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第7話
第7話 談話室にて
給仕が食卓を片付け始めると、参加者は席を立ち、各々談笑し始めた。
ヨシュアはひどく体が重かった。
隣席だった侯爵家の子息に声をかけられ、疲れを笑顔の下に隠してしばらく立ち話をしていた。気づけば、アレスの姿が見えなくなっていた。
「ヨシュア、少しよいかな」
ヴィンセントが傍らに立っていた。穏やかな笑みだが、目は笑っていない。
「グレンヴィル殿と少し話したいのだが、君にも同席してもらいたい。いいね?」
「⋯⋯勿論です」
体が石のように重い。できれば遠慮したい。しかし同席が許されるなら聞かなければならない。
恐らく、重要なことだ。
隣室の小さな談話室に、三人が収まった。
ギルも、扉の外だ。ヴィンセントが扉を閉めると、場の空気が変わった。
「改めて、今夜はよく来てくれた。グレンヴィル殿」
「お招きに感謝する」
二人の声には互いを威圧する声音を含んでいた。ヨシュアは、アルファの圧を体に受け、息が苦しくなった。気づかれないように、背筋を伸ばしたまま後ろに下がる。
ヴィンセントはソファに腰を下ろし、脚を組んだ。アレスは立ったままだ。ヨシュアは二人から距離をとり、壁を背に立った。
「北の話、興味深く聞かせてもらったよ。グレンヴィル領は我が国の防衛の要だ。かの領無くして、エルドールの繁栄は成立しない」
「光栄だ」
ヴィンセントは琥珀色の液体をグラスに注ぎ、冷ややかな目をアレスに向けた。
「だが、グレンヴィル殿。君の描く物流改革。あれは、少々話がうますぎる。軍費を三割削りその余剰を我々に還元するとは、美酒のように抗いがたい誘いだ。だが、その心臓を君が握るなら、それはこの国の喉元をグレンヴィルが指先一つで締め上げられるということだ。違うかな?」
鋭い追及に、ヨシュアは息を呑んだ。ヴィンセントは宰相の補佐官も兼任している。中央の支配力を削ぐ者に、警戒をしているようだった。
しかし、アレスは、一笑した。
「買いかぶりすぎだ、ヴィンセント殿。今のグレンヴィルは瀕死の状況だ。貴族の矜持を投げ売って、私のような養子をとって戦力に充てなければならないほど、追い詰められている。望むのは貴方と同じ、出口のない消耗戦の『終止符』。それだけだ」
アレスが一歩踏み出し、ヴィンセントの眼前に身を乗り出した。
「カスティールを中継基地とし、物資を瞬時に北へ送り込む体制を整える。それが成れば彼らを物量で叩きふせ、交渉の場につかせられる。略奪より交易が採算にあうと奴らに教え込む」
「なるほど。補給路の確保は、交渉の場に立たせる為の布石か。面白いが」
ヴィンセントはちらりとヨシュアの顔を見た。
「⋯⋯彼らはカスティールを叩きに来るな」
ヴィンセントの指摘は核心をついていた。
その言葉に、ヨシュアは家族の顔がよぎった。
(そのとおりだ。発展と引き換えに危険を呼び込むことになる)
「ヨシュア。君は納得したのかな」
ヴィンセントの問いにヨシュアは一瞬ためらい、それから顔をあげた。
「承知しています。戦争を終わらせることが先決と考えます。これ以上、領民の略奪を許してはなりません」
ヴィンセントはにっこりと笑った。
「私は君を見るたびに初心に帰らねばと思うよ。小鳥のさえずりは近くで聞いてこそ心が洗われるというのに、領地に戻すのは本当に惜しい」
「⋯⋯あ、有難うございます?」
アレスの目がすっと冷気を帯びたものに変わる。ヨシュアはアレスのように理解できない自分に、さらに気持ちが沈んだ。
ヴィンセントは豊かな長髪を揺らし、アレスに向き直った。
「いいだろう、カスティールを物流拠点とする為の予算は通すように進言する。だが忘れるな、グレンヴィル」
ヴィンセントは、アレスから目を離さずに、足を組み替えた。
「カスティールを『心臓』だと喧伝した瞬間、そこはあらゆる勢力の最優先目標になる。彼の国は手薄なカスティールを焼いて補給を断つことを目論み、君の政敵は君ではなくその心臓を狙う。……もし君の防衛がわずかでも遅れれば、真っ先に死ぬのは、そこに立っている彼だ」
ヨシュアはヴィンセントの言葉にひっかかりを感じた。
アレスの野心と理想を守るための、最も脆く最も狙われやすい「急所」。
正確には自分ではなく、カスティールだ。
自分はそこを死守する。しなければならない。それはヨシュアの願いそのものだった。
「⋯⋯そんなことは決してさせない」
アレスが、唸るように声を絞り出した。
「ならば、まずはご兄弟に勝つことだ。私は見学させてもらうことにするよ」
アレスはヨシュアの手首を強く掴んだ。有無を言わせぬ力で引かれ、ヨシュアは談話室を後にした。夜風の吹く回廊に出ても、手首に食い込むアレスの指の熱は引かない。
「ゆっくり歩いてください、アレス⋯⋯」
アレスが足を止め、ヨシュアを石壁に押し当てた。暗がりに、青灰色の瞳が月の光を反射してさえ冴えと光る。こんな時にさえ、生き抜こうとする彼を美しいと感じる自分は愚かだと自嘲した。
「何ですか」
「⋯⋯何故怒らない。俺はお前を利用したのに」
吐き捨てたアレスに、ヨシュアは何を言っているのだろうと思った。
「今更何を?私もあなたを利用するのだから、おあいこじゃないですか」
「だったらなんで、そんな顔をする」
アレスは何かを言いかけ、口を閉じた。
「あいつは貴方が真っ先に死ぬと言ったが⋯⋯俺は貴方には死んで欲しくない。決して」
「わかっています」
(カスティールを失えば、アレスは窮地に立たされる。だから守る。それだけのことだ。好意ではない。そういう話ではない)
自分に言い聞かせながら、体の奥に冷たいものが沈んでいく。限界を超えた積み木が壊れるように体が崩れ落ちた。
「ヨシュア!?」
気づけば、声が遠かった。
耳鳴りがして、目がかすんでくる。
石壁に背を預けたまま、ゆっくりと抗えない力が働いて目が閉じていく。
「⋯⋯少し、僕⋯⋯」
アレスが顔を近づけて顔色を窺っている。白い肌に滲んだ汗を、アレスか指で拭った。
「具合が悪いのか?⋯⋯立てるか」
アレスがヨシュアの体を支えた。片腕を背に回し、もう片方でヨシュアの腕を取り、そこで固まった。何かを探るように耳をそばだて、辺りを嗅ぐ。何かを思い出したように目を見開き、ヨシュアの顔を振り返った。
「お前っ」
「⋯⋯はい」
「いや、歩けるか」
「⋯⋯はい」
一歩踏み出したところで、ヨシュアの足が止まった。体が、言うことを聞かなかった。
「すまない⋯⋯無理をさせた」
低く呟いて、アレスはヨシュアを両腕で抱え直した。
アレスの腕の中は、温かかった。それだけではなかった。今夜ずっと首筋を粟立てていた不快な緊張が、すうと引いていく。体の強張りが解けていく。まぶたが重くなる。
頼ってはいけないのに、体は言うことをきかなかった。
「温かいです。気持ちがいい⋯⋯すみません」
「いいから。黙って寝ていろ」
アレスはヨシュアを馬車に運び、貴族院の別邸に連れ帰った。
ヨシュアが眠りに落ちたのを確認してから、アレスは部屋の隅でカインを呼んだ。
「ヨシュアの寮部屋を調べろ」
「⋯⋯何か気になることでも?」
ためらうようにアレスがヨシュアを見た。
「もっと早くに調べるべきだった。確証が欲しい。ヨシュアは、オメガかもしれない」
カインの目が、わずかに細くなった。
「根拠は」
「さっき、かすかに香りを感じた。⋯⋯それに前に会ったとき、そうだった」
カインが腕を組み首を捻った。
「前っていうと⋯⋯あの時か。だからしつこく俺の報告を疑ったのか」
アレスはカインに、定期的にヨシュアの身辺を調査させていた。だが、カスティールでも貴族院でも、優秀なベータ以外の噂はなく、アレスは稀にある『変質』を疑った。
「調べるのはいいけどな⋯⋯ばれて嫌われても知らねえぞ」
一刻して戻ってきたカインは、小さな錠剤の入った小瓶を無言で差し出した。珍しく渋い顔をしている。
アレスは受け取り、小瓶を灯りにかざした。白い錠剤が10粒ほど。
「なんだこれは」
「鍵付の引き出しをあげ底にして、隠してありましたよ。他は特に何も。調度品の一つもなく、質素なもんです」
「隠すということは非合法な薬物か?⋯⋯隠したい持病でもあるのか⋯⋯?」
カインが大きくため息をついた。
「しっかりしろアレス、俺は傭兵団が他の部隊と合同で動いたときに見たことがある。後方部隊の売春宿のオメガが、ヒートを抑えたいときに飲む、希少なノルズガルドの薬。⋯⋯抑制剤だ」
アレスはカインを見やり、寝台のヨシュアに目を向けた。静かな寝顔だった。長い睫毛。整った顔の造作。プラチナブロンドの髪が、枕に広がっている。
「抑制剤⋯⋯?」
ヨシュアの琥珀の目とあったときに走り抜けた、強い衝動。焦がれ続けた彼にまた会えた喜びだと思っていた。
出会ったときのヨシュアはあどけなく、熱にうなされながらも、禍々しいほどの力でアルファの自分を支配した。
ベータだと報告を受けた時、あんな人を狂わせる力がないなら、そのほうがいいと思った。
ベータだから、これほど早く会うことができた。
少しずつ自分に心を許していくヨシュアを味わう高揚が、自分の判断を遅らせた。
アレスは白い錠剤を見つめる。
「カイン。これが抑制剤だといいきれるのか」
「氷晶石の匂いがする。蓋をあけて嗅いでみろ」
カインは傭兵団にいた頃の口調に戻っていた。蓋を開けると、ノルズガルドでしか採れない、鉄分にも似た独特の石の匂いがした。
「⋯⋯確かに。だが何故、ノルズガルドの薬を」
「知らないのか?氷晶石を混ぜた抑制剤は劇的にフェロモンを抑える。だが、命を縮める。いつから服用してるのか知らないが、あいつが常用してるとしたら、いかれてる」
アレスは冷水を浴びせられた気がした。
「ずっとベータだったってことは、カスティールにいた頃からだろ。領主の嫡子が違法薬物とはね。何考えてるんだか」
⋯⋯ヨシュアは諦めていなかった。
はじめて会ったとき、必死にオメガであることを隠そうとしていた子供。
弟の邪魔になりたくないと、冷たい冬の納屋で身を縮めて体の火照りを堪えていたあの時のまま、ヨシュアは自らを顧みない。
アレスはゾクゾクと体に震えがはしった。
自分が欲しかったものが、欲しくて欲しくて夢にまで見た彼がここにいる。
(ヨシュアがオメガだとして、どうする)
執政官とするには、オメガという属性はハイリスクだ。だがヨシュアの知力と自律性は、物流計画に不可欠でもある。代替者を探す時間は惜しい。ならば今は、続行が最適解だ。
だが、抑制剤で命を削らせるわけにはいかない。
アレスは瓶を握ったまま、もう一度ヨシュアを見た。
かすかに感じる花に似た、爽やかな甘い匂い。腕の中で眠りに落ちた時、大切な何かが手のなかに落ちてきた気がした。
オメガなら、契約婚により手中に納められる。噛んでしまえば、永遠に自分なしでは生きていけなくなる。
⋯⋯だが、心が手にはいらない。
何よりも欲しいものが今ここにあるのに、届かない。
アレスは、瓶をカインに返した。
「元に戻しておけ」
「⋯⋯おい」
「今夜のことは、俺があいつに聞くまで黙っていろ。⋯⋯ギル」
「は」
「ヨシュアの護衛を続けろ。代替の薬はすぐに手配する」
カインは何も言わずに部屋を出ていき、アレスは一人、客室で眠るヨシュアの髪を撫でた。
手に額を押し付けてくるヨシュアを思うと胸が苦しくなる。
オメガでも、ベータでも、どうでもいい。
命に代えても失うわけにはいかなかった。
あの長髪の言う通りなのが癪だが、自分は勝たなければならない。
部屋の灯りを消すと高く登った上弦の月が、窓の格子の影をくっきりと床に落とした。
この静かな学生達の箱庭に、自分はいつまでいられるかわからない。
早く、手に入れなければ。
アレスは静かに扉を閉め、執務室に足を向けた。
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