作し、社内の管理システムを立ち上げた。ジェルーシャのスマートフォンに入れたBYOD(個人端末の業務利用)アプリが、瞬時に位置情報を割り出す。(8話参照) 「……なるほど。サリーの所に引きこもっているようだな」 画面に表示されたマップの光点を見て、ジュリアが忌々しそうに舌打ちをする。 「またサリー様と! 生意気なSubね! 他には何か分からないの? 二人の会話とか」 身を乗り出してくるジュリアに、ジュリアンが手元のタブレットを操作する。 「お前が奴の端末のアクセス権限を全部『OK』に設定したなら、マイクだって拾えるさ」 ジュリアンはマイクの音声ストリーミングをオンにした。 「……特に何も聞こえてこないな。離れた場所にいるのかも。今後はストリーミングデータはサーバーに保存する設定にするから、次からは役立つかもな」 「そぅ……他には何か無いの?」 「端末内のデータだって丸見えだけど」 ジュリアンがそのまま管理アプリを経由してジェルーシャのスマートフォンのストレージにアクセスし、プライベートな写真アルバムのフォルダを開く。 サムネイルがずらりと並ぶ中、ジュリアンの指がふと一つの画像の上で止まった。それをタップして全画面表示にすると、ジュリアの目が見開かれた。 「これ……」 そこにあったのは、アニーの写真の数々。中にはジェルーシャと親密そうに身を寄せる自撮りも多くあった。 「……ふーん」 写真を見つめながら、ジュリアンの琥珀色の瞳が怪しく光る。 「……この二人、知り合いだったんだな。それも随分と親密な」 ジュリアンとジュリアの口元に、獲物を完全に追い詰めた冷酷な笑みが浮かび上がった。 つづく

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