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7#1st.XXX
この日、ラスはLCPSから押収品の分析依頼という名目で、再びフランの診療所を訪れていた。
このひと月ほど、もはやこのお つ か い はラスの役割として定着しつつある。ラスが小回りの聞くバイク移動であることも理由のひとつではあるが――それを断らずにきた自分自身に小さな違和感覚えながらも、その理由を考えないようにして、ラスは見慣れた入り口の自動ドアをくぐった。
「いらっしゃい。すっかりお得意様だね?」
いつものようにカウンターの奥から顔を出したフランは、白衣姿で緩く笑みを崩す。
ラスは「どうも」とぶっきらぼうに返し、分析を依頼する薬物のサンプルが入ったケースと書類をカウンターに置いた。足元では、すっかりこの場所に慣れたクロウが、フランを見て嬉しそうに尻尾を振っている。
方向性は見えているものの、ネオンブライト捜査の進展状況はあまり芳しくなかった。末端の売人を捕まえても決定的な情報を得ることはできず、レヴァリスやトレード・ハブの大企業はさすがにガードが堅い。一方で中毒者は増加の一途を辿っている。
それに加えて、裏通りで日々頻発する様々な犯罪やトラブル対応、別件の捜査に追われ、思うように進まないのが現状だった。
「捜査、あんまり進んでないの?」
知らず知らずのうちに漏れたため息を、フランは見逃さなかったらしい。首を傾げて尋ねてくるその声に、ラスは素直に頷いた。
「ああ」
差し出されたカップのコーヒー――これももはや〝いつもの〟になりつつある――を受け取りながら、吐き出すように言葉を続ける。
「レヴァリスだけじゃなくトレード・ハブのでかい企業が絡んでるとなると、サウスウエスト だけじゃ動けないことも多い。上はセントラルとは折り合いが悪いしな」
「ふうん」
ぼやくラスに、興味があるのかないのかフランはふんわりした相槌を返す。
その時だった。それまでおとなしくしていたクロウが、突然『グルル……』と低い唸り声を上げ、待合室の隅にある観葉植物をじっと見つめ始めた。
「どうした、クロウ?」
クロウの視線の先を追うが、そこには何の変哲もない植物の葉が茂っているだけだ。だが、クロウのホロセンサーは、異常を示す赤い光を点滅させている。
それは何らかの違法な電磁波、あるいは電子機器の信号を感知した時のアラートだった。
「なんだ……?」
ラスは眉をひそめ、クロウが示す場所へ近づく。フランも怪訝な表情でその様子を見守っていた。
観葉植物の葉をかき分けると、その根元には、指先ほどの大きさの黒いレンズがこちらを向いていた。
「……おいおい、マジかよ。これ、あんたが防犯のためにつけてたわけじゃないよな?」
振り返ったラスの言葉に、フランが眉を寄せて首を横に振る。
ラスがその小型カメラを慎重に摘み上げると、今度は診察室の方へ向けて、再びクロウが唸り声を上げた。
ラスとフランは顔を見合わせ、診察室の医療棚の裏を調べる。そこにも、巧妙に隠された同型のカメラが見つかった。
「だぁれの仕業かなあ」
フランは見つかったカメラを眺め、心底面倒くさそうにため息をついた。
「僕のプライベートはどうでもいいけど、患者さんのプライバシーがあるから、こういうのは困っちゃう」
「犯人に心当たりはねえのか?」
「うーん、昔の客とか、ストーカーとか、いろいろいすぎて、ねえ」
フランはこともなげに言う。その口ぶりから、こういう嫌がらせ――あるいは、ストーカーじみた監視行為が彼にとっては日常茶飯事であることが窺えた。
「……あんた、普段一体どういう遊び方してんだ」
呆れて言うと、フランは心外だというように唇を尖らせる。
「相手が勝手に盛り上がって、勝手に期待したり裏切られた気になってるだけだよ。本当に、一度寝たくらいで勘違いする人が多くてねぇ……」
その言葉に、ラスは先日のホテルでの出会いと、ルージュ・ベルベットで聞いた会話を思い出していた。
名前も知らない相手との一夜。高級パーティでのキス。この男にとっては、それもほんのささやかな、日常の出来事の一つに過ぎないのだろう。
(……元娼とはいえ、どうなってんだこいつの感覚)
フランは迷惑そうではあるものの、盗撮それ自体には怯えるでもさほど気にするでもない様子だった。むしろ、棚に取り付けられたままのレンズを興味深げに覗き込んでいる。
ラスはクロウと共に何度もこの場所を訪れているが、カメラがいつ仕掛けられたのかは不明だった。クロウのセンサーは通常の録画状態では反応しにくい――それが今日反応したのは、リアルタイムでの映像の送受信などでたまたま電波信号の強度が上がっていたためだろう。
「……となると、今まさにこのカメラの向こうで犯人が見てるかもしれないってことか……」
ラスがふと呟いた瞬間、カメラを眺めていたフランが何かを思いついたようにぱっと振り返った。明るいハニーアンバーの瞳に、悪戯っぽい光が浮かんでいる。
「ねえ、リーズ刑事」
「なんだよ」
無防備に聞き返した次の瞬間。ラスの両頬を、柔らかな掌が包み込んだ。
声を発する間もなく、その優しげな見た目からは信じられないほど強い力で、ぐいと上半身ごと引き寄せられる。
不意打ちに体勢を崩したラスの唇に、ふわりと甘い香りが被さり――直後、ひどく柔らかな感触が押し当てられた。
至近距離。驚きに見開かれたラスの目の前で、フランの蜂蜜色の瞳が楽しげに細められていた。その視線が、ちらりと先ほど見つけた医療棚の監視カメラの方へ向けられるのを見て、ラスはその意図を瞬時に理解する。
(――――ッこいつ、)
カメラの向こうで自分を監視しているであろう誰かも知れない犯人への、明確で悪趣味な挑発。
(……なんて、ふざけた奴――!)
抗議の声を上げようとラスが無意識に唇を割った、そのわずかな隙間へ、待ってましたとばかりにフランのしなやかな舌先が滑り込んでくる。
突き放そうとする思考とは裏腹に、押し当てられた唇の圧倒的な柔らかさと鼻先をくすぐる彼のコロンの香りが、急速にラスの脳の処理能力を奪っていく。
上顎をなぞり、ラスの口内を甘く、そして執拗に舐め上げる巧みな舌。気づけばラスの身体は硬直を解き、逃げ場を塞がれた熱を貪るように、自ら強く舌を絡め返していた。
頬を包んでいたフランの手がするりと後頭部へ回り、その指先が宥めるように優しく、刈り上げられた首の後ろを撫でる。たったそれだけの愛撫に、背筋をぞくりと快感が駆け上がった。
ただの挑発だったはずの空気が、一瞬にして反転する。
服を着たまま、明るい部屋にいるというのに、まるでベッドの中に引きずり込まれたかのような、濃密で粘度の高い熱。フランの吐息を飲み込むたびに、理性の輪郭がドロドロに溶かされていくのがわかった。
(――まずい、)
これ以上は。無意識のうちに、自身の腕がフランの細い腰を抱き寄せようと動いたその瞬間、ラスは咄嗟にフランの肩を掴み、その身体を強引に引き離した。
「――っ、十分だろ」
荒くなった呼吸を悟られないよう、ラスが努めて低い声で唸ると、濡れた唇をぺろりと舌で舐めたフランは楽しげに目を細める。
「……ふふ、残念」
彼はそのまま、何事もなかったかのようにするりと身体を離した。
「……何考えてんだよ、一体……」
ラスは動揺を誤魔化すようにわざと大きくため息をついて、フランに背を向けた。心臓が、まだうるさく脈打っている。
「んふふ。せっかくだから、いいものを見せてあげようと思って。リーズ刑事も、まんざらじゃなかったでしょ?」
「……うるせ」
まったく悪びれる様子もなくにっこりと微笑んでみせるフランに、ラスはがしがしと頭を掻いて、はあ、と再度大きくため息をついた。それから努めて冷静に、何でもないことのようにカメラに向き直る。
「……で、このカメラはどうするよ。 LCPS で持ち帰って、出どころを調べるか?」
「いらないよ。どうせ大したものは映ってないと思うけど、患者さんが映ってるならLCPS に渡すのもちょっと気が引けるしね。個人的に調べるくらいのツテはあるから大丈夫。それに……」
そこで、フランは上目遣いにラスを見てからかうように笑う。
「今の映像 を見たら、ジェイク君あたりがひっくり返っちゃうかもしれないし」
その言葉に、思わずラスは閉口した。LCPSに持ち帰れば、映像の確認は免れないだろう。正直なところ、同僚に今の映像を見られる事態は避けたかった。こちらから仕掛けたのでないにしても、気まずいことこの上ない。
「……わかった」
それ以上何も言えず、話題を変えるようにひとつ咳払いをすると、ラスは口を開いた。
「なあ、ドクター」
「ん?」
「クロウを、しばらくここに置いとかねえか」
その提案に、今度はフランが目を丸くした。
「クロウを? どうして?」
「見ての通りだ。盗撮か監視か知らないが、こんなものを仕掛けてくるなんざろくな奴じゃない。これはただの勘だが――どうも嫌な感じがする。こいつを置いときゃ、番犬ぐらいにはなるだろ」
「へえ……心配してくれるんだ?」
フランが、探るような目でラスを見る。
「でも、そう言ってきみがこの子を監 視 カ メ ラ 代 わ り にするつもりかもしれないじゃない?」
「あのなあ――」
LCPS隊員として、一応は本気で身の安全を心配しているこちらの気も知らないで。ラスが反論しかけると、フランは「冗談だよ」と笑った。
「でも、この子も一応、LCPSの大事な備品でしょ? 勝手に貸し出したりして平気なの?」
「気にするかよ、今さら。規律破りは常習犯なんでね」
ラスは肩をすくめ、半ば投げやりな調子で言った。
「あんた、こいつのシステムを弄れるだろ。気になる機能があるなら切っていい。別に、これで恩を売ろうなんて気もない。ただの、俺の自己満足だ」
その言葉に、フランはしばらく黙ってラスを見つめていたが、やがてふっと表情を和らげる。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな。〝刑事さん〟の、その親切な厚意に」
フランはそう言うと、足元に寄り添うクロウの頭を優しく撫でた。
ラスはクロウのユーザー設定を一時的に切り替えると、「じゃあな、頼んだぞクロウ」と短く告げて立ち上がる。
そこでふと、フランと目が合った。かたちの良い唇と口元のほくろが目に入った瞬間——途端に妙な気まずさがこみ上げてくる。
「……あんたも、クロウをよろしくな」
誤魔化すようにそれだけ告げて、ラスは分析依頼のケースとクロウを残し、足早に診療所を後にした。
――一人になると、先ほどのキスの感触がまざまざと唇に蘇ってくる。
相手は元娼だ。たかがキスぐらいで、と思うが、どうにも胸の内が落ち着かない。
(ただでさえ調子が狂うってのに……)
ラスは雑念を振り払うように乱暴にヘルメットを被ると、ダスク・ストリップの雑踏を足早にバイクで駆け抜けて行った。
※
診療所に一人残されたフランは、静かになった室内で、足元に寄り添うクロウを見下ろした。その大きな頭を優しく撫でながら、ぽつりと呟く。
「…………お人好しだねぇ、きみの相棒は」
クロウは、その言葉の意味を理解したかのように、『キュゥン』と甘えたような電子音を鳴らした。
フランの口元には、ラスには見せなかった、楽しげな、そしてどこか柔らかな笑みが浮かんでいた。
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