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第14話
第14番 隔離
扉を叩く音で目が覚めた。
「ヨシュア様、夜分遅くに申し訳ありません」
聞き慣れた声に寝台から降り、上着を羽織って戸口に出ると、昼間と同じ正装をしたギルと、その後ろに黒いコートを纏ったアレスが立っていた。
廊下の燭台の光が、二人の固い表情を照らし出す。アレスと目が合った瞬間、目を見開いたように見えた。
「アレス?⋯⋯どうしたんですか?こんな時間に」
「支度をしろ」
「支度?何の?」
「着替えるだけでいい。身支度はいらない。早くしろ」
ヨシュアはアレスの硬い声に、目が覚めた。
「何があったんですか」
「話は後だ。急げ」
有無を言わせない声だった。
「お願いします、ヨシュア様。一刻を争います」
言い方は違えど、ギルも同様だった。
「⋯⋯後で説明していただけるのですね」
「ああ」
アレスは何故か、不機嫌さを増していた。
二人を廊下で待たせ、黙って部屋に戻りシャツに着替えた。引き出しを少し眺め、手を伸ばそうとしたときアレスの声が飛んだ。
「それはいい」
ぎくりとして声の方を振り向くと、アレスがドアの内側にいた。
「勝手に入ってこないでください」
「着替えたなら早くしろ。いつまで待たせるつもりだ」
怒りの混じった声だ。
「でも、その、常備薬が——」
ヨシュアは近づいてきたアレスを見あげた。
ぞくりと背筋に冷たいもの走り、ヨシュアはあとじさった。アレスの影がいつもよりひとまわり大きく見える。
せり上がる不安に、ヨシュアは小さく喉を鳴らした。
「アレス、私は薬が無いと⋯⋯」
「行くぞ」
アレスは有無を言わさずヨシュアの腕を強く掴み、廊下に引き出した。
「待ってください、説明を——」
「歩きながら話す。声を出すな」
アレスはいきなりヨシュアを肩に担ぎ上げた。
「ええっ!?」
「うるさい。黙れ」
口を塞がれ、慌てるヨシュアを威嚇して、音を立てずに階段を下り、寮の裏口から外に出たところでヨシュアを降ろした。
「な、なんですか!いきなり!」
アレスはヨシュアの唇に人差し指を押し当てた。
「騒ぐな。と言っている。行くぞ」
アレスは暗い中庭をヨシュアな手首を掴んだまま通り抜け、林道に入る。
この先にあるのは、グレンヴィル家の別邸だ。
ヨシュアは手を引くアレスを見た。薄暗い夜道で、何故か青灰色の瞳が静かに光っている。
暗い林道を二人の地面を踏む足音だけが聞こえる。静かすぎて落ち着かない。
「何故、貴方の別邸へ行くんですか」
「しばらくこちらにいてもらう」
「何故ですか?それにしばらくとは、どれくらいのつもりですか」
「貴方が落ち着くまで」
「⋯⋯私の何が、落ち着くというのです」
煮え切らない説明を聞きながら、ヨシュアは不安がさらに大きく膨れ上がっていくのを感じた。アレスは目を合わせようともしない。
「説明してもらえますか。わたしが落ち着くまで、だけではわかりません。こんなの、拉致じゃありませんか」
アレスが振り向いた。暗いせいで、全く表情が見えない。
「お前は自覚がないのか」
「何がです」
「今、この瞬間もお前の香りが、あたりに漂っている」
深刻な声音が、不都合な憶測を呼び覚ます。
「⋯⋯ 何を、言っているのですか」
「頭の奥が痺れるような、体の自由を奪うような抗いがたい香りだ。⋯⋯抑制剤が効いていないんだろう」
ヨシュアは息を呑んだ。心臓が跳ね、指先が冷たくなる。
「お前の体のことは、知っている。何を飲んでいたのかも」
「な⋯⋯っ」
体中の血の気が引いた。足がすくんだ。
知っている?
調べたのか?いつ?どうやって。
「命を縮める劇物を飲み続けさせるわけにはいかない」
「ご、誤解です。劇物ではありません。ここで過ごす間だけは、どうしても必要なんです」
「氷晶石が混ざった非合法の抑制剤。飲み続ければ命を縮める」
ヨシュアの体が一瞬強張り、それは手首を掴むアレスに伝わった。
「知っていて飲んでいたな」
低く鋭い声にヨシュアは顔をそむけ、口を閉ざした。
氷晶石が混じっていることも、命を落とした者がいることも、知っている。
「……ここにいる間だけです。私には、必要な対価です」
「お前は領地に戻っても、同じことをする。必要になれば、ためらいもせず飲み続ける。今と同じ理由でな」
ヨシュアは唇を強く噛んだ。
薬に頼ることが、それが何だというのだ。
オメガとして、誰かに囲われて生きる意味など見いだせない。たとえ命を失っても、やりたいことができたらそのほうがずっと価値がある。
アルファとして生まれたアレスに、この絶望は理解できない。こんな醜い僻みにとらわれてしまうオメガの気持ちなど、優秀なアルファとして成り上がったアレスに、わかるはずがない。
次から次へとわき上がってくる黒い感情のままに、アレスの手を振り払った。
「これは、あなたには関係ない話だ。戻ります」
「戻ればすぐに貴族院中にばれて、貴方の居場所はなくなる」
アレスは声音を全く変えず、ヨシュアを動けなくした。
「俺はそれでも構わない。カスティール領主と話をすすめればいいだけの話だ。」
ゆっくりと手首を掴み、
「だが、貴方は得難いパートナーだ。貴方がいなくては、カスティールの発展も戦争終結も遠ざかる」
大義名分に、ヨシュアは鼻で笑った。
「勝手に部屋の中を荒らしておいて、対等な関係を築くと?いっそ命令すればいい。どうせ貴方は、何でも思い通りにする。最初から、どうせ私は貴方にとって駒でしかなかった」
声が震えた。
ずっと心に引っかかっていた棘だ。
アレスが排除したいのは、ヨシュアの嘘がばれてカスティールが社会的信用を失うことだ。
フェロモンが出ているなら、アレスが自分を隔離するのは間違っていない。
だが、勝手に裏で調べ、勝手に隔離しようとしている。一言も、自分に何も知らせずに。
「……私は、貴族院を出たくない。あと少しでやっとここまで来たのに。それを、それを貴方が勝手に⋯⋯」
言葉が続かなかった。アレスのせいじゃない。喉の奥が詰まる。目元が熱くなり、視界が滲んだ。
アレスが自分に手を伸ばしかけるのを見て、手で先に制した。
「触るな!」
アレスは黙ったまま、羽織っていたコートを脱ぎ、ヨシュアの頭からかぶせた。視界が暗くなる。厚い布越しに、アレスの体温と、かすかな匂いがした。
「……何をするんですか」
「お前の香りのせいで、俺がおかしくなる。お前が興奮すると、きつい。じっとしてろ」
アレスを狂わせるフェロモンを今、自分は垂れ流している。
ヨシュアはコートの中で、目を閉じた。熱いものが、頬に伝った。
コートの上から、大きな手が頭に乗った。肩を引き寄せられ抱きしめられる。
「貴族院では体調不良で療養中ということにしている。お前が落ち着くまでの間だけだ。何も変わらない。お前の隠し事は誰にも言わない。⋯⋯言っても俺になんの益もないからな。安心しろ」
アレスは、わかっていない。誰よりもアレスに知られたくなかった。涙はあふれ続けて、薄手のコートがぺたりと顔に張り付いた。
「少し療養するだけだ。ヒートがおさまるまでだ。悪いようにはしない」
重い扉が開き、手を引かれたまま階段を上り、廊下の突き当たりの客室に案内された。
コートの上の手が離れ、扉が開く。夜風が流れ込んだ。
ヨシュアはコートをかぶったまま立ちすくんでいた。
「……僕がオメガだと、知っていたんですか」
「ああ」
「いつから」
「確信したのは、晩餐会のあとだ。わずかだが、甘い香りが出ていた」
アレスがギルを護衛によこしたのは、晩餐会の翌日だった。あれは、監視だったのか。
「なんで、その時に言わなかったんですか」
「貴方が、それを望まないと思ったからだ」
⋯⋯僕のせいだと?
「俺も貴方との関係を失いたくなかった」
もう失われたといいたいのか。だったらなんであんなに親身にしてくれたんだ。どうせ壊れる関係とわかっているなら。
「もう遅い時間だ。今のうちに寝ておけ」
アレスの声が、後ろから落ちた。
ヨシュアは振り返らなかった。
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