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第21話

第21話 別邸の朝  瞼に差し込む明るさに目が覚めた。  目に入ったのは白い天井に見慣れない地模様の布。横を向いたら目をつぶった見知った顔が、鼻の先にいた。銀の睫毛。筋肉質の太い首筋。昨晩自分がかぶりついた、熱く柔らかな口。  ヨシュアは大きく目を開いて、瞬きした。身じろぎしようとして、足が絡まっていることに気が付き、硬直した。目の前の睫毛が揺れ、静かに青灰色の瞳が現れ、自分を射抜いた。 「なんだ。昨日のように口をふさいでくれないのか」  後じさるヨシュアの左側に手を突き、大きな影がのしかかってくる。視線を外さない男の顔が、朝の光を遮った。 「熱が引くのが早い。すっきりしたか」 「な、何を言って⋯⋯っ」  大きく口を喰まれ、快感を引き出すように喉を指でくすぐられる。口づけを顔中にふらせる甘い求愛に、ヨシュアはまた官能のるつぼに引きずり込まれそうになった。  踏みとどまれたのは、相手の中心が固く勃ち上がったのを、重なった素肌から感じ取ったからだ。  まだ、終わっていないのか。  身の危険を感じ、背筋に寒気が走った。額をつかみ、無理矢理顔を引き剥がした。 「離れろ。僕に言うことがあるだろう」  だまったまま退かないアレスに、ヨシュアはふつりと何かが切れた。 「押し付けるな!わかってるくせに!この⋯⋯フェロモンを使うなんて、最低だ!僕を、僕の気持ちを踏みにじって⋯⋯っ」 「貴方が夜這いをしてくるから、仕方なく」  ヨシュアの淡い金髪を指で梳きながら、アレスはヨシュアのせいにした。 「僕がしたくてしたんじゃない、体が勝手にしただけだ」  甘い口づけ。自分からせがんだアレスの唇。今、目の前にあるそれが、ヨシュアを混乱させた。 「俺も同じだ。体が貴方を求めて我慢ができなかった。ヨシュア、自分がオメガだってこと、忘れていないか」  その言葉に我にかえった。 項を噛まれると強制的に番にされる、最悪の急所。アレスを払い除けて、慌てて自分の首筋に手をあてた。  噛まれたら、自分の生殺与奪がアルファ次第になってしまう。 「あ、あれ⋯⋯」  跡がない。痛みもなかった。 あれだけ求められたのに、アルファがオメガを前に我慢できるものなのか。腑に落ちないヨシュアの顔を見るアレスは、余裕があるのか、ヨシュアの首を指でとんとんとつついた。 「抑制剤を飲んだと言っただろう。手荒だったのは認めるが、劇薬を使わずにヒートを乗り切る為だ。番にしたいわけじゃない」  アレスは起き上がり、ヨシュアの腕を取って立たせた。 「つまり、僕の暴走を止める為にしたと」  あれほど、激しく執拗に求められたのに。  体の節々の痛みが、胸をえぐる鋭い痛みに上書きされる。何も言えなくて、唇をきつく噛んだ。 「ヨシュア」 「一人に、させてください」 アレスは暫く黙ったまま、ヨシュアを見ていた。上を向いて顔をしかめたあと、諦めたように嘆息した。 「⋯⋯湯を沸かしてある。少しつかってくるといい」  背中をおされて、隣接する白い大理石が敷かれた浴室に通された。真鍮でできた浴槽にはられた湯は冷めておらず、温かな湯けむりが立っていた。 「これで洗ってから入れ」 香草の香りがする石鹸を差し出す。 「アレスは」 「俺はもう体を拭いた」 一人残されたヨシュアは、少し色味のある大理石の壁を見上げた。昨夜の異常な高揚感は消えている。 (僕は、何を期待していたのか)  立つとふらつくので、腰をおろして体を洗った。大きな湯船は気持ちよかったが、昨晩感じ取れたアレスの香りはどこにもなかった。  服を着ながら戻ってきたアレスは、湯船の縁に左腕を乗せ、右手を伸ばし肌に張り付いた金髪を掻き分けた。 「ヨシュア。これを」 「なんですか」  じろりと横目で睨むと、自分を興味深げに見るアレスと目があい、ヨシュアは自分だけが怒っているのが気まずくなった。 「額が見えると、貴方は幼く見えるな」  濡れた髪を指に巻き付けて遊ぶアレスは、悪びれた様子が全くない。処置をしただけ。薬を使わずに熱を抑えるために、体をつなげただけ。 「少しいいか」  返事を待たずに頭を右手に抱え込まれ、口づけをされる。柔らかくて気持ちのいい唇、アレスの肌の匂い。  甘い口づけに流されかけたとき、口の中に舌で何かが押し込まれた。すかさず鼻をつままれ、喉をなでられ飲み込んだ。 「避妊薬だ。体に害はない」  喉元を通り過ぎる小さな異物が、腹の中に消えてゆく。一瞬舞い上がりかけた気持ちが、異物と共に霧散した。 「だから!口で言ってください」 「許可をとっただろう」  あれで許可をとったつもりか。自分が腹を立てるのはおかしくない。  横を向いたヨシュアの頭に手をおいて、なぐさめるように二度軽く叩いてアレスは立ち上がった。 「ヨシュア。今日は客室に戻ってかまわないが、屋敷からは出るな。フェロモンが出ている」  アレスの気持ちが切り替わったのがわかった。 「もう、行くのですか」 「やることがあるからな」  アレスはボタンをしめながら、もう自分のことは考えていないようだった。 「貴方もフェロモンが収まれば、すぐ動いてもらいたい」 「わ、わかりました」 気持ちがついていかないヨシュアに気づいたのか、アレスは手をとめた。 頭を少しかいて、逡巡ののちヨシュアに向き合った。 「すまない。一緒にいてやれなくて」 「いえ、それは⋯⋯別に」  謝るアレスに内心驚くが、謝るところがそこなのかとも思う。 「とにかく今はアルファから隔離する。貴方の安全が最優先だ」  無茶苦茶なことをしているが、筋は通っている。首を噛まないどころか、避妊薬まで準備していた。最初から、オメガとして利用する気が全くないのだ。  ヨシュアは笑いたくなった。  利用しないと言われているのに、今日ほど自分の性を疎ましく思ったことはない。妊娠したわけじゃない。なぜ、こんなに傷ついているのかわからない。ヨシュアは浴槽に浸かったまま、うつむいた。 「貴方は、それなりに越えない一線があるのですね」 アレスは珍しく視線を下に落とした。 「⋯⋯そういうわけでもないんだが」  最後のボタンを閉め終えると、自身に言い聞かせるようにつぶやいた。 「今、貴方がいればそれでいい」  アレスが立ち去ったあと、しばらくヨシュアは動けなかった。  アレスの気持ちはわからない。  彼の道の先に、自分はいないのではないか。  気がつけば、壁にはたくさんの水滴がつき、温かかった湯は、体温よりも冷えていた。

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