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12#コバルトブルーの妄執

 診療所に戻ったフランは、珍しく上機嫌だった。  あの新顔の刑事――ラスが自分の顔と身体に惹かれているのは、初対面の時からわかっていた。  娼館で数多の客を、そして夜の街で数え切れない男を相手にしてきたフランからしてみれば、()()()()視線は大抵わかるし、特段珍しいものでもない。  普段ならLCPSの隊員など面倒になりそうな相手は範疇外と放っておくところだが——彼は近づこうとしてくるどころかむしろあからさまに警戒心を露わにし、本人はフランへの関心を認めようとすらしていない様子だった。それが逆にフランの興味をそそった。  急患対応を手伝えという無茶ぶりに文句を言いつつも素直に従い、怪しげな監視カメラが仕掛けられていると知れば躊躇いなく相棒のサイバードッグを番犬代わりに置いて行く。  ラス・リーズという男を思い返し、フランはくすりと笑う。  口では素っ気ないことを言うくせに、根っこにある人の好さを隠しきれていない。見目も悪くないし、体つきも上々。そしてすぐ顔に出る可愛げ。一度くらいは味見してもいいかと思う動機としては十分で、そして、その見立ては予想通り――いや以上に、大当たりだった。  ランチに誘ったのも怪我の手当てを理由に部屋へ上がり込むことになったのも本当にたまたまだったが、口実としてはちょうどよかった。普段相手にしている男たちの用意するホテルやラグジュアリーなプライベートルームではない、生活感のあるアパートの狭いベッドというのも、たまには悪くないものだ。  文字通り骨の髄までしゃぶり尽くすような――互いの意識が飛ぶまで続いた激しいセックス。ラスの持ち物は一級品で、変に小手先で飾らない真っ直ぐな熱量と、限界まで付き合えるスタミナは、本当にひさしぶりにフランを満足いくまで楽しませてくれた。 (……あれなら、しばらく遊んでみるのも、悪くないかも)  思い出して、さんざんに抉られた腹の奥が不覚にもぞくぞくと疼いてしまう。身体の芯にはまだ熾火のような熱が燻っている。  フランにとって、セックスの相手など一度きりの使い捨てだ。余裕ぶって支配してこようとする男をベッドの上で翻弄して、弄び尽くして溺れさせて――あとはそれきり。相手がどれほど次を求めて縋ってこようと興味はない。  そもそも、一度きりで終わらせるには勿体ないと思えるようなセックスをしてくれる男が滅多にいないのだ。だから、面倒な心理ゲーム抜きに純粋な欲と快楽をぶつけ、セックスそのものを楽しませてくれたラスという男は、ひどく新鮮だった。  いつもより少し濃いめにコーヒーを淹れながら、まるで新しい玩具を手に入れた子どものような――どこか心が浮き立つような感覚に軽い驚きさえ覚えていると、帰宅の気配にスリープ状態から起きたらしいクロウが奥から駆け寄ってきた。機嫌良く足元にすり寄ってくるその硬い頭を撫でてやると、クロウは嬉しそうに尻尾を振る。 「ただいま。きみの相棒とのデート、なかなか楽しかったよ」  ひと息ついたところで、来客を告げるインターホンが鳴った。時刻は午後九時を回ったところ。結局今日はほぼ一日休診にしてしまったが、急患にしては静かだ。セキュリティのモニターを映すと、そこには見慣れた、しかしあまり歓迎したくはない二つの顔があった。  渋々自動ドアのロックを解除すると、モニターに映っていた二人の男が入り口から中へと入ってくる。  フランの足元で、クロウが来訪者に警戒の唸り声をあげた。 「お、今日はまた一段とエロいな先生。なになに、いいセックスでもしてきた?」  開口一番、下衆い台詞を投げかけてきた――そのくせ妙に目敏いところが腹立たしい――銀髪の男に、フランは冷たい視線を返す。 ​ 「……珍しい。また彼氏にお尻ズタズタにでもされた?  ロニ」  入ってきたのは、飄々とした銀髪の男――ロニと、その後ろに彫像のように控える黒髪長身の男――ナナミだった。二人とも、裏社会を牛耳るマフィア組織、レヴァリスの構成員だ。  ロニとは、腐れ縁と呼ぶには浅いが、それでも数年来の付き合いがある。態度も素行も男癖も女癖も悪いこの男は、なにかにつけこの診療所へとかかりにきていた。一方のナナミは組織に来てからまだ日が浅いらしく、数度ロニの連れとして顔を合わせたのみだ。ロニとは対照的に寡黙な彼は、フランに対してどこか一線引いているような素っ気なさがあった。ロニにも時折冷ややかな視線を向けているところを見るに、単純に尻軽が嫌いなのかもしれない。 「そいつとはとっくに別れましたー。今日は診察じゃありませんよ」  フランの揶揄にも悪びれず、ロニは相変わらず軽薄な調子でひらひらと手を振る。そこでようやくフランの足元で低く唸っていたクロウに気づいたのか、ロニが胡散臭そうな視線を向けた。 「……っと。サイバードッグ? あんた、ペットなんか飼うタイプだったっけ?」 「可愛いボディーガードでしょ? 借り物だけどね」  クロウの頭を軽く撫でて宥めながら答えて、フランは素っ気なさを隠しもせずロニに向き直った。 「で、何の用?」 「なに、ちょいと先生に聞きたいことがあってさ」   ​ロニはそう言うと、待合室のソファにどかりと腰を下ろした。ナナミは、その背後に壁のように静かに佇んでいる。 「ネオンブライト、知ってるだろ」  ​その単語に、フランはまたそれか、と思いながらコーヒーを啜る。 「最近この辺で流行りのやつでしょ。中毒で運ばれてくる患者も増えてる。アジェイの店でも死人が出てるって話だし」 「そーそーそのネオンブライト。で、実はレヴァリス(ウチ)も、そいつの出所を探ってる」 「どうして?  この辺りで出回る〝お薬〟なら、元々あなたたちの管轄なんじゃないの? 迷惑だなと思ってたんだけど」  ​フランの問いに、ロニはやれやれと首を振った。 「そこはちょいと、事情が込み入っててねえ。ウチの幹部の一人――セルジオっていけ好かない野郎がいるんだが、そいつがどうもボスに内緒で〝悪さ〟をしてる」 「……ふうん、内部抗争ってわけ。大変だねえ、組織ってのも」  ​フランは、心底どうでもよさそうに相槌を打つ。そういえば先日訪れたマキもそんな話をしていたような気がするが、マフィアの内輪揉めなど、自分の知ったことではない。 「それで?  どうして僕にその話を?」 ​  その問いに、ロニはそれまでの軽薄な表情を消し、真剣な眼差しでフランを見た。 「それがなんと――そのセルジオの狙いは、どうやらこの診療所(あんた)らしい」 「――僕?」  ​思わぬ言葉に、フランはわずかに眉をひそめた。そこへ、それまで沈黙を守っていたナナミが低い声で口を挟む。 「セルジオのスポンサーだ」 「……どういうこと?」 「トレード・ハブの金持ちが、セルジオに出資している。どういうわけか、そのスポンサーが、あんたを個人的に欲しがっているらしい」 「センセってば、相変わらずモテモテですなあ」  ​茶化すロニを、ナナミが冷たい視線で黙らせ、話を続ける。 「あんたをスポンサーに引き渡すことで、セルジオはさらなる資金提供を得る。さらに、あんたがいなくなったこの診療所を乗っ取り、ヤクの密売の隠れ蓑にする。セルジオにとっても、十分に利があるというわけだ」  ナナミの淡々とした説明に、フランは思わずため息をついた。  フラン自身は心底くだらないと思ってはいるが、売り物でなくなって年を重ねた今なお、この顔と身体に商品価値があるだろうことは理解している。その手の扱いも、欲しがられることにも慣れている。が、マフィアだの麻薬だのの厄介に巻き込まれるのはごめんだ。 「ナナミ(こいつ)を、今セルジオのところに潜り込ませてる。どうにか尻尾を掴んで、ボスの前に引っ立ててやりたいところなんだが……奴も用心深くてね」 「スポンサーが誰なのかまでは、まだわかっていない」  ​ナナミが補足する。 「ただ、トレード・ハブの有力者であることは確かだ。富裕層向けに、ネオンブライトの改良型を開発しているという噂もある」 「改良型――」   その言葉に、フランの頭の中でふとひとつの推測が浮かび上がってくる。 「じゃあ、今この裏通りで出回っているのは、その改良前の()()()ってこと?」  だから、あれほど副作用が強く出るのか。本命は最初から富裕層を相手にした商売で、そのために裏通りの人間に試験品を流し、改良のための人体実験とデータ収集を兼ねているのだとすれば――結果として本来のターゲットではない下層の〝客〟が死んだところで、商売としての不都合はない。 「かもな」  ​ロニが、吐き捨てるように言った。 「トレード・ハブの富豪様にとっちゃ、裏通りの住人(おれたち)なんざ、金ヅルにもならねえゴミ以下にしか見えてねえだろうからな。何人死のうが、連中の知ったこっちゃねえのさ」   ロニは煙草に火をつけると、ふと思い出したようにフランを見た。 「そういや先生、あんた、最近トレード・ハブの金持ちが集まるパーティに行ったって話じゃねえか。何か心当たりとか、それらしい情報のひとつもないかねえ」 「情報、ねえ。そもそも僕は、マリアに頼まれて付き合って行っただけだし。参加者の顔なんて、いちいち覚えてない」 「あんたの趣味の()()()で、そこにいた金持ちの一人でも喰ってたりしねえの? そんで冷たく振って恨み買ってるとかさあ」 「人をなんだと思ってるの?」  ​フランは心外だというように肩をすくめた。実のところ、何人かに声をかけられて多少戯れたような気もするが、その場限りでほとんど覚えていないのは本当だ。 「とにかくまあ――連中があんたに直接接触してくる可能性もある。せいぜい用心しな。セルジオは危険な男だ。場合によっちゃあ強引な手に出てくるかもしれないぜ?」  ロニは煙を深く吸い込み、真顔になって釘を刺す。そしてまだ長いままの煙草を揉み消すと、話は終わりだと立ち上がった。 「ま、何か思い出したら連絡してくれよ。〝患者〟じゃなけりゃあ、あんたが律儀に情報秘匿する必要もないだろ?」 ​  それだけ言うと、二人は嵐のように去っていった。  一人残された診療所に、沈黙が落ちる。  セルジオ、ネオンブライト、トレード・ハブの謎のスポンサー、自分に向けられた執着。面倒なことになった、とフランは小さくため息をついた。せっかくの良い気分が台無しだ。  その時ふと、ロニの言葉と最近の出来事が頭に蘇る。 (トレード・ハブのパーティ……監視カメラ、匿名の……)  そうだ。あのパーティの後から、匿名の、かつ高価な贈り物が妙に増えていたことを思い出す。いつものことだと、気にも留めずに放置していたが。  フランは、仕分け途中のままカウンターの隅に積み上げていたプレゼントの山に向かった。その中から、一つの箱を探し出す。  派手さはないが、上質で洗練されたデザインの化粧箱。たしかこれが送られてきたのは、例の監視カメラを発見した――そこにあえて映すように、あの刑事とキスをしてみせたそのすぐ後。  よく見ると箱の内側にはカードが差し込まれており、そこには『君のささやかな挑発に、心惹かれたよ。このアジュールの輝きで、君に新しい世界を。―E.』とだけ書かれている。  蓋を開け、フランは中から美しいカットが施された香水のような小さな小瓶を取り出した。  その中に満たされた液体は、ぞっとするほど鮮やかな、コバルトブルーの色をしていた。  ――富裕層向けに開発された、改良型。 「……なるほどね」  どうやら、見ず知らずのスポンサー様は、ご丁寧に新商品のサンプルまで送りつけてきてくれていたらしい。  手に取った小さな瓶を光にかざしてみる。青い液体がネオンのように妖しくきらめくのを、フランは無感動な眼差しで見つめていた。  

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