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16#私情と公情のあいだ
「こりゃまた、派手にやられたな」
運び込んだクロウを見るなり、白衣を着た初老の技師は呆れたように顔を顰めた。
深夜でも煌々と灯りのともる『LCPS指定 サイバネティクス・ラボ』――消毒液と機械油の匂いが混じり合うこの無機質な建物は、二十四時間体制でサイバードッグをはじめとした各種サイボーグ専門の医療・メンテナンスを請負うLCPS提携の施設だった。
「サウスウエスト・エッジ隊のラス・リーズ捜査官か」
技師の男は慣れた様子でIDを確認すると、クロウの損傷具合を確認し、小さく息を吐いた。
「神経系ユニットが剥き出しになってる。よく生体液が漏れ切らなかったもんだ」
「……助かるか」
ラスの質問に、男はどこか感心した様子で頷く。
「応急処置が良かったな。損傷は激しいが、なんとかなるだろう」
どうやらフランの処置が功を奏したらしい。そうか、と安堵のため息をついたラスに、技師は「集中治療ユニットに運ぶ。あとはこっちでやるから、あんたは外してくれ」と告げた。
ストレッチャーに乗せられ、奥の治療室へと運ばれていくクロウの弱々しく明滅する青い瞳を見送り、ラスはきつく拳を握りしめる。
サイバードッグは、その職務上危険を伴うことも多く、負傷もそう珍しいことではない。フランの元に番犬として預けた以上、彼の身に危険が及べばクロウが戦闘や防衛のために負傷する可能性も想定してはいた。とはいえ、長年の相棒を再起不能一歩手前にまでされた怒りと己への苛立ちは、どうしようもなく大きかった。
ラボを出て、冷たい夜風で火照った頭を冷ます。搬入口に着けていたバイクの前でジャケットの内ポケットから端末を取り出すと、迷わず一つの番号を呼び出した。数コールで、少し掠れた、聞き慣れた声が応じる。
『――俺だ』
「マキさん。……今日は夜勤スか」
『おう。どうした、こんな夜中に。今どこだ』
「ギア・ストリート。……クロウをラボに」
『何があった』
ただならぬ様子を滲ませたラスの声に、マキの声音が一気に険しくなる。ラスはバイクに寄りかかると、気を落ち着けるように取り出した煙草に火をつけた。
「……フラン・エルウッドの診療所が襲撃されました。俺が着いた時にはもう、中はめちゃくちゃで……預けてたクロウが応戦して犯人は撃退したらしいものの、クロウは再起不能寸前までやられちまってた」
『……それで、フランは』
「一応無事です。軽傷で本人は大したことないって言い張ってる。警察にも知らせるな、と」
ああは言われたものの、ひとまずマキに相談したのはラス一人では手に余ると判断したからだった。遅かれ早かれフランに疑惑が向かざるを得ないこの状況で、頼れそうな人間はラス以上にフランと付き合いの長いマキを置いて他になかった。
『……ラス、お前あいつの事情を知ってるな。全部話せ』
低く詰めてくるマキに、ラスはロニとの接触と得た情報――レヴァリスのセルジオの企みと、フランが狙われている事実、そして彼が、密売のスポンサーと思しきアークライトグループのCEO・スターリングと接触していた形跡があることなどをかいつまんで説明する。
フランと個人的な関係を持ったことはさすがに伏せたものの、どこまで誤魔化せたかはわからない。
「……それと、ドクターはネオンブライトの改良型サンプルらしきものを所持していて、それを渡されました」
ラスはジャケットのポケットから、先ほどフランから押し付けられた小さな小瓶を取り出した。街灯の光を受けて、コバルトブルーの液体が入ったガラスが妖しくきらめく。
「本人は、最近届いた『贈り物』だと。どういうつもりで送りつけたのかは知らねえが……カードにはご丁寧にE――おそらくエリックのイニシャル。ロニが言うには、セルジオは数日後のトレード・ハブでの取引でドクターの身柄を引き渡す手筈になってるらしい」
話を聞き終えたマキは、通話越しに深々とため息をついた。
『なるほどな。事情はわかった。あの馬鹿、相変わらず厄介事を引き寄せやがる』
「……マキさん。ドクターとあの銀髪野郎が、スターリングと繋がってて俺たちを嵌めてる可能性は」
考えたくない可能性を苦々しく口にするラスに、マキは端末の向こうでハ、と笑う。
『前にも言ったろ、あいつが金持ちに飼われていいように操られるタマかよ。ましてクスリや殺しなんざ』
そこでマキは一度言葉を切り、やや声のトーンを落とした。
『とはいえ、状況的には厳しいな。あいつが〝飼われてない〟証拠は何もない。その上そんなヤバい代物まで隠し持ってたとなりゃあ、素直に報告すれば容疑者としてしょっ引くしかなくなるだろうな』
このまま報告すれば、警察沙汰にしてくれるな、というフランの意向は叶わない。どころか、彼は間違いなく容疑者になる。やはりマキの見立てもラスの推測と同様だった。
『ラス。お前さん、フランがクロだと思うか』
「――いや」
『私情か?』
「……それは、」
言い淀む。私情が全くないとは言い切れない。だが、ラスの刑事としての勘は、フランがこの陰謀の黒幕側ではないと告げていた。それは、最悪だった最初の出会いからずっとだ。
「……私情はある。けど俺の勘は――最初の聴取の時から変わらない」
『ッはは、お前の勘は当たるからなァ』
マキは愉快そうに笑い飛ばすと、ふう、と煙草の煙を吐き出す音をさせた。
『いいだろう。俺の知るフラン・エルウッドと、お前の勘を信じるぜ。だが、捜査のほうはどうするか……ジェイクたちに、その青い小瓶の出所を馬鹿正直に話すわけにはいかねえぞ』
「わかってます。だから、あんたに相談したんだ」
『……よし。その小瓶とパーティの情報は、レヴァリスの穏健派――ロニからのタレコミと情報提供で手に入れたってことにしろ。あいつらもセルジオの暴走を止めたがってるんだ、筋は通る。フランの名前は出さなくていい』
「……いいんですか、それで」
『いいもなにも、お前はそうしたいんだろ? だが、これで俺たちも後戻りはできねえぞ。数日後のそのパーティ、LCPSとして潜入して確実にスターリングを挙げる。万が一お前の勘が外れてたその時は――まあ、そん時だ』
マキの提案に安堵したラスだったが、次の瞬間、ベテラン刑事はどこか面白がるような、からかうような声色でこう続けた。
『それにしても……「あんな奴と関わり合いになるつもりはない」って息巻いてたのはどこのどいつだ? すっかりあの尻軽に誑し込まれて、クロウを貸し付けてスクラップにしかけた挙げ句、庇うための隠蔽工作ときた。俺の忠告も形無しだぜ』
——やはりバレている。図星を突かれたラスは、ばつの悪さに顔をしかめて情けなく呻くしかなかった。
「…………そんなんじゃねえ」
『はは、素直じゃねえな。まあいい、そういうことにしといてやるよ』
マキは楽しげに笑うと、すっと真面目なトーンに戻った。
『ジェイクたちには、俺からうまく言っておく。お前はすぐステーションに戻ってこい』
「……了解」
通話が切れる。ラスは端末をポケットにねじ込むと、夜空を見上げた。すっかり短くなった煙草を揉み消し、吐き出した最後の紫煙が、冷たい夜風に流されて消えていく。
あれだけの襲撃を受け、自らも傷を負いながら、警察の保護すら面倒だと拒んで、フランは今どこでどうしているのか。大人しく安全な場所に身を寄せていればいいが――
ラスは深く息を吐き出すと、余計な考えを振り払うようにバイクのエンジンをかけた。
どういう形にせよ、捜査は進展した。やるべきことは山積みだ。夜のギア・ストリートを抜け、ラスの乗ったバイクはサウスウエストを目指して駆け抜けていった。
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