9 / 22

第9話

第9話 ギルの報告  アレスの元にギルが戻ってきたのは、夜半過ぎだった。  アレスは机に向かったまま顔を上げなかった。書類の山は昨日より増えている。グレンヴィル領からの定期報告、補給路の試算、そして宰相府から届いた、当たり障りのない挨拶と本音を隠した書簡。  どれも読めば読むほど、頭が痛くなる類のものだった。 「遅かったな。あいつは変わりなかったか」 「はい。よく休まれたようです」 「そうか」 「礼を伝えておいてほしいと言われました。あとアレス様の寝室を占拠してしまったことに、気の毒なほど恐縮されておいででした。やはり客室を用意すべきだったかと」 「⋯⋯⋯⋯いいだろ別に」  少しトーンが下がった声にも、ギルはそのまま直立姿勢を保ったままだ。 「普通にやばい奴と思われてるかもな」  窓際で錠前はずしの練習をしていたカインが小声でつっこんだ。 「何か変わったことはあったか」 「そうですね、剣術を教えてほしいと」  アレスの手が止まった。 「誰に」 「私に」 「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯お前にだと?」 「はい。貴方はお忙しそうだから、かわりに背中を預けている人間の剣を、教えて欲しいと」  アレスはしばらく何も言わなかった。高く積まれた書類に囲まれて、書類の端をシワがつくほど指で押さえ、薄く目を開いてギルを見た。灰青色の目が剣呑に光っている。 「断ったか」 「引き受けました」 「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」  カインが窓辺を向いて、音もなく肩を震わせている。アレスは窓辺の従者を睨みつけたが、意に介するわけがない。  アレスは咳払いをして、ギルを見上げた。 「それでいい。それから例の薬。昼の出払っている間にカインが流通品にすり替えたからな」 「それは⋯⋯安心しました」  ギルは、心底安心したように顔を緩めた。 「だが氷晶石の成分が入っていないから、効果が薄い。十分気を付けろ。周りに気付かれるな」 「承知しました」  アレスは書類をまとめて脇に退け、背もたれに体を預け、天井を見た。 「カイン、ヨシュアの弟が近いうちに来るはずだな」 「ああ。十六歳になるアルファで、半年に一度、ヨシュア殿に会いに来るそうだ」 「アルファなら次期領主確定の子供か⋯⋯」  十六なら、貴族院に入る直前だ。一人前になるにはまだ時間がかかる。 「ギルの話じゃ、胸を射抜かれる可愛さらしいぜ」 「私ではなく、ヨシュア様がそのように話されました」  カインは鼻で笑った。 「俺はアルファなんて小賢しいガキしか知らないな。そいつ、ヨシュア殿に猫かぶってるかもしれないぞ」 「⋯⋯お前が言うアルファとは俺か?小賢しいガキで悪かったな」 「小賢しいくらいが、張りがあるってもんですよ、アレス殿」  アレスはため息をついた。  ヨシュアの弟なら、少なくともカインよりは温和だろう。 「ギル、その子供が来る日に合わせて時間をつくる。どんな奴かは会えばわかる。顔合わせをしたいとヨシュアに伝えろ」 「わかりました」 「以上だ」  退室しようとしたギルを、アレスが呼び止めた。 「待て、ギル」 「はい」 「その⋯⋯ヨシュアをどう思う」 ギルはわずかに眉を寄せた。 「どう、とは」 「そのままの意味だ。お前からはどう見える」  ギルは目を見開いて、アレスを見た。  アレスに個人について尋ねられたのは、はじめての事だった。 「そうですね。私は、あまり元気がないように見えました」 「どのあたりがだ」 「よく分かりませんが、普通すぎるのです。晩餐会の件は彼にとって重大事だと思うのですが」 「あえて考えないようにしている、ということか」 「そのように見えました。ご領主に相談もままならない状況では、普通に考えれば荷が重いのではないかと」 「⋯⋯相談⋯⋯」  アレスにとって、ギルの言葉は理解しづらかった。自分で決めるのが当然だし、荷が重ければ捨てる。それが自分にとっての普通だ。 「カスティール領は、グレンヴィル領とは違いますから」 ギルが退出すると、カインは壁から背を離し、伸びをした。 「アレス」 「なんだ」 「ギルの奴、意外とヨシュア殿のこと気にいってるな」 「そうかもな」 「お前もだ。悪いとは言わないが、何かに気を取られたら、足を掬われるぞ」 「わかってる」 書類を一枚引き寄せ、また読み始める。  ヨシュアは自分が相談しなかったことは、気にしていなかった。利用したこともお互いさまだと言った。領地を発展させることも良しとしているはずで、晩餐会では自ら俺の為に動いてくれた。  あの、けなげに守ろうとする姿がいじらしくて、顔が歪むのを抑えるのが大変だった。  相談でも利用でもない。 それがなぜ、あんな強張った表情に変わったのか。  ⋯⋯俺は、何か間違えたのか。  思いが絶え間なく昨晩の時間に引き戻され、目の前の文字は、なかなか頭に入らなかった。

ともだちにシェアしよう!