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15#深夜のEMERGENCY①

 深夜。世界が寝静まるには、この街はあまりにも騒々しい。  ラスは、自宅アパートのベッドで浅い眠りと覚醒の狭間を漂っていた。  閉じた瞼の裏にちらつくのは、先日の診療所の光景だった。物憂げなフランの横顔。怪しげな男。そして、喉の奥で止まったままの言葉。短いキスの感触。  疑惑と、それを疑惑として扱いきれない何かが、ラスの思考をずっと濁らせていた。確かめなければならない。だが確かめた先に何があるのか、その答えをまだ出せないでいる。  思考がまとまらないまま、身体だけが重い。  ピピピピッ!  ピピピピッ!  ​静寂を切り裂くように、枕元に置いた端末から甲高い警告音が鳴り響いた。叩き起こされたラスは、咄嗟にそれを手に取る。画面には、血のような赤色で、緊急事態を示すアラートが点滅していた。 『―!EMERGENCY!― Crow // Status: Critical // Location: Ellwood Clinic // 』 『生命反応の脅威を検知。防御プロトコル作動』  ​ラスの全身を、嫌な予感が駆け上がる。 「……クソッ!」  思考よりも先に、身体が動いていた。ベッドから跳ね起き、ソファに脱ぎ捨てていたジーンズに足を突っ込み、ジャケットを掴む。ためらいは一秒もない。鍵をひっつかみ、アパートのドアを蹴破るようにして飛び出した。  深夜の冷たい空気が、肺を鋭く刺す。バイクのエンジンを咆哮させ、ラスはダスク・ストリップへと向けてアスファルトを蹴った。色とりどりのネオンが、視界の端から猛烈な速さで後ろへと流れていく。  クロウの緊急通報。それも致命的な損傷を受けたことを示す『Status: Critical』。  何が起きた?  診療所は――フランは無事なのか?   脳裏で最悪の事態がいくつも明滅し、ラスはそれを振り払うように、さらにアクセルを捻った。  ​診療所の前にバイクを滑り込ませるように停める。外観に大きな変化はない。だが、本来なら閉ざされているはずの自動ドアが、僅かに開いたまま、不気味な沈黙を保っていた。  ラスはホルスターの銃に手をかけながら、慎重に中へと足を踏み入れる。  鼻をついたのは、消毒液と、オゾン――ショートした機械が放つ独特の臭い。そして、その下に隠された、生々しい鉄の香りだった。  照明は壊され、非常灯と一部の無事な灯りだけが照らす薄暗い室内。いつも整然としていたはずの待合室は、まるで嵐が通り過ぎたかのようだった。  ソファは刃物で切り裂かれて中の綿が醜く飛び出し、テーブルは無残に砕け散っている。床にはガラスの破片や医療品の残骸、そして個人情報が記されているであろうカルテが無造作に散らばっていた。  その惨状の中心で、フランが床に膝をついていた。  彼の腕の中には、満身創痍のクロウがぐったりと横たわっている。フランは、開いた救急キットから取り出した医療用のシーリング剤を、素手なのも構わずクロウの抉れた装甲の隙間に塗り込んでいた。そこからは、青白く発光する粘性の高い液体――クロウの生命線である生体液が、じわじわと漏れ出している。 「フラン!」  ​ラスの声に、フランが顔を上げた。 「……リーズ刑事」  その顔は青白く、額には汗が滲んでいた。 「……そう、クロウが呼んだのか。優秀な子」 「何があった」  答えないフランの視線の先で、クロウが苦しげな電子音を漏らす。その黒い装甲のあちこちに、痛々しい凹みや深い傷が刻まれ、片方の脚は不自然な角度に曲がっていた。それでも、クロウはラスの姿を認めると、安心したように、弱々しく尻尾を振った。   クロウの応急処置を続けるフランの腕には痛々しい切り傷があり、シャツを赤黒く染めていた。本人はそれに構う様子もない。 「ストーカーにしちゃ度が過ぎてるだろ。黙ってないでなんとか言え!」   訓練されたLCPSのサイバードッグにこれだけの致命傷を負わせるなど、そのへんのチンピラやストーカーにできる芸当ではない。それなりの武器を持った人間、それも複数人による襲撃に違いなかった。  低く詰め寄るラスに、フランは視線を上げないまま自嘲気味にため息をつく。 「……僕が交渉に応じなかったのが、気に食わなかったみたい」 「交渉?」  その言葉に、先日フランの診療所を訪れていた怪しげな男のことを思い出す。同時に、あの時フランが言いかけていたことも蘇った。 「あんた、カメラの犯人がわかりそうって言ってたな。そのことと関係あるのか」 「……たぶんね。確証はないけど」  短く答えるフランの顔を見ながら、ラスは歯噛みする。  あの時、無理にでも問い詰めて聞き出しておくべきだった。そうしなかったのは、聞いてもフランは答えないだろうという諦め以上に――どこかで彼に踏み込むことを躊躇うラス自身の迷いがあったからだ。  ようやくフランが顔を上げる。その表情からは、何の感情も読み取れない。 「……できるだけの処置はしたけど、早く専門のメカニックに診せないと」  そう言ってフランはクロウの身体をゆっくりと床へ降ろす。 「――おい」  立ち上がった​フランは無言でカウンターへ近づくと、その陰から黒い化粧箱を取り出した。いつか見た、贈り物の山の中にあった箱だ。 「何してんだ、あんた」 「ここが襲われたことは、黙っていて。聴取とかそういうの、めんどくさい」  淡々と言いながら、フランは手に取った化粧箱を開ける。 「その代わり――」  と、中から取り出した小さな瓶をラスの手に握らせる。  それは美しく加工された、香水瓶のような小瓶だった。その中に満たされた、特徴的なコバルトブルーの液体。 「……これは」 「クロウの働きに免じて、特別にきみにあげる」 ​  フランは微笑んでいた。いつもの、何を考えているのかわからない微笑み。だがその声には隠しきれない疲労が滲んでいる。 「最近、僕にえらくご執心らしい、〝ファン〟からの――心のこもった贈り物」  見覚えのある青。先日の張り込みで押収したアタッシュケースの中にあったものと、まったく同じ色。ラスの中で疑惑として散らばっていたものが、一気に現実味を帯びる。 「……あんた、これが何かわかってて受け取ってたのか」 「言ったでしょ、変なプレゼントが送られてくるのは珍しくないって。興味のない贈り物の中身なんていちいち気にしてないよ。――仮に知ってたとして」  言葉を切ったフランが、ラスの目を見つめた。ハニーアンバーの瞳には、困惑する自分の顔が映っている。 「こんな出所のわからないものを出したって、真っ先に僕が疑われるだけでしょ?」  まるでラスが抱いてきたものを見透かすように、その瞳の奥に、挑発的な光が宿る。 「……それとも、きみも僕を疑ってる?」  ネオンブライトのサンプル。マフィアとの接触。エリック・スターリングやアラン・ケンプとの繋がり。フランを疑う材料はいくらでもある。だというのに、当の本人は襲われ——そればかりか証拠品となり得る小瓶を、今こうして自らラスに差し出してくる、その意図がわからない。 「ふふ。実は僕がマフィアの手先で、これも密売人同士の内輪もめかもしれないよ?」 「……茶化すな。こんな状況で冗談言ってる場合か」  ラスがそう吐き捨てた、その時だった。入り口のドアが静かに開いて、派手な靴音とともに軽薄な声がかかる。 「よお、派手にやられたなァ、先生。無事?」  ​  そこに立っていたのは、声に違わず軽薄な笑みを浮かべた、銀髪の男だった。男の履いている革靴が、床に散らばったガラスの破片をじゃり、と踏みしめる。その無神経な音が、いやに大きく響いた。

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