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第十二章 衛の苦悩
早紀の部屋は、準備が整った。
後は、彼の持ち物で彩るだけだ。
早紀らしさ、を加えるだけだ。
衛は彼と共に、赤いスーツケースを解いた。
中からは、早紀の物がどんどん出てくる。
(これらは、元は実家に置いてあったんだな……)
衛は、ちらりと早紀をうかがった。
居場所が変わって、大丈夫だろうか。
(この品々を見て、悲しくなったりしなければいいが)
見ると早紀は、やはり固い表情をしている。
しかしその目は、もう涙をたたえてはいなかった。
「辛かったり悲しかったりしたら、すぐに言うんだぞ?」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
衛さんが、傍にいてくれるから。
そう言って、早紀は笑顔を作った。
だがそれは、無理に歪んだ、笑顔だ。
衛の胸は、キリキリと痛んだ。
「早紀」
衛は早紀の体を引き寄せ、しっかりと抱いた。
「私は、いつも君の隣にいる。だから、安心して」
「あり、がとう。ま、もる、さん……」
ぎゅう、と早紀は衛にしがみついた。
押し出した声は、どう頑張っても震えてしまう。
(やだな。もう泣かない、って決めたのに)
そんな早紀の頬に、衛の温かな手のひらが触れた。
「おやつを食べに、街へ出かけよう。プレゼントも買ってあげる。何がいい? 服か? 靴か?」
「衛、さん……」
あぁ、衛さんは、こんなにも優しい。
早紀は、それだけに救いを求めた。
それだけに、救われた。
「フルーツパフェ、食べたい。冬のニット、欲しい……」
「いいとも。さぁ、出かけよう」
早紀がゆっくり着替え終わるまで、衛は彼を見守った。
街へ出てパフェを食べ、ニットを選び。
そして衛は、ユニフォームショップに早紀を連れて来た。
「早紀のエプロンを、買おうじゃないか」
「僕のエプロン!」
そうだ。
僕は明日から、衛さんのカフェ・メビウスで働くんだ!
それは、常に心の片隅から消えることは無かった。
絶望の中に見出せる、小さな未来の灯だった。
「楽しみだなぁ!」
「好きなウェアを選んでいいよ」
さんざん迷った早紀だったが、赤い膝丈のウエストエプロンを選んだ。
(少し、派手かな?)
でも衛さんは、好きなものを選んでいい、って言ったし……。
「これは良いな。元気が出る色だ」
「やった!」
嬉しそうな早紀は、さらに少しだけ元気が増したように見えた。
それは衛にとっても、嬉しいことだった。
マンションへ帰ると、早紀はさっそくエプロンを身に着けて、衛の前に立った。
「じゃーん! どうかな? 似合う?」
「最高だ!」
(これで少しでも、早紀が前向きに人生を歩んでくれれば)
そう祈らずには、いられなかった。
明日からの早紀の働きを、祈らずにはいられなかった。
そんな念を込め、衛は彼の首にネックストラップを掛けた。
「衛さん……何これ」
「名札だよ」
「それは解るけど。何で『研修生』って書いてあるの!?」
「その方が、失敗をした時は、大目に見てもらえるかと思って」
もう! と早紀は頬を膨らませた。
「失敗なんか、しないよ!」
「いや、頼むから。それは付けていて欲しい!」
膨らませた早紀の頬に、衛は素早くキスをした。
「あ、もう! ずるいよ!」
こう来られては、言うことを聞かないわけにはいかない。
(僕の真似なんかしちゃって! 仕返しのつもり?)
衛は、白々しく早紀の方を覗き込んでくる。
「OKかな?」
「……もう一度。今度は唇にしてくれたら」
では、と衛は優しく早紀にキスをした。
初めての時に比べると、少し恋人らしくなったキスだった。
その日の晩、早紀は本当にすぐ寝入ってしまった。
「部屋の片付けやら、街で買い物やら。よく頑張ったね、早紀」
疲れたせいで、お休みのキスもそこそこに毛布へ潜ってしまった、小さな恋人だ。
衛は逆に、ベッドから抜け出した。
眠れない。
頭の中に一つの考えが生まれ、そのせいで目が冴えてしまっていた。
そっと寝室を出て、リビングで寝酒を用意する。
グラスを片手に、ぶらぶらと歩き回る。
そして時々、手にしたメモを確認しては、息を吐く。
「早紀くんのお父さん……どのくらいの額が、必要なんだろうか」
メモには、緊急連絡先として残された、紀明の電話番号が書かれていた。
そして。
「私が用意できないわけではないんだ……でも、そうすれば」
メモは、もう一枚あった。
そこに書かれているのは、衛の実家・弓月の番号だった。
「連絡すれば……私は……!」
早紀には見せたことのない苦悩の表情が、グラスに歪んで映った。
電話をしたくてもできない自分が、ここにいる。
「身勝手な偽善者だ、私は!」
一息にグラスを干し、衛はうなだれた。
眠れない夜だけが、静かに更けていった。
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