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第二章 ブラックアイボリー
コーヒー豆の話題で、いつまでも愉快に笑い合う、早紀と友人たち。
カフェ『メビウス』のマスター・弓月 衛は、彼らを穏やかに見守っていた。
肩まで長い直毛を、オールバックで後ろにひとくくりにした、独特の髪型。
肉付きは薄いが、彫りの深い面立ち。
髪と同じく黒い瞳は、少し物憂げな光をたたえている。
そんなアルファ性の男が、このカフェのマスターだった。
「何もかもが、可笑しい年頃だよ。大目に見てあげよう」
「また、マスターは甘いんだから」
寛容な衛だが、ウェイターの宮木(みやき)には、それが逆にもどかしい。
「このままだと、他のお客様が入って来られませんよ」
「そうか。それは困るな」
そこで衛はカウンターを出て、自らオーダーを取りに早紀たちに近づいて行った。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
無駄な贅肉のいっさい付いていない、長身の衛が登場だ。
優しい雰囲気だが、大人の落ち着きも持つ彼は、少年たちを少し緊張させた。
ただし早紀だけは、まるで気にしていない。
人懐っこい笑顔を衛に向けて、メニューを指しながら問いかけた。
「ねぇ。この和菓子セットの飲み物は、自由に選べるのかな?」
「フレッシュジュース、紅茶、コーヒーから、お選びいただけます」
「じゃあ、さ。この店で一番高い飲み物に、和菓子を付けてよ」
それには、周囲の友人たちが驚いた。
「おい、早紀」
「やめとけ、って」
「別にいいよ、値段にこだわらなくても!」
しかし早紀は、引き下がらない。
「お兄さん。一番高い飲み物って、いくら?」
屈託のない表情の早紀は、生意気だが愛らしい。
衛はつい、この少年を試してみたくなった。
「当店で最も高値のコーヒーは、お客様にはお勧めできませんが……」
「だーかーらー。いくら?」
「ブラックアイボリーが、一杯10,000円でございます」
少年たちは、悲鳴を上げた。
「高すぎ!」
「嘘だろ!」
「信じられない!」
さすがの早紀も面食らった様子だったが、その形の良い唇を上にあげて言い放った。
「それ、5人分。和菓子も付けてね」
「早紀!?」
「やめとけ、ってば!」
それでも、大丈夫だから、と早紀は涼しい顔だ。
「今月のお小遣い、貰ったばっかりなんだ。まだ、ほとんど使ってないから」
「さすが、富豪」
「一か月のお小遣い、10万円だもんな……」
まさかの切り返しを受け、衛は苦笑いを残してカウンターへと引き下がった。
「負けたよ。本当に、注文してくるとはね」
「いいんですか、マスター」
ウェイターの宮木は、不満げな声音だ。
こちらから言い出したことだ、と衛は秘蔵の高価な豆を出した。
100グラムで30,000円以上もする、高級品だ。
「コーヒーの味も、ろくに解らない高校生に出すなんて!」
「まぁ、これを機にコーヒー愛好家になってくれれば、未来は明るいよ」
衛はそう笑って、心を込めてコーヒーを淹れた。
「お待たせいたしました」
二つのトレイにコーヒーカップを分け、衛は宮木と一緒に早紀たちの席へ歩いた。
「来た!」
「なぁ、飲むの?」
「ホントに、飲むの?」
やたらと可笑しそうな早紀に、やけに不安そうな友人たち。
その対比が、衛には妙に感じられた。
「どうかなさいましたか?」
「ねぇ、お兄さん。このコーヒー……象のうんこなんでしょ!」
早紀がそう言い放つと、周囲の少年たちは腹を抱えて笑った。
どうやら衛がコーヒーを淹れる間に、スマホを使って豆について調べたらしい。
「よく、ご存じで。ですが、味は保証いたしますよ」
衛は穏やかに答えたが、そうは言われてもなかなか手が伸びてこない。
そんな中、早紀がカップに口を付けた。
「話のタネにさ、飲んでみようよ」
冷やかし半分に飲んでみたコーヒーだったが、早紀はその味に魅了された。
(いい香り。それに、苦みがマイルドで棘がない)
「……」
黙ってしまった早紀を、友人たちは茶化した。
「やっぱ、うんこ味?」
「臭う?」
「ゾウのうんこって、どんな臭いだよ」
くすくすと笑いが漏れたが、顔を上げた早紀は、目を輝かせていた。
「美味しい……すっごく、美味しい!」
嘘だろ、マジか、との声が飛び交ったが、早紀は大まじめだった。
「ホントに美味しいって! 飲んでみてよ、ほら!」
後は賑やかな試飲会になった、男子高校生の集団だ。
衛はにっこりと微笑むと、宮木と共にカウンターへ引き上げた。
「あれ? あのお兄さんは?」
「あぁ、さっき行っちゃったよ」
早紀が視線を向けると、衛はすでにカウンター内にいる。
そして、新たに店へ入って来た他の客と、挨拶を交わし始めた。
(もう少し、お喋りしたかったな)
高校生に、一杯10,000円のコーヒーを出す大人。
それだけ聞けば、悪どい響きがあるが、早紀の感想は違っていた。
(僕を、一人前に見てくれたんだよね)
それは何だか嬉しい、大人へのステップのようだ。
「早紀! 和菓子も、美味いよ!」
「えっ? あ、うん。僕も食べる!」
名前は何ていうのかな。
何歳なのかな。
第二性は、やっぱりアルファなのかな。
一杯のコーヒーから、いくらでも謎は浮かんでくる。
これが、早紀と衛の出会いだった。
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