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9#非番の非日常①

 分厚い雲の隙間から、久しぶりに太陽が顔を覗かせていた。  非番の朝。夜勤明けに溜まっていた書類仕事を片付け、ようやくステーションを後にしたのはもう昼前。気怠い身体を引きずり、ラスは自宅への帰路についていた。  アパートに帰って、シャワーを浴びて、泥のように眠る。起きたら適当な食事をとって、バイクのメンテナンスでもして――いつもなら、それだけの単調な一日。だが、バイクを走らせるラスの意識は、いつの間にか自宅とは違う方角へと向いていた。 (……クロウの様子を見に行くだけだ)  誰に言うでもない言い訳を、心の中で何度も繰り返す。  LCPSの備品であるサイバードッグを半ば私的な理由で預けている以上、その様子を定期的に確認するのは当然の義務だ――ラスは自分自身にそう言い聞かせながら、ダスク・ストリップの裏通りにある、見慣れてしまった診療所の前でバイクを停めた。  昼でもぼんやりと灯った十字のネオンサインの下、まだ午前の診療時間中のはずだが、ドア横のパネルには『CLOSED(診療時間外)』の文字が表示されている。  ​構わず自動ドアに触れると、ロックは掛かっていなかった。  診療所内の清潔な匂いはいつも通り――だが、今日の待合室は、いつもと少し様子が違っていた。  待合室の床に、大小さまざまな大きさの箱や、派手なリボンがかけられたラッピング袋が散乱している。その中心で、フランが床に座り込み、どこかうんざりした顔でそれらを仕分けていた。 「……何やってんだ、あんた。ガラクタ市でも開くのか?」  ラスの声に、顔を上げたフランは困ったような顔で笑った。今日の彼は白衣もベストも着ておらず、スタンドカラーの黒いシャツ姿だ。 「やだなあ、リーズ刑事。これは僕の熱烈なファン……と自称する方々からの、ありがたーい貢ぎ物たち。いまだに僕を『エルファン』として買いたいとか、高級マンションで囲ってやるとか……本当に、迷惑な話だよねえ」  かつての自身の通り名をさらりと口にしたフランの足元には、高級な洋酒のボトル、有名ブランドのロゴが入ったアクセサリーケース、どう見ても高価そうな美術品、そして、それらに混じって、明らかに悪趣味なデザインの()()までもが転がっている。そのカオスな光景に、ラスは呆れて言葉も出なかった。娼を引退して十年になると言っていたが、この男は、一体いまだにどれだけ。 「面倒だからとりあえず生もの以外は適当にクローゼットに放り込んでるんだけど、たまに整理しないといっぱいになっちゃって……」 「それでわざわざ昼前に診療所閉めて?」 『ワフ!』  そこへ、ラスの来訪に気づいたクロウが、診察室の奥から駆け寄ってきた。その足取りは軽く、ボディの艶もいい。大切にされていることが一目でわかった。   「おう、元気そうだなクロウ」  ラスは屈んで、数日ぶりに会った相棒の頭を撫でてやる。 「もちろん。僕がちゃんと可愛がってメンテナンスしてあげてるからね。きみが預けていった時より、よっぽど調子がいいんじゃないかな」  フランは言いながら、手にしていた包みのリボンを雑に引きちぎり、中から出てきたレースの奇抜な下着をひらひらと振ってみせた。 「リーズ刑事、こういうの趣味?」 「冗談だろ……」  くすくすと笑ったフランは仕分けの手を止めずに、また一つの箱を手に取って中身を確かめる。それは、他の派手なラッピングとは一線を画す、シンプルで上質な作りの化粧箱だった。ラスの目には、それが高級なチョコレートか何かに見えた。 「昨日届いた、香水かな……見たことないパッケージだけど」  ​箱の中には、上質なベルベットの布に鎮座する香水瓶のようなものが見えた。美しくカットされたガラスの中で、鮮やかなコバルトブルーの光が揺れる。フランはそれに指一本触れることなく箱の蓋を閉じると、興味無さそうに他のガラクタの山へと押しやった。 「で、リーズ刑事は何のご用? 分析結果ならこの間渡したよね」 「……クロウの様子を見に来ただけだ。何か変わったことはなかったか、一応な。誰かさんがあんな挑発しやがるから」 「ああ、あれね。おかげさまで、今のところ特に何もないよ。静かなもの」  ​ラスの皮肉に悪びれる様子もなくそう言うと、フランはふっと立ち上がり、大きく伸びをした。上に白衣を着ていないせいで、薄いシャツ越しにしなやかな身体のラインが見える。衣服の下、以前ホテルで目にした彼の裸体が脳裏を過ぎって、ラスは慌てて視線を逸らした。 「ねえ、リーズ刑事」 「……なんだよ」 「デートしない?」 「――はあ? 」  ​その唐突すぎる言葉に、ラスは一瞬、自分の耳を疑った。 「 聞き間違いか?」 「じゃないよ。この後は非番なんでしょ?  ちょうどよかった。僕、お腹すいちゃったから、ランチに付き合ってよ」  ​にこやかに、しかし有無を言わさぬ響きが込められた声音。ラスはこめかみが引き攣るのを感じる。 「なんで俺が、あんたの飯に付き合わなきゃならねえんだ。だいたい、その悪趣味なプレゼントの片付けと診療はいいのか?」 「飽きちゃったし。時間だって、ちょうどお昼休みでしょ?」  ​気分屋だ、と聞いてはいたが。  ラスは大きなため息をついた。この男のペースに、まともに抗うだけ無駄だということは、このひと月ほどで身に沁みている。それに、現状何もないとはいえ先日の監視カメラの件も妙に気がかりだった。こいつを一人でうろつかせて、外で厄介事に巻き込まれでもしたら気分が悪い。 「あー……まあ、いいぜ。奢りならな」  ​ぼそりと呟くと、フランはぱっと顔を輝かせた。けして性格がいいとは言えないのに、時折こういう無邪気な顔を見せてくるところがたちが悪い。 「いいよ、決まり。それで、どこかいいお店知らない?  いつもこの辺りで済ませちゃうから……きみのおすすめのところに連れて行ってよ」 「……好きにしてくれ」  ​結局、ラスはこの魔性の男に、またしても屈服するしかないのだった。 *    ​ラスの愛車である電気駆動のバイクは、最新の流線形モデルとは程遠い、無骨でクラシックなデザインをしていた。性能重視で選び、自分で細々とカスタムを重ねた、相棒とも呼べる存在だ。LCPSの登録車両としての機能も備えてあり、無線や緊急時の装備なども揃っている。 「わあ、いいバイク」  ​診療所の前に停めてあったそれを見て、フランが感心したように言う。ラスは無言でヘルメットを一つ手渡した。 「ほらよ」 「ありがとう」  ​フランが意外に慣れた様子でヘルメットを被るのを確認し、ラスは運転席に跨る。エンジンを起動させると、低いモーター音が静かに響いた。フランが、ひらりとその後ろのシートに乗り込む。 「じゃ、しっかり掴まってろよ」  ​ラスがそう言った、次の瞬間。フランの両腕が、躊躇なくラスの腰に回された。背中に、柔らかく、しかし確かな感触が伝わってくる。薄いシャツ一枚を隔てて、フランの体温と、心臓の鼓動までが感じられるようだった。ふわりと、フランが普段付けているコロンの甘い香りが鼻先をくすぐる。  一瞬どきりとして固まりかけた身体をどうにか誤魔化して、ラスはアクセルを捻った。バイクが、唸りを上げてアスファルトを蹴る。  ダスク・ストリップの猥雑なネオン街を抜け、マーケット・ロウの喧騒を抜け、ギア・ストリートの活気ある通りを駆け抜ける。背中に感じる体温が、やけにラスの意識を占領する。風を切る音、街のノイズ、そして、すぐ後ろで聞こえるフランの穏やかな呼吸音。それらが混じり合っていくのを、ラスはあえて意識しないように努めていた。  

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