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第43話 渾身の一杯

「衛のやつ、こんな場所に店を構えるとは!」  ようやくメビウスにたどり着いた衛の父の機嫌は、すこぶる悪くなっていた。 「私に一言相談すれば、もっと良い土地に! 駐車スペースも広く取って、雨天時も……」 「旦那様、衛さまがお出迎えです」 「な、何ッ!?」  ドアの前でブツブツ言っている間に、護衛が店内の衛に父の到着を伝えたのだ。  すぐに父親は黙り、衛を見た。  数年ぶりの、我が子。  少し痩せた気がするが、元気そうでなによりだ。  そんな感慨にふける父に、衛は笑顔で話しかけた。 「ご無沙汰しております。お変わり、ございませんか」 「いや、なに。病気もしとらんし……衛の方は、どうなんだ」 「おかげさまで、いたって健康ですよ。どうぞ、中へ」 「う、うむ……」  メビウスの立地について意見しようと思っていたが、父親は吸い込まれるように店内へ入って行った。 「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ!」  すぐに、秀一と早紀の明るい声が、衛の父を出迎えた。 「スタッフの教育は、きちんとできているようだな」 「二人とも、よく働いてくれます」  父親は、カウンター席に腰を下ろすと、店内を見渡した。  シンプルだが、決して無機質ではない。  品の良い温かな空間が、そこにはあった。  音楽は、落ち着いたジャズ。  そこへ、早紀がグラスに入ったレモン水を出した。 「衛さんは、大人の隠れ家をメビウスで表現しているんですよ」 「大人の隠れ家?」 「どんな苦難を抱えていても、一杯のコーヒーを味わっている間だけは、安らぎを感じてもらいたい、って」 「なるほどな」 「僕、そんな衛さんを尊敬してます」  早紀の言葉に、衛の父は感じるものがあった。 (この少年、衛を好きなのだな。好意以上の、愛情を抱いているようだ)  大企業のトップともなると、このような人の機微には敏感になる。  しかし早紀のまなざしは、どこまでも真っ直ぐだ。  恋愛に溺れている幼さは、見られない。  ニコッと笑った彼の明るさに、父の不機嫌だった心も晴れていった。  そこへ、衛が心を込めて淹れた一杯が用意された。 「いや、衛。私はコーヒーよりも、まずお前と話しを」 「まずは、一口どうぞ。ブラックアイボリーです」 「ブラックアイボリー? 初めて聞く銘柄だな」  ふん、と父親は口をへ文字に曲げた。 「ブルーマウンテンとか、キリマンジャロとか。そういった、有名な高級豆は無いのか?」  この言葉には、こっそり笑う秀一と早紀だ。 「弓月さんのお父さん、コーヒーには詳しくなさそうだね」 「ブラックアイボリーは、超・高級豆なのにね!」  だが衛は何も言わずに、父にコーヒーを勧めた。 「私の、数年もの時間の結晶です。飲んでください」 「まぁ、そこまで言うなら」  父が、カップを持った。  衛は、じっとそれを見守った。  秀一も、早紀も。  息を詰めて、感想を待った。  口に含んだコーヒーに、衛の父は驚いて目を見張った。  芳しい香りがいっぱいに広がり、次に苦みが訪れる。 (しかも、マイルドで棘が無い……!)  一口飲んだだけで、静かにカップを戻した父に、周囲は不安になった。 (お父様の口には、合わなかったのだろうか?) (マスターの、渾身の一杯ですよ!?) (衛さんの思い、どうか届いて!)  しかし、それらは全て杞憂だった。  衛の父は瞼を閉じ、深く息を吐いて微笑んだのだ。 「世の中に、これほど美味いコーヒーがあったとは。驚きだ」 「お父様」 「間違いなく、良い豆で。その旨味を最大限まで引き出した。そうだろう?」 「……ありがとうございます」 「見事な腕前だ、衛」  まさか、このバリスタの腕を、父に褒めてもらえる日が来るとは!  衛の胸は、喜びに震えていた。  衛の父は、コーヒーカップとソーサーを手にして、立ち上がった。  そして、カウンター席から離れ、店内をゆっくり歩き回り始めた。 「お父様、いったい何をお考えに……?」  そして時々立ち止まっては、ブラックアイボリーを口にする。  窓辺から外を眺めては、一口。  隅のテーブルに掛けては、一口。  そんな具合に、メビウスをぐるりと一周して、カウンター席へ戻って来た。  カップの中のコーヒーは、ちょうど飲み干されていた。 「ご馳走様、美味かったよ」 「では、お父様。私の話を、少し聞いてくださいますか?」  衛は、父の機嫌が良いと判断して、切り出した。 「私が弓月の家へ帰る際には、一人連れを伴いたいのです」 「連れ?」 「こちらの、梅ヶ谷 早紀くん。彼を……」  そこで衛の父親が、表情を変えた。  やや眉根を寄せ、警戒するような顔つきだ。  それに気づいた早紀は、身を乗り出して自らをアピールした。 「僕を、衛さん専属の使用人として、お屋敷に置いていただけませんか!?」 「さ、早紀?」 「家事は得意で、コーヒーも淹れられます。あ、お菓子作りもできますから!」 「ちょっと待って、早紀」 「お願いします! 何でもします! どうか、使用人にしてください!」  衛の父は、必死な早紀と、困惑気味の衛を、交互に見た。  そして間を置いた後、口を開いた。

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