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第2話
いきなり核心を突いた彼の発言に、思わず息が詰まる。
「お前、そのとき逃げちゃって……、それから一度も会わなくなって、俺、めちゃくちゃ後悔して……」
「……、ご、ごめん……ほんと」
何とか、情けない謝罪の言葉を絞り出したが、彼は、自分が悪いと言わんばかりに俯き、謝罪に対して首を振った。
「いーんだよ、別に……ただ、」
「……ただ?」
「やっぱ、俺……諦めらんなくて……」
「……、」
相変わらず俯いたまま、ぼそぼそと呟く彼に違和感を感じつつ、顔を覗き込むと、先程とは打って変わって頬が上気している。
飲みすぎで酔いが回ってるのかと思い、水を用意しようと立ち上がったら、急に顔を上げて此方を見るものだから思わずその場で動きを止めた。
「……ごめん、我慢できねぇ……」
「、え、何が」
「そういう、……アレが」
「そういうアレ……?え、トイレ?連れてこか?介護なら任せろ~」
何となく察しが着いてしまってはいるが、そこに対して触れることはあまりにも野暮なので、そうじゃねえよのツッコミ待ちでボケてみるも、ただ此方を見つめるのみで逆に恥ずかしくなった。
「いや、多分そっちじゃなくて……俺、やっぱ……ゲイなんだよな……だからそういう……アレ……ほんとごめんマジで……」
「いやそんな謝らんでええよ、悪いん僕やん普通に」
彼の必死の告白から逃げるわ、今のこの状況で空気を読めないふりをするわ、本当に自分が情けない。本当に向き合わなくてはいけない状況から逃げて生きてきた自分のことが心の底から憎らしくなった。
水を取りに行くことをやめ、彼の隣に腰掛ける。
「……俺、実は大学卒業してから必死にお前のこと探してて、……謝りたくて……、」
「……、謝らんでええのに……」
「まじで、なんも手がかりなくて……結構聞いたんだけどな、いろんな人に……」
「……、」
「ようやく、見つけれて……めっちゃ嬉しくて、でも、……お前に、どう伝えたらいいか……わかんなくて……」
足を曲げて起こし、三角座りになって顔を埋める彼の頭を思わず撫でる。
どこまでも純粋で、真っ直ぐな彼の好意にそろそろ真正面から向き合わなくてはいけない。
ただ、自分が彼に対して抱いている感情の正体は、まだ説明がつけられないのだ。
「……今、僕と歩くんしかいないから……別に何でも言うたらええよ……」
こくりと弱々しく頷く彼の姿を見ると、自分より身長が高くて体格もいいのに、何故か可愛さを感じてしまう。例えるなら飼い主に怒られてしょげている大型犬のような感じである。
自分が彼に対して抱いてる感情は犬?いやそんなまさか、と一人思考を巡らせていると、彼がむくりと顔を上げ、此方を向く。
「……やっぱ優しいよな……氷魚」
「これ優しさなん?」
「優しさって呼ぶのかはわかんねえけど、別にいいだろ……頭回んねえよもう」
「飲みすぎじゃない?」
「飲んでねえと言えねえよこんなの」
「あーね……」
えへへ、と照れくさそうに彼が紅潮させた顔で笑う。彼も相当な覚悟をしていたんだなと思い、机に散らかる缶をビニール袋に入れる。ビール缶を3缶とも全て空にしている。まぁ俺酒強いから大丈夫だけど、とか言ってはいるが、その言葉自体の呂律は回っていない。
水を取ってくるとその場を離れ、2つのコップに水道水を注ぐ。1つをそのまま彼の手に渡した。
彼の左隣に腰掛け、自分のコップの水道水を、唇を濡らす程度に少し含んで飲み込む。
「ありがとうな、気が利くなぁ」
「そんなことないよ、僕も飲もうと思ってたし」
「氷魚はいいやつだよなほんと」
「……、そんなことないけど」
「そんなことあるから言ってんだけどな」
彼は此方の気も知らずに、そんなことを平然と言ってのける。
自分のことが嫌いで仕方ない、大事な場面に向き合うことができない、あらゆる事象から逃げてきた自分に対して、好意や賞賛を素直に向けてくる彼のことが疎ましい。
ああ、きっと。
彼に抱いてる感情の正体はこれだ。
──────純粋無垢で真っ直ぐな彼を、引きずり下ろしたかった。
野球を辞めろと言ったのも、自分の家に泊めたのも、本当は自分のものにしたかったからだ。
一緒に、堕ちて欲しかった。
彼がゲイだということは知っていた。野球部の先輩の1人にそれを知られて関係を迫られていたのを目撃したからだ。当の本人はそれを隠していたが。
だから野球を辞めろと言った。
野球を奪えば彼のアイデンティティがなくなる。自分のように何も持ち得ない空っぽの存在になる。そう思っていた。
だが、そんなわけがなかった。
彼は野球を奪ったからと言って、空っぽになるわけがなかった。
本当は自分自身がいちばんわかっていた。彼は何を奪われても変わらず、誰にでも明るく接し、もちろん自分にも変わらず接してくれた。
軽率な嫉妬心を抱いたせいで、彼の将来の幅を狭めた事実がありながら、それでも自分に好意を抱き、告白してきた彼にどの面下げて会えというのだ。
だから、いっその事、彼のことを忘れてしまおうと思い、連絡を絶ち、何も伝えず地元を離れた。
こんな感情、忘れようと思ったのに。
「……、歩くん」
「、何だ?」
「……僕はさ、歩くんのこと……本当は嫌いだったのかもしれんのよ」
「……え?」
「すごい眩しくて、何て言うんかな……僕とは住んでる世界が違うなぁって」
「……、」
「こんな人、僕なんかと一緒にいたらあかんよなぁって」
「……そんなことねぇよ、」
「……ずっと考えてた、歩くんは僕と違う……僕と違うから、僕みたいになってくれんかなぁって」
「、」
「僕は何も持ってない、どんくさいし頭も良くないし、喋るのも苦手でひとりぼっちだったし……、こんな僕と歩くんは一緒におったらあかんよなって……」
「……、」
「だから僕は野球を奪ってやろうと思ったけど……、野球を辞めても、結局……歩くんは歩くんのままやった」
「……」
「……こんなことした僕のことなんか、好きにならんで欲しかった」
「……氷魚、」
「……、8年前の答えがこれって、ほんま謝ることしかできん」
「……、氷魚……」
彼が求めている答えではないことは重々承知しているが、今の自分にはこう説明することしかできない。
彼からの返答を、コップに入れた水をちびちび飲みながら待っていると、予想だにしない言葉が返ってきた。
「……いや、俺の事普通に好きじゃん」
「は?」
「え?だって……俺と一緒にいられないとか……、俺と一緒にいたかったってことじゃん」
「え?まぁ、……そう、やな……確かに……」
「……俺、それ聞けてめちゃくちゃ嬉しい」
机にコップを置き、彼の方へ顔を向ける。
彼は此方を向かずに更に続けた。
「……よかった、嫌われてなかった」
絞り出すように、そう呟いた彼の声色には安堵の色が見えた。
安心したのか、彼は瞳を潤ませ、未だ此方に目線を合わせず言葉を続けた。
「やっぱり……、気持ち悪いって思われたとか、嫌われたって思ってて、……普通そうだよな……男に告白されたら、気持ち悪いよなって」
「……そういうのは、思ってはないけど」
「……俺、あれからずっと本当に嫌われたって思ってたから、もう俺は氷魚と一生会えないなって……」
「……ごめん、ほんと」
「忘れられててもよかった、氷魚が幸せならそれで……、」
ぐす、と鼻をすする彼の横顔を覗き見ようとしたが、ふいとそっぽを向かれる。彼と向き合いたい。真正面から、目を合わせて話をしたいが彼はそれを許さなかった。
忘れられてもいい、幸せなら、そんなことを彼が思っているとは到底思えない。家に上がった時の彼の満面の笑みや声色は、心の底から、自分に会えて嬉しいという様相だった。
彼を離したくない。これ以上傷つけたくない。それを伝えようと口を開いた途端、彼の言葉にそれは遮られる。
「……会えてよかったよ、本当に」
そう呟くや否や、彼は突然その場から立ち上がり、玄関に向かって足を進めた。
彼はポケットの中に手を入れ、何かを探しているようだった。
暫くしたら彼の手の中で、スマートフォンの画面がほんのり光るのが見える。
もしかして、帰ってしまうのではないか。
自分はまた、大切に思ってくれていた人を2度も傷つけて、手放して、独りだけ逃げるのか。
このままでいいのか。
何をすべきか考える前に、先に身体が動いていた。
「ッ、あゆむくん……!」
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