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第6話
第6話 晩餐会2
「ヨシュア、グレンヴィル殿、よく来てくれたね」
扇のように広がる優美な階段を降りてきたヴィンセント・クラレンスは、栗色の髪をきれいになでつけ、品のある出で立ちで二人を出迎えた。
「お招きいただき恐縮です。ヴィンセント様」
「今夜は一段と魅力的だね、ヨシュア。ずっと愛でていたいとさえ思う愛らしさだ」
歌うように相手を持ち上げるヴィンセントに、ヨシュアは困ったように微笑んだ。
「ご冗談がすぎます。今夜集まった方々の前では私など、ヴィンセント様の語らいのお相手にもなれません」
ヴィンセントはヨシュアの謙遜に笑みを返しながら、翡翠の瞳でちらりとアレスの指輪を捕らえた。
「ヨシュアがグレンヴィル殿の指導生になったと聞いていたが、既に仲がよいようだね」
ヴィンセントはアレスに艶やかな笑みを向けた。対するアレスも青灰色の目を細め、口元に小さく笑みを浮かべた。
「ああ。彼は私のような無骨者に、分け隔てなく優しく接してくれる。好ましく思わずにはいられない」
ヨシュアはアレスの外面をまじまじと見てしまった。ヴィンセントに劣らず嘘か本音か見分けがつかない。アレスが一呼吸おいてヴィンセントを見つめた。
「勿論ヨシュア殿が尊敬するヴィンセント殿とも、ぜひ仲良くしたいと思っている」
「願ってもない。まずはともに食事を楽しみましょうか」
二人とも目が笑っていない。疲れるな、とヨシュアは思いながら、アレスの横を歩き出した。
「アレス」
ヨシュアはアレスを肘で小突いた。
「なんだ」
「ヴィンセント様のような艶やかな方がいらっしゃるのです。私など霞んで背景にもなりません。額の縁についている埃ですよ」
「自慢げに埃と言われてもな。俺もそんなことを考えている貴方の胆力の高さに驚いている」
「胆力が突き抜けている方に言われても」
「⋯⋯貴方にはあの毒花の気が削がれるのも、わかる気がする」
アレスの目元が少し和んだのを見て、自分の顔も緩むのがわかった。
晩餐会ではアレスの味方は、自分しかいない。これくらいしかできないのは、歯がゆいとさえ感じた。
執事に案内され、晩餐室の扉の前にいくと、先に集まっていた若者たちが、それまでしていた会話を止め、一斉に2人を見た。
正確にはアレスを見たのだろう。ヨシュアは一歩前に出て、穏やかに口を開いた。
「皆さん、ヨシュア・カスティールと申します。この方は、この春に貴族院に来られたアレス・グレンヴィル殿。皆様との語らいを楽しみにしておられます」
会釈と共に、やわらかな笑みを添えた。
張り詰めていた空気が、少しほぐれる。
数人が会釈をかえし、見覚えのある一人がヨシュアに声をかけた。
「カスティール殿。以前都市計画の講義で一緒だったな。帝都をモデルケースとした排水設備の整備についての論文は、非常に興味深く、感心したよ」
講義で議論をしたこともある青年だった。検討を重ねて提出した論文を褒められて、ヨシュアは顔をほころばせた。
「私も、エヴァンス様のご領地にも応用できないかと考えております。よろしければ、またご一緒に――」
「ヨシュア」
棘を含んだ声が背後から降りた。
「アレス殿?」
アレスが向かいの男を射るように見ていた。ヨシュアの肩に手を置き、柔らかな金髪をかきあげて隠れたピアスを揺らす。距離の近さに、ヨシュアの耳がぴくりと動いた。
「⋯⋯呼ばれたので先に行く。ギルから離れるな」
ヨシュアを一瞥してから背を向けたアレスに、青年が嘆息した。
「なんだあれは。カスティール殿に横柄すぎるのではないか?元平民のくせに」
(元平民?そんな噂が)
蔑みを含んだ嘆きに振り向くと、ギルが昏い目で男を見据えていた。
ヨシュアは、ギルの前に出て、手で動かないように指示を出した。先ほどよりも一層、淑やかな微笑みを浮かべる。
「エヴァンス様、気にかけてくださりありがとうございます。ですが、アレス殿は公爵家に正式に認められた方、出自の憶測は不敬と受け取られかねません」
穏やかな、しかし芯のある声に、傍観していた周囲の視線が集まった。
「アレス殿はエヴァンス様のお人柄をご存じなく、ただ家格が低い私を守ろうとしたのでしょう。ご不快な思いをさせてしまったのでしたら、私に責があります。私からの謝罪を受け入れていただけますか」
柔らかなヨシュアの声に、青年の顔が赤くなる。
「⋯⋯カスティール殿が気にされることではない」
「ヨシュア殿、席につきましょう」
少し焦った様子のギルが、ヨシュアをテーブルの席に促した。ヨシュアは軽く会釈して、自分に用意された席に向かった。
「さきほどは、ありがとうございます」
ギルが椅子を引くときに、ヨシュアに小声で話しかける。ギルを振り返ると、小さく笑みを返された。
アレスはギルにとって大切な主人なのだろう。アレスはああ見えて、心配するし気遣いもする。それを誰にも気づかれてないと思っているのがおかしくて、ヨシュアは肩を震わせた。
「なにか嬉しいことでもあったのですか。カスティール殿」
返事する間もなく、隣の席にいつの間にか煌びやかなアルファが座っていた。ついさきほどまでは商家出身のベータがいたはずだった。
ヨシュアの首筋から胸元のあたりを、ねっとりとした視線が這い回る。
ヨシュアは無言で儀礼的に微笑んだ。
「今宵は艶やかさは格別ですね。貴族院での貴方とは、まるで別人のようだ」
「⋯⋯グレンヴィル殿が見立ててくださいましたので」
(違うけど)
「対の石を身につけられているとは、彼はかなり貴方にご執心のようだが、やはりそのようなご関係で?」
「ご想像にお任せします」
「つれないですね。私も貴方の秘められた魅力を暴きたくなる」
「⋯⋯お気遣いなく」
「そう言わずに。貴方は誰のものでもないはずだ。今夜、食後にもう一度語り合いたいものです。⋯⋯二人切りで」
ヨシュアは微笑みを崩さないまま、そっと身を引いた。
「光栄なお申し出ですが、今夜は同伴の方がおりますので」
「そのような些細なこと、気にしませんよ。全ては貴方次第です」
「私が気にします。失礼」
ヨシュアは静かに、しかし素早く立ち上がった。全身に鳥肌がたっている。
ギルがわずかに動いたのを、小さく首を振って問題ないことを伝える。アルファから向けられたフェロモンの濃さに、胃が逆流しそうだった。上座に向かいながら、ヨシュアは息を一つ吐いた。
(こんなことに煩わされている場合じゃない)
ヨシュアは上座に座るアレスを見た。
アルファの若者が席を占め談笑し合う中、アレスは無表情に座っていた。
(元平民と思われているなら、心ないことを言われるかもしれない)
タフなことはわかっていても、彼が理不尽に貶められるのは、見たくなかった。
自分の役目は露払いだ。
そばに近づくと、アレスは手元の杯から目を上げた。
「アレス、少しよいですか」
声をかけた瞬間、周囲の会話が一瞬止まった。
ヨシュアはアレスに微笑んだ。
「さきほどエヴァンス様と都市の排水設備の問題についての話がでたのですが、グレンヴィルでの目下の問題は、隣国との紛争かと思います。かねてからどのように彼らを退けているのか、伺いたいと思っておりました。ちょうど皆様方もいらっしゃることですし、お聞かせ願えませんか」
戦の話は、血気溢れる若者の関心事の一つだ。ヨシュアがアレスに進めるよう促すと、アレスは目元を緩め、ヨシュアに軽くうなづき返した。そして視線を周囲に走らせ、口を開いた。
「皆様方は北の現在に興味はおありか」
よく通る声が、食事の席に届いた。
皆の関心がアレスに集まる。
「では、少し、話しをしよう」
一口ワインで口を湿らせ、静まった席で話を始めた。
「ご存じのように、北の国境は巨大な山脈で守られている。冬の間は猛吹雪と氷で閉ざされ、雪解けの季節とともに、彼らが山を越えてくる」
アレスは手元の杯に目を落としたまま続けた。
「昨春は三百で五百を相手にしなければならず、雪崩を人為的に起こし、誘い込んで殲滅した。戦意を削いだはずだったが、すぐに追加の軍を投入してきた。そういう奴らだ」
「なぜ彼らはそこまでして攻めてくるのですか。帝都への脅威となるなら、我々にも無関係ではありません」
一人の若者が尋ねた。アレスは彼に向かって話を続けた。
「なぜならノルズガルド帝国は冬の食料が全く足りないからだ。彼らにとって、略奪は家族を養う為の出稼ぎで、正当な行為だ。だから春になると食料、家畜、使える人間。全てを奪っていく」
息を呑む音が聞こえた。常識がまるで違うことは、帝都ではほとんど知られていない。
「人間、というのは」
「労働力だ。それから——」
アレスがわずかに間を置いた。
「オメガだ。強靭な子供を産ませるために連れて帰り、性奴隷にする。次世代を増やしたいからだ。アルファも同様だ。奴隷兵にされるだけでなく、腱を切って発情させて、種馬にする。こちらは使い捨てだ」
ヨシュアはおぞましい現実に言葉を失った。
「⋯蛮族どもは、そこまでするのか」
別の誰かがつぶやいた。
「それでグレンヴィル殿。北の戦況に収束の兆しはないのですか?」
問いかけたのは、豪奢な服に身を包む貴族だった。南の穀倉地帯を抱える大領地の貴族だとヨシュアは気づいた。
「我々が多大な血税を投じているのです。湯水のごとく軍費に費やされる一方では、援助を続ける我々がもたない」
周囲も同調するように頷く。
アレスは、静かにワイングラスを置いた。
「兆しは待つものではなく、作るものです」
声音が深く、腹に届くものに変わった。
「現在グレンヴィルが提供している最大の対価は、皆様がこのように安全に晩餐を楽しめているという事実。我が領が落ちればどうなるか。彼らは残虐極まりない。周辺の領地は強奪され、そこから広がる交易路は絶たれ、エルドール連邦国は破綻する」
ヨシュアは、アレスが既に国を俯瞰していることに固唾を飲んだ。見ているものが違う。これは、一介の地方貴族のそれではない。
「交易路はいわば国の血液だ。交易路が貧弱なせいで、偉大なエルドールは本来持っている力を使えないでいる。力を最大限引き出す為、私は大がかりな兵站場をカスティールにつくることを提案する」
別の席から、失笑が漏れた。
「あそこは開拓も進まぬ痩せた土地。何もないではありませんか」
ヨシュアの指先が震える。アレスは横に立つヨシュアの震えを視界の端に捉えながら、さらに声を一段低くした。
「確かに今は何もない。しかしカスティールは北から帝都に続く中継基地として最適な位置にある。この地が物資を備蓄し、絶えずグレンヴィルに補給が行えるなら、軍費は今の七割で済み、短期決戦も可能となる。いずれ戦いは終わり、交易が始まる。そして交易は皆様の新たな利益になる」
貴族たちは半信半疑だった。だが国家事業規模の計画が動き始めてからでは、乗り遅れる。彼らは真剣に耳を傾けた。
「……これからの国を支えるあなた方にとっても魅力的な計画だ。絵空事として終わらぬよう、私は最大限の努力をしよう」
アレスはわずかに口角を上げ、ヨシュアに視線を投げた。その時、ヨシュアは理解してしまった。
「ヨシュア・カスティール殿は、既に私が直接目を掛けている。⋯⋯領地の将来も、彼自身も含めて」
いっせいに値踏みするようなアルファの視線を受け、ヨシュアは硬直した。
一拍置いて、アレスが傍らに歩み寄り、ごく自然にその背に手を添えた。挑発するように、動かない彼らをあざ笑う。
「グレンヴィルが後ろ盾となる以上、カスティールは孤立した小領地ではない。関心のある方は、早めに動かれることだ」
貴族たちの目に欲が灯った。
ヨシュアは表情を動かせなかった。
体の芯が冷えて、四肢が鉛のように重くなる。
彼らの関心はカスティールへ富をもたらす一方で、ヨシュアの一挙一投足を監視することを意味する。
もし、秘密が暴かれたら。
ヨシュアは背中に添えられた手の熱さにぞっとした。
⋯⋯真っ先に動くのはこの男だ。
自分に契約婚を強要し、カスティールに干渉できれば、領主の座は近くなる。
承知のうえなのに胸の奥が冷たくて、痛かった。
ベータなら良かった。
ベータなら、アレスは利用しても自分を対等に扱ってくれる。
オメガとばれたら、本当に駒でしかなくなる。隣には、立てない。
⋯⋯なんで、オメガなんだ。
唇をきつく噛み締めたら、血の味がした。
ヨシュアは、前を向いたままアレスから離れた。
感傷を持ち込む自分が馬鹿だと言い聞かせる。第二性も仕方のないことだと、繰り返した。
むしろ利用しなければ。
僕を必要としてくれる者の為に。
ヨシュアは人々の喧騒の中、一人壁を向いて静かに息を整えた。
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