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第9話
第9話 ギルの報告
アレスの元にギルが戻ってきたのは、夜半過ぎだった。
アレスは机に向かったまま顔を上げなかった。書類の山は昨日より増えている。グレンヴィル領からの定期報告、補給路の試算、そして宰相府から届いた、当たり障りのない挨拶と本音を隠した書簡。
どれも読めば読むほど、頭が痛くなる類のものだった。
「遅かったな。あいつは変わりなかったか」
「はい。よく休まれたようです」
「そうか」
「礼を伝えておいてほしいと言われました。あとアレス様の寝室を占拠してしまったことに、気の毒なほど恐縮されておいででした。やはり客室を用意すべきだったかと」
「⋯⋯⋯⋯いいだろ別に」
少しトーンが下がった声にも、ギルはそのまま直立姿勢を保ったままだ。
「普通にやばい奴と思われてるかもな」
窓際で錠前はずしの練習をしていたカインが小声でつっこんだ。
「何か変わったことはあったか」
「そうですね、剣術を教えてほしいと」
アレスの手が止まった。
「誰に」
「私に」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯お前にだと?」
「はい。貴方はお忙しそうだから、かわりに背中を預けている人間の剣を、教えて欲しいと」
アレスはしばらく何も言わなかった。高く積まれた書類に囲まれて、書類の端をシワがつくほど指で押さえ、薄く目を開いてギルを見た。灰青色の目が剣呑に光っている。
「断ったか」
「引き受けました」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
カインが窓辺を向いて、音もなく肩を震わせている。アレスは窓辺の従者を睨みつけたが、意に介するわけがない。
アレスは咳払いをして、ギルを見上げた。
「それでいい。それから例の薬。昼の出払っている間にカインが流通品にすり替えたからな」
「それは⋯⋯安心しました」
ギルは、心底安心したように顔を緩めた。
「だが氷晶石の成分が入っていないから、効果が薄い。十分気を付けろ。周りに気付かれるな」
「承知しました」
アレスは書類をまとめて脇に退け、背もたれに体を預け、天井を見た。
「カイン、ヨシュアの弟が近いうちに来るはずだな」
「ああ。十六歳になるアルファで、半年に一度、ヨシュア殿に会いに来るそうだ」
「アルファなら次期領主確定の子供か⋯⋯」
十六なら、貴族院に入る直前だ。一人前になるにはまだ時間がかかる。
「ギルの話じゃ、胸を射抜かれる可愛さらしいぜ」
「私ではなく、ヨシュア様がそのように話されました」
カインは鼻で笑った。
「俺はアルファなんて小賢しいガキしか知らないな。そいつ、ヨシュア殿に猫かぶってるかもしれないぞ」
「⋯⋯お前が言うアルファとは俺か?小賢しいガキで悪かったな」
「小賢しいくらいが、張りがあるってもんですよ、アレス殿」
アレスはため息をついた。
ヨシュアの弟なら、少なくともカインよりは温和だろう。
「ギル、その子供が来る日に合わせて時間をつくる。どんな奴かは会えばわかる。顔合わせをしたいとヨシュアに伝えろ」
「わかりました」
「以上だ」
退室しようとしたギルを、アレスが呼び止めた。
「待て、ギル」
「はい」
「その⋯⋯ヨシュアをどう思う」
ギルはわずかに眉を寄せた。
「どう、とは」
「そのままの意味だ。お前からはどう見える」
ギルは目を見開いて、アレスを見た。
アレスに個人について尋ねられたのは、はじめての事だった。
「そうですね。私は、あまり元気がないように見えました」
「どのあたりがだ」
「よく分かりませんが、普通すぎるのです。晩餐会の件は彼にとって重大事だと思うのですが」
「あえて考えないようにしている、ということか」
「そのように見えました。ご領主に相談もままならない状況では、普通に考えれば荷が重いのではないかと」
「⋯⋯相談⋯⋯」
アレスにとって、ギルの言葉は理解しづらかった。自分で決めるのが当然だし、荷が重ければ捨てる。それが自分にとっての普通だ。
「カスティール領は、グレンヴィル領とは違いますから」
ギルが退出すると、カインは壁から背を離し、伸びをした。
「アレス」
「なんだ」
「ギルの奴、意外とヨシュア殿のこと気にいってるな」
「そうかもな」
「お前もだ。悪いとは言わないが、何かに気を取られたら、足を掬われるぞ」
「わかってる」
書類を一枚引き寄せ、また読み始める。
ヨシュアは自分が相談しなかったことは、気にしていなかった。利用したこともお互いさまだと言った。領地を発展させることも良しとしているはずで、晩餐会では自ら俺の為に動いてくれた。
あの、けなげに守ろうとする姿がいじらしくて、顔が歪むのを抑えるのが大変だった。
相談でも利用でもない。
それがなぜ、あんな強張った表情に変わったのか。
⋯⋯俺は、何か間違えたのか。
思いが絶え間なく昨晩の時間に引き戻され、目の前の文字は、なかなか頭に入らなかった。
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