29 / 46

第二十九章 思い出のウサギさんリンゴ

 衛のマンションに着いても、秀一は泣いたり笑ったりしていた。  すき焼きを食べ、ビールを飲み、酔っては泣き、笑った。 「秀一さんは、泣き上戸なのかな。それとも、笑い上戸なのかな?」 「両方だろうね。さて、と」  衛は秀一を抱き起すと、肩を貸した。 「宮木くん、寝室へ行こうか」 「うぅ……」 「早紀、私たちはソファで寝るぞ」 「うん。解った」  寝室へ秀一を連れて行き、衛はベッドに彼を横たえた。  その場から離れようとすると、秀一が腫れぼったい瞼を開けて言った。 「すみません。俺、自分のアパートへ帰ります」 「今夜は、泊っていきなさい」 「弓月さん、俺……」 「眠ると、今の辛さは少し薄まるよ」  その言葉に、秀一の目からは、また涙が流れた。 「寝室は、一人で使っていいから。たくさん泣いて、ゆっくり眠るんだ」 「ありがとうございます……ッ」  衛は、タオルを秀一に渡した。  彼はそれを目に当て、涙をゴシゴシとぬぐった。  秀一の様子を、早紀は心配そうにそっと見ていた。  寝室のドアを閉め、衛がこちらへ歩いてきたが、彼も浮かない顔つきだ。  早紀はソファに横になる前に、衛に訊いてみた。 「秀一さん、大丈夫かなぁ」 「あの様子だと、大丈夫じゃないな」  だが、とも衛は続けた。 「これを乗り越えられれば、彼はまた一つ成長するよ」 「そうだね。僕も、そうだったもんね」 「明日の朝は、宮木くんを明るく迎えてあげよう」 「うん……」  あの時の僕と、同じ。  お父さんも、思い出の家も。  学校も友達も進学も、全部無くしちゃった時の僕と同じ。 (可哀想な、秀一さん)  しょっぱい涙の味に彩られた、早紀のクリスマス・イヴだった。 「何てひどい顔だ」  鏡に自分の顔を映し、秀一は呆れた。  今日は、12月25日・クリスマス。  本来なら、桂と一緒に朝を迎えるはずだった。  それなのに……。 「後悔と恥に、挟まれてる気分だ」  実は、昨晩のことは、あまり覚えていない秀一だ。  ただ、まさかの失恋を味わい、誘われるまま衛のマンションにお邪魔した。  激しい二日酔いの頭痛から察するに、ひどく飲み、酔ったに違いない。 「何か、弓月さんや早紀くんに、絡んでたような気もする……」  穴があったら、入りたい!  そんな、頭を抱える秀一を、呼ぶ声がした。 「秀一さん、朝ごはん食べられそう?」 「早紀くん」  いつの間にか、鏡には自分だけでなく早紀の姿も映っていた。  優しい声に、くらりと来る。  また、泣けてきそうだ。 (いや、もう泣くのはよそう)  なにせ、このむくんだ顔になるまで、昨夜は泣いたのだ。  仕切り直して、前へ進もう。 (早紀くんも、そう言ってたし) 「ありがとう。少し、お腹に入れようかな」 「よかった」  早紀に伴われてダイニングへ行くと、コーヒーの良い香りが漂っていた。  テーブルには、二人分の食器が準備されていた。  秀一と、早紀の朝食だ。 「僕の淹れたコーヒー、飲んでみて!」 「弓月さんは?」 「先に、メビウスに行ったよ。僕も、後から入るけど」  ああ、と秀一は考えた。 (弓月さんは、俺の様子を見させるために、早紀くんを残したんだ)  申し訳ない、とうなだれそうなところを、早紀が支えた。 「秀一さん、今日はバイト休みだよね? のんびりしなさい、って衛さんが言ってたよ」 「うん、ありがとう」  勧められ、秀一は早紀の淹れたコーヒーを飲んだ。  それは、芳醇な慈味に満ちていた。 「美味い……すごく美味しいよ、早紀くん」 「良かったぁ。じゃあ次は、チーズトーストを焼くね」  そんな風に早紀は、秀一のために動いた。  秀一の面倒を見る早紀だが、そうしながらも自分を思い出していた。  打ちのめされた早紀を支えてくれた、衛の真似をしていたのだ。 (秀一さん、少しでも元気になってくれればいいな)  チーズトーストに、フルーツサラダ。  ポーチドエッグに、蜂蜜たっぷりのヨーグルト。  そして、リンゴを剥いた。  ようやく剥けるようになった、ウサギさんリンゴ。  それを見ると、秀一はようやく笑った。 「ウサギリンゴ、可愛いね」 「僕さ、ここに来た時は、リンゴも剥けなかったんだよ」  衛さんに教えてもらって、やっとできるようになったんだ。  そんな早紀の笑顔は、秀一の心を照らした。  雲をも照らす朝日のように、彼の心に差し込んでいた。

ともだちにシェアしよう!