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第2話

 第2話 秘密 寮の自室に戻り一人になると、ヨシュアは静かに机の鍵付きの引き出しをあけた。  引き出しは上げ底になっている。一見すると手帳だけしか入っていないように見える。  薄暗い部屋の中で、奥に隠した小さな錠剤を一粒口に放り込んだ。喉元を通る苦味を、無理やり水で押し流す。  第二の性と言われる性別は、アルファ・ベータ・オメガに別れ、この国では高位の貴族ほど優れた血統と言われるアルファ性で占められている。オメガはアルファを生む性として、家に縛られる。  ヨシュアはオメガだ。  はじめてヒートになったとき、父は頭を抱え、自分を離れの蔵に閉じ込めた。  アルファがどういうものか分からなかったが、オメガとばれると親族が自分をアルファと番わせ後継につく危険があると聞かされた。  自分は領主になれず、異母弟の将来も潰してしまう。目の前が真っ暗になった。  子供を産むためだけに、閉じ込められて生きるなんて、狂いそうでぞっとした。  いつもみたいに気楽に気持ちを切り替えられなかった。暗い蔵の中で一人、涙が止まらなかった。  突然くる体の不調のたびに、身を隠した。領民はベータばかりだが、噂になって親族の耳に入ることが怖かった。  だからこの薬を見つけたときは、目の前に一筋の光が現れた心地がした。  発覚すれば退学どころか社交界から追放される。入学がばれた場合に家と縁を切ることと引き換えに許可してもらった。  あの男に言われるまでもない。  本当に、申し訳ないほど家族に迷惑をかけている。  だから、絶対に隠し通す。  苦味がおさまると、ほっと息をはいた。  カスティールにいる元難民の薬売りから手に入れたこの白い錠剤は、ヨシュアから忌まわしいオメガ性を解放してくれた。この国では非合法だが、フェロモンもヒートも完全に抑えてくれる優れものだ。  アルファのいる貴族院でも、彼らと対等にやっていける。契約婚しかない将来は消えた。  何より領地に戻っても、家族と暮らしていける道ができるのだ。  白い錠剤は、ヨシュアを明るく照らし守ってくれる、小さな守り神だった。  扉を叩く音が響いた。 「グレンヴィルの使いの者です」 戸口を開けると、侍従らしき青年が、申し訳なさそうに肩をすぼめて立っていた。 「あの、アレス様がご自身で迎えに行くとおっしゃってですね⋯⋯申し訳ありません、静止も聞かずについてきてしまいました」 「⋯⋯え?」 青年の背後に大きな影が差した。 「夕食を共に、と思ってな。早めに迎えに来た」  ヨシュアはぽかんと口をあけた。  侍従だけよこせばいいものを。  ヴィンセントが、話がかみあわないやっかいな領だと言っていたことが脳裏をよぎる。  心臓に悪いから、部屋に近づかないでほしいと思いながら、部屋を出た。  寮を出ると、花の香りが漂う夜風がヨシュアの頬をなでた。  寮の裏手の林道に入り、少し歩くと小さな池が月を映して輝いている。その向こうに石造りの邸宅があり、松明が大きな扉を照らしているのが見えた。敷地内に邸宅があるのは知っていたが、グレンヴィル家のものだとは、知らなかった。  なにげなく横を歩く男を見ると目があい、心臓が跳ねた。驚くヨシュアを面白そうに見て、アレスの口が弧を描く。  笑えるのか。びっくりした。初めて見た。笑えないのかと思ったぞ。厳しい顔だけじゃないんだな。  平静を装って前を向いた。  ヨシュアは一息吐いて、少し気になっていることを尋ねた。 「最終試験はどうでしたか?」 「負けたよ。騎士団の精鋭はさすがだ。我流で挑んだら剣を折られた」  意外だった。鼻歌でも口ずさみそうに浮かれて見える。 「負けたのに楽しそうですね」 「試験は合格だからそれでいい。それに」 アレスが横を歩くヨシュアを横目で見る。 「貴方がここにいる」  ヨシュアは今日会ったばかりの男をまじまじと見返した。  いやいや。いくらなんでも会ったばかりだぞ。  ヨシュアは頭に浮かんだ疑念を打ち消した。 「もしかしてどこかで、お会いしましたか」 「いや。初めてだろう。俺は貴方のようなベータを見たことがない」 「私のようなとは⋯⋯」 「転んでもあきれるほどすぐ起き上がるベータだ」 「何を言っているのかわかりません」 僕はオモチャの起き上がり小法師か。ヨシュアはちらりとアレスを見て、探ってみる。 「私の父上があなたに何か伝えたのでしょうか」 「さあな。それより、着いたぞ」  話を打ち切られ案内されたのは、ホールから入ってすぐの吹き抜けに隣接した部屋だった。席に案内されると白いクロスのかかった長いテーブルに、生けた花とカトラリーが用意されており、すぐに給仕が彩りのよいサラダとおいしそうな匂いのスープを運んできた。 アレスは食前酒を掲げてヨシュアを見つめた。 「今日、あなたに出会えたことを、神に感謝しよう」 「はい、今後も末永く友好が続くことを願います」  睨まれていないのならば、問題ない。  領地に戻ったらベータとして補佐官になるつもりだ。手ごわそうだがグレンヴィルの子息との繋がりは、多少はあったほうがいい。  ワインを口にすると口当たりがよくて、そのままこくこくと飲み干した。アレスは目を見張り、腰を浮かした。 「おい、いきなり飲み干すんじゃない」  頭がふわっとして気持ちよくなり、にこにこしてしまう。  男のあきれたような視線を感じたが、気にならなくなった。  アレスは料理にほとんど手をつけず、ヨシュアが食べる様子を見続けていた。 「とてもおいしいのに、食べないのですか」 「貴方の食いっぷりに驚いている。口に合うのなら、何よりだが」 「故郷では、祭事にしか出ないスープです。口にしたら止まらないとはこのことですね」  アレスは嘆息した。 「俺はアルファなんだが。あなたは、やはりかなり危機感が薄いようだ」 「先ほどもそのようなことを言われていましたね。私はベータだから関係ないと思うのですが」 「全く⋯⋯今まで危険な目にあったことはおありか」 「危険、ですか」  ヨシュアは手を止めてアレスを見た。  冬色の目を見ながら考える。  グレンヴィルの領主一族が皆戦いに出るとしたら、人も食料も奪ってゆく恐ろしい国と戦っているとしたら、自分が経験したことなど危険のうちに入るはずがない。 「貴方に比べたら私など、何も知らないのだと思います。お恥ずかしいことですが」 「⋯⋯そうか」  アレスの目に剣呑な光が宿った。  給仕に視線で下がるように指示し、席を立ちヨシュアの後ろに回った。  ヨシュアは振り返ろうとしたが、出来なかった。  いきなりアレスの指がヨシュアの柔らかい金髪を鷲掴みにし、後ろに強く引っ張った。 「⋯⋯っ」 「貴方は一度、痛い目に遭ったほうがよさそうだ。俺が何を尋ねたのかも理解していない」  首筋を大きな手で掴まれ、固定された。いつでも折れる状態で、もう片方の手がうなじをすべり、鎖骨をゆっくりと調べるようになぞる。 仰向きにされたヨシュアを、怒りを含んだ冷たい目がヨシュアを射抜いた。突然のことに、声が出ない。 「こういうことを、されたことは?」  優しく耳を甘噛みされ、そのまま首筋を強く吸われたとき、ヨシュアは自身が反応したのを感じた。 「い、嫌だ⋯⋯っ」  恐怖で頭を押しのけようとしたが、びくともしない。首を掴んだまま立たされ、項を撫でられ、熱い息がかかった。首筋から、体を貫く甘い痺れ。アレスの触れる皮膚から、侵食してくるアルファの強力なフェロモン。 「ベータなら襲われないと?勘違いも甚だしい」  耳元で嘲るような声音で囁かれ、ヨシュアは青ざめた。 「ベータがアルファに項を噛まれるとどうなるんだろうな。面白そうだから、試してみるか?」  何を言っている。狂っている。狂犬。本当に? 「嫌っ、やめろ⋯⋯っ、離せよっ」  力の入らない態勢のままバタバタと暴れ、拘束する男に爪を立てる。腕を取られる。 「俺をあまり興奮させるな。加減できなくなる」  アレスが体を密着させ、滑らかな首筋を大きく喰む。ゆっくりと歯が食い込んできた。 「ひ⋯⋯」  終わる。終わりだ。こんなところで、オメガに、されてしまう。閉じ込められて、家族から引き離されて、これまで頑張ってきたことも、将来の道も、全部、何もかも、壊される。  ヨシュアは頭が真っ白になった。言葉にならないなにかを大声でわめきちらし、男を叩いて、もがいた。涙がだらだらと流れ続けて、呼吸が浅くなる。苦しい。息ができない。  ヒュウっと喉から引き攣れた音を出すヨシュアに、アレスが驚いたように手を離した。 「おい、落ち着け、ヨシュア⋯⋯!」  慌ててシャツのボタンがはずされる。 「ゆっくりだ、ゆっくり息を吸え」  胸をさする手が怖くて、もがいた。上手く息が吸えなくて、目の前が暗くなる。 「くそ、何もしない。何もしないから、落ち着け」  あやすように頭をなでられ、抱きしめられている。震えがとまらない。 「う⋯⋯っ」 「やりすぎた。俺が悪い」 「うぅ〜〜⋯⋯っ」 怖い。怖くてたまらない。オメガに戻ったら、生きていけない。  ボロボロと泣き続けながら、なんでこの男は自分をなだめようとしているんだと、わからなくなった。噛もうとした。歯が入った。  自分を、壊そうとした。 「落ち着いたか?」  聞かれても答えられなかった。 「こんなに、怖がるとは思わなかった。貴方が無防備すぎるから、アルファには気をつけろと言いたかっただけだったんだが」  ため息とともにぼやかれて、ヨシュアは腕を振り払った。 「ぼ、僕は気を付けています⋯⋯っ。あなたは何もわかってないっ」 「そうだな。俺はわかっていない」 「なんだよ、その、言い方⋯⋯っ」  腹がたって仕方がない。拳でアレスの顔を殴ろうとしたら、手首をつかまれ止められた。 「殴らせろ!」 「甘えるな。それとこれは別だ」 「なんだよ、それ。腹立つ⋯⋯」  腕に力をこめるが、全く動かない。  僕がオメガだから。  泣き晴らした顔にさらに涙がこぼれる。 こんな惨めな自分を誰にも見られたくなかったのに、今日会ったばかりの男に見せてしまった。  醜態だ。こんなこと、あってはいけない。  アレスは結局涙が枯れるまでヨシュアを抱きしめていた。慰めの言葉が何もなかったのが、ヨシュアにとっては救いだった。

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