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第11話

第11話 エリク  学生寮の一角にある面会サロンは、天井まで届く両扉と石造りの壁を持つ、厳格な空間だ。私服の立ち入りが制限され、学生が家族と会うための場所としては、いささか仰々しい。  ヨシュアは少し緊張しながら制服の襟を指で整え、その扉をゆっくりと開いた。 「兄上!」  声より先に、大きな体が飛び込んできた。  旅装のまま突進してきた弟を、ヨシュアはかろうじて受け止めた。弟のエリクは見ない間に、また一回り大きくなっている。 「エリク、落ち着いて」 「会いたかったです、兄上」  ヨシュアは苦笑しながら、弟の広い背中をそっと叩いた。 「僕もだよ。——見ない間に大きくなったな」 「毎日体が痛かったです。兄上はやっぱりお綺麗で……母上が心配されていました」 「夫人は苦労されていたからな。このとおり元気だと伝えてくれ」 「はい、兄上」  ヨシュアが後ろを振り返った。 「私の弟のエリクです。エリク、こちらはグレンヴィル殿がよこしてくれた護衛のギル・バートレットさんだよ」 「ギル・バートレットです、エリク様。お見知りおきを」 「こちらこそ!兄がお世話になっています」 「私の部屋に案内するよ。さあ、行こうか」 「はい!」  弾んだ返事が廊下に響いた。  ギルは二人の後について歩きながら、二人の質量を見比べてしまった。片やギルより背が高く、筋肉ががっしりとついている。  ギルはヨシュアの言う「かわいい」について、定義を再検討することにした。 「ギルさん、今日はここまでで結構です」  寮部屋の扉を開けながら、ヨシュアはギルに笑いかけた。 「兄弟水入らずで話したいのです。よいでしょうか」 「承知いたしました。明日、アレス様と談話室でお待ちしています」 部屋に入ったエリクは背負ってきた荷物を床に降ろすと、中から小さな包みを無言で取り出し、両手で差し出した。 「兄上のお言いつけ通り、道具屋から買ってきました」 「助かるよ」  ヨシュアは表情を動かさないまま受け取り、机の引き出しをあけた。底を外して、数粒残った硝子の小瓶に渡された分を足してゆく。 「残りが少なすぎます……ヒートの直前に飲むものですよね。前より早くなってませんか」  エリクの声が低くなった。 「ここのところ入用だったから。そうか。もう抑制剤のことも習ったんだね」 「兄上」  振り向くと、エリクが沈んだ顔でこちらを見ていた。ヨシュアは少しの間、弟を見た。 「道具屋の扱う薬なんて、効き目が悪いのではありませんか。ばれたらと思うと、怖いです」 「心配をかけたね。いまだけだよ」 「⋯⋯もう、これで最後ですからね。卒業まで、これでもたせてください」 「わかったよ」  ヨシュアの穏やかな返事にも、エリクの顔の強張りはとけなかった。  ヨシュアは、エリクが持ってきた茶葉で煮出した大麦茶を用意した。飾り気のない白い茶器にそそぎ、鼻を近づけた。 「木の実が入っているね。香ばしくて懐かしい香りだ」 「今年初摘みの茶葉です。僕が兄上に会いに行くのを知って、炭火職人達が煎りたてを持たせてくれました」 「そうか。仲がよくて何よりだ」  明け放した窓からは初夏のさわやかな風が入ってくる。幸せそうに、お茶を楽しむヨシュアを見ながら、エリクは表情を曇らせたまま、自分も温かいお茶に口をつけた。 「兄上、もうひとつ気になっていることがあります。グレンヴィル様は、兄上に無理を強いたりしませんか」  エリクの心配に、ヨシュアはくすりと笑った。 「あの方は私にとてもよくしてくれるよ」 「⋯⋯彼が帝都へ向かう際、父上の元を訪ねたのです」  ヨシュアは、アレスを目にした日のことを思い出した。 「そういえば、うちの領に立ち寄ったとか言っていたな。そこは本当だったのか」 「カスティール領の今後についての話を、父上から聞きました」  ヨシュアはため息をついた。 「彼なら、事前に言いかねないな。毎日書類仕事に追われているようだけれど、既にある程度の絵は描けているのかもしれない」 「兄上はグレンヴィル殿を信頼されているのですか」  ヨシュアはエリクも成長したなとのんびり考えながらも、カスティールにとってのアレスの立ち位置をどう伝えようかと迷った。 「⋯⋯彼の今後にとって、カスティールの発展はかかせない。だから信頼しているし、勝ち残って欲しいと思っているよ」 「人としてはどうなのです?」 「人として、ね」  怒りっぽいアレスが、不器用に自分を気遣ったり、照れたりするのを思い出す。  ああ、首を噛む真似をして、謝ったかと思えば開き直りもしていたな。  ⋯⋯非道い男だ。  ヨシュアは知らず知らずのうちに笑みを浮かべた。 「憎めない人だよ。ずっと見ていても飽きないだろうな」  窓の外で風が大きくざわめいた。  エリクはヨシュアを見ていたが、静かに大きな手をヨシュアの手の甲にそっと重ねた。 「お好きなのですね。僕が兄上を好きなように」 「そうなのかな。困ったところも多いけれど」 「私もグレンヴィル様にお会いしてみたいです。兄上がそのようなお顔をなさる方に」  瞬きをするヨシュアに、エリクはにっこりと笑った。 「寝袋も持ってきたんです。今夜はたくさん話しましょうね」  翌日、ヨシュアがエリクを連れて談話室の扉を開けると、アレスは火のない暖炉の前に立っていた。ギルが少し離れたところに控えている。  エリクが一歩前に出て、深く頭を下げた。 「はじめまして。エリク・カスティールです。兄がお世話になっています」  アレスはちらりとエリクを見た。一瞬目が死んだだけで済んだのは、事前にギルから容貌を聞いていたからだ。 「アレス・グレンヴィルだ。」 「グレンヴィル様。貴方にお伺いしたいことがあります。二人きりで」 「エリク?!」  いきなり、要求を言うエリクに、ヨシュアは凍りついた。弟だからといって公爵家相手に不遜な態度は許されるものでは無い。  ヨシュアは自分より背の高いエリクの頭を力ずくで上から押さえつけ、アレスの前に片膝をついた。  アレスの前にギルの足が踏み出すのが目の端に入る。 「大変失礼をいたしました。エリク、発言を取り消して謝罪しろ!」 「⋯⋯いや、いい」 アレスは片手をあげてギルを制した。 「いきなり兄を跪かせるとは、教育がなっていないな、ヨシュア」 「申し訳ありません。きつく言って聞かせます。ご容赦を」 ヨシュアは頭を下げたまま許しを請うた。 「まあいい。俺もお前の弟と話がしたい。ヨシュア、席をはずしてくれ」  見上げると、無表情のアレスがエリクを見ていた。自分に向けるものと全く違う冷徹な視線に、喉が渇く。 「ヨシュア殿、こちらに」  ギルに促されて談話室を出た。  二人きりになると、エリクはアレスに深く一礼をした。 「グレンヴィル様。礼を欠いた発言、お許しください」  アレスはエリクの様子を観察した。 「何故あのようなことを言った」 「グレンヴィル様の本音をお伺いしたいのです。兄上に近づいて、どうされるつもりなのですか」 「抽象的すぎるな。物流計画に限っていえば、あいつはこの計画を進める為に必要だから、今後も働いてもらう。カスティールにとってもあいつにとっても良い話しだと思うが」 「そうではなく」  エリクが、少し言いにくそうに目を伏せた。 「兄上との仮誓約の話です」 「ああ。聞いているのか」  アレスは面白そうに、エリクを眺めた。 「あの容貌にあの才覚。計画が動き出せば上位貴族の女共が、群がってくるのが目に見えている。公爵家と内々の仮誓約を交わしていることにすれば、婚約の打診をはねのけられる。お父上と俺の思惑が一致した結果だな」 「兄上はベータです。何故そこまでされるのです」 「必要だからだ。あいつがいなくては成り立たない」 「では、必要がなくなったら、どうされるのです」  アレスは目を見開いた。 「考えたことがなかったな」  なかなか鋭いところを突いてくる。  全ては、ヨシュアが欲しいからはじめたことだ。ヨシュアがいなければ、意味がない。 「⋯⋯俺があいつを必要としなくなるのは、俺が尽きるときだろうな」  エリクは、ようやくアレスを見上げた。兄のことで、思考が止まってしまったアレスを見て、胸をなで下ろす。 「お願いがあります」 エリクは、思いつめた表情で、言葉を続けた。 「兄上は自分を必要としてくれる人に甘いです。守ってください。⋯⋯兄上が、自分を犠牲にしないように」  必死な声だった。大きな体をしているが、やはりまだ子供らしい素直さがあった。 アレスはエリクから視線を外し、扉の方を見た。  扉の向こうに、ヨシュアがいる。心配で廊下をうろついてる姿が目に浮かんだ。 「安心しろ。あいつが望まなくても、守ってやる」  エリクは深く頭を下げた。  一人になったアレスは、テーブルに残された冷めた紅茶を眺めた。  エリクの一番の心配が、兄が自分を犠牲にすることだったのは意外だった。非合法の薬に手を出すのも、その延長にあるのかもしれない。  アレスは立ち上がり、上着を手に談話室を後にした。  言われなくても、ヨシュアが自分を犠牲にすることは許さない。   「アレス、エリクとは何を話したのです」 後日ヨシュアは、別邸で書類をさばいているアレスの傍らに近づき、小声で尋ねた。アレスはこそこそと聞き出そうとする兄の姿に呆れかえった。 「弟の話を陰で聞こうとするな。あいつは大人になりかけだ。⋯⋯殻はついたままだがな」 ヨシュアは肩を落として、ふてくされた。 「教えてくれないんです。本当に、言うこともだんだん大人びてきて、兄としては寂しい限りで」  義弟が帰って寂しいのか、いつもより我儘で子供っぽい愚痴を言う。かわいくて横目でヨシュアの表情を追いつつ、理由がくそガキなのが気に入らなくて、アレスは舌打ちをした。 「ったくあの筋肉ダルマのどこがかわいいんだ⋯⋯」 「アレス様」 「アレス」  場を凍りつかせる声がギルの声を打ち消したかと思うと、ふわりと優しげに微笑みながら、ヨシュアはアレスに矢をつがえるように言いはなった。 「御自分を見てからおっしゃってください」  主人の受けた致命傷に、ギルは横を向いて顔を覆った。

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