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20#摩天楼の攻防

 ルミナス・ネックスの頂点、トレード・ハブにそびえ立つタワーの最上階。  天井を飾る巨大なクリスタルのシャンデリアが、眼下に広がる街のネオンを嘲笑うかのように、圧倒的な光を放っていた。フロアには穏やかな弦楽四重奏が流れ、グラスの触れ合う繊細な音と、上流階級らしく上品で嫌味な歓談の声が満ちている。 「……ネクタイを緩めるな。姿勢が崩れてるわよ、ラス」  グラスを傾けながら、隣を歩く美しいドレス姿の女が、唇を動かさずに低く囁いた。 「ちっ、わかってるよ……息が詰まりそうだ」  仕立ての良いダークスーツに身を包んだラスは、ため息を噛み殺しながら姿勢を正す。  イジーの地獄の特訓の成果もあり、今のところ「やり手の若手役員と、その同伴者」という偽装は完璧に機能しているようだった。周囲から怪しまれる様子はない。  会場に集まっているのは、トレード・ハブの政財界を牛耳るようなトップ層ばかりだ。表向きはアークライト・グループの新作テクノロジーの発表会とされているが、この中の何人が、裏で行われる「アジュール」のお披露目と取引の真の目的を知っているのか。 『――ラス、イジー。聞こえるか』  右耳に仕込んだ超小型のインカムから、マキの低い声が響いた。 「ああ。感度良好だ。ジェイクのハッキングも今のところ問題ない。偽造IDで怪しまれることなく入れた」    ラスがシャンパングラスを片手に呟くと、外で後方支援に回っているジェイクの声が続く。 『監視カメラのチェックと、セキュリティのダミープロトコルも正常に作動してる。ただ、さすがに実際の取引はその会場外のどこか別の部屋で行われるだろうから――こっちもタワー内のセキュリティをくまなくチェックするけど、何か動きがあればすぐに知らせてくれ』 「了解」  ラスはグラスの琥珀色の液体に口をつけ、会場の奥――ひときわ人垣のできている一角へと視線を向けた。 「……いたぞ。エリック・スターリングだ」  完璧に仕立てられた黒いスーツに身を包み、人だかりの中心で笑みを振りまいている男――アークライト・グループCEO、エリック・スターリング。  そして――その隣に、彼がいた。 (――フラン)  このタワーのどこかにいるだろうとは思っていたが、スターリングがああも堂々と侍らせているとは思わなかった。  スターリングの傍らに静かに佇むフランは、ミッドナイトブルーを基調とした上質なフォーマルスーツに身を包んでいた。仕事中の白衣姿や時折見せていた無防備なあどけなさとは別人のように、完璧に整えられて隙のない、洗練された美しさを放っている。その美貌はきらびやかな会場にあっても一切見劣りせず、むしろ周囲の目を惹きつけていた。  だが、それ以上にラスの目を引いたのは、フランの首元にぴたりと巻き付いている黒いベルベットのチョーカーだった。動くたびにコバルトブルーの小さな石が揺れる、一見しては上品な装飾具。それが首輪のように見えて、ラスの神経をざわつかせる。 「……ねえちょっと、あれ、スターリングの傍にいるのって……」  ラスとともにスターリングの姿を確認したイジーが、抑えきれない驚きの声を漏らす。 『フラン先生!? どうして彼がこんなところに』  インカム越しにジェイクの困惑した声が届く。無理もない。フランの名前を伏せていた以上、二人がこの状況に直面すればそうなることは目に見えていた。 『――落ち着け、お前ら』  すかさずマキの鋭い声が通信に割り込む。 『あいつは元々、ダスク・ストリップじゃ名の知れた高級男娼だ。今でも富豪のパトロンがいて、こういう場に同伴しててもおかしかねえ』 『でも、マキさん! アラン・ケンプとも接触していた彼がこのタイミングで、よりによってターゲットの隣にいるなんて……』 『わかってる。だが、あいつは今夜のターゲットじゃねえ。……俺たちの標的はあくまでスターリングとセルジオ、そして「アジュール」の取引現場だ。余計なことに気を取られて、本命を逃すなよ』  マキの強引とも言える取り成しに、イジーとジェイクは不満げな息を吐きながらも『……了解』と引き下がった。 「……そういうことだ。今はスターリングに集中しよう」   マキのフォローに内心で感謝しながら告げると、イジーが何か言いたげな視線でラスを見る。だが彼女はそれ以上は何も言わず、切り替えるようにスターリングたちの背後へと視線を滑らせた。 「あれがセルジオね」  スターリングの周囲に、どこか隠しきれない物々しさを纏った男たちが数人。その中に、見知った顔――いや、事前の調べで頭に叩き込んだ顔があった。  レヴァリスの幹部、セルジオ。  そしてその後ろには護衛らしき男が何人か――その中に、氷のように冷たい無表情を浮かべた長身の男が控えている。 「……ラス。あの背の高い、黒髪の男……」  隣でグラスを傾けるふりをしながら、イジーが険しい声で囁いた。 「前に私が追っていた売人を横取りした、レヴァリスの構成員よ。間違いないわ」 「なんだと?」  あの時イジーの前に現れたのは、レヴァリスの親ボス穏健派と見られる銀髪の男と黒髪の男の二人組だった。  そのうちの一人――銀髪の男が、先日フランの襲撃時に接触してきたロニだ。男の言葉がラスの脳裏に蘇る。 『ナナミから、連中があんたを強制的に拉致しに動いたって連絡が入ってな。ま、この様子じゃ失敗に終わったようだが――』 (じゃあ――あれが、ナナミか)  つまり、あの男はロニの相方でセルジオ一派を監視するための穏健派のスパイということになる。信用するならば、フランの身に致命的な危険が及ばないよう監視する役目とも考えられなくはない。  だが、エリック・スターリングのフランを見る目は、尋常ではなかった。まるで手に入れたばかりの最高級の美術品を舐め回すような、歪んだ所有欲と執着がその視線からありありと見て取れる。時折周囲に見せつけるように露骨にフランの腰へ手を回す仕草が嫌でも目についた。 「……ちっ」  ラスは誰にも聞こえない声で低く毒づいた。フランの表情は、遠目からは読み取れない。ただ静かにスターリングに寄り添うように佇み、されるがままになっている。  だが、わざわざ危険を冒して自らこんな舞台まで出てきたフランが、このまま大人しく〝貢ぎ物〟として振る舞い続けるとも思えなかった。  オーケストラの優雅なワルツが会場を包む中、ラスはグラスを強く握りしめ、獲物を狙う獣のようにその瞳を細める。そこへ、インカムからジェイクのわずかに焦ったような声が響いた。 『二人とも、招待客の手元を見てくれ。何人かが同じデザインの指輪をはめてる。右手の黒いシグネットリングだ』 「指輪……?」  グラスを傾けるふりをしながら、ラスは視線だけでターゲットの周辺を窺う。確かに、スターリングや彼と談笑している数人の男たちの指には、揃って無骨な黒いリングが光っていた。 『おそらく裏取引の会場となる奥のVIPフロアへのゲートキーだ。パスコードのハッキングはどうにかできても、あの物理トークンがないと最終ゲートで弾かれる仕組みになってる』 「つまり、あの指輪がないと取引現場には乗り込めないってこと?」  イジーが忌々しげに囁く。 『ああ。なんとかしてあの指輪を手に入れないと』 『最先端のテクノロジーだなんだと謳ってても結局最後は物理(アナログ)ってことか。だが、取引現場を直接押さえるまでは荒事は極力避けたいところだ』 「……クソが。何事もすんなりとは行かねえな」  ラスが舌打ちした時、会場の照明がふっと落とされ、ざわめきが静まった。  中央の壇上をピンポイントでスポットライトが照らし出し、エリック・スターリングがマイクの前に立つ。 「皆様、本日はアークライト・グループのささやかな催しに足をお運びいただき、誠にありがとうございます」  スターリングのよく通る声が響き渡る。 「我がアークライトは、ルミナス・ネックスの未来を担う新たなテクノロジーの開発に心血を注いでまいりました。今夜は、その集大成とも言える『没入型ホログラム・エンターテインメント』の第一歩を、選ばれた皆様と共に体験していただきたい」  スターリングが指を鳴らすと同時に、重低音がフロアを震わせ、天井の空間に巨大な光の粒子が舞い散る。アークライト・グループが誇る最新の立体ホログラムショーの始まりだ。  宙を泳ぐ極彩色の光のクジラや、幾何学的なサイバー都市の幻影が頭上を覆い尽くす。招待客たちは一斉に感嘆の息を漏らし、頭上の光の群れへと釘付けになった。 ​『うわっ、すごい光量……ラス、こっちのモニター、ホログラムのノイズで会場内が白飛びして何も見えない。そっちはどうだ』 「こっちもだ。暗闇と光の点滅で、数メートル先も怪しい……」 ​ 大音量の音楽と光の渦の中、ラスは目を細めてスターリングのいた方角を探る。だが、密集した人だかりと目まぐるしく変わる照明のせいで、ターゲットの姿は完全に見失っていた。  焦燥に駆られ、ラスが一歩前へ踏み出そうとした、その瞬間。不意に、人混みの隙間を縫うようにして身を寄せてきた人影があった。 「――っ!?」  声を上げるより早く、胸元――インカムのマイクと隠しカメラが仕込まれたラペルごと、ネクタイを強引に引き寄せられる。  ホログラムの青い光が、一瞬だけその横顔を照らし出した。 (……フラン——!?)  驚きに目を見張った直後、視界がふたたび深い闇に沈み、唇に柔らかな感触が押し当てられた。 ​ 大音量のBGMが心臓の鼓動を掻き消す中、有無を言わさず深く重ねられた唇。だがラスの口内へ滑り込んできたのは、知っている熱とは明らかに違う感触だった。柔らかい舌先に押し出されるようにして、硬く冷たい異物がぐいと押し込まれる。 「――ん、っ……!?」  ラスが舌の上に乗ったその金属の感触を受け取ると、フランは名残惜しそうに舌先でラスの上顎をひと撫でして、唇を離した。  至近距離で、吐息ほどの微かな声が耳元に落ちる。 「彼らはこのショーの隙に抜ける。行き先はブルーラウンジ」 「……っ、あんた、」  フランはただ短く行き先だけを告げて、ラスの胸を軽く押し返す。 「ここからはきみたちLCPSのお仕事だよ。せいぜい特等席で愉しませてもらうから、ね」 ​ 頭上でホログラムの光が弾け、歓声が上がる。一瞬の閃光が、悪戯っぽく艶やかに微笑むフランの顔を映し出したのを最後に、彼はふたたび暗がりと人混みの中へと溶けるように消えていった。 ​『——ラス、応答してくれ! マイクにノイズが走ってるぞ!』  インカムから弾かれたように響いたジェイクの焦った声に、ラスは我に返る。  口内に残された硬い金属。手のひらに吐き出したそれを握り締める。暗闇の中でも、それが何かはすぐにわかった。スターリングたちが身に付けていたものと同じ、黒いシグネットリングだ。 ​「……問題ない。ジェイク、ターゲットは?」  ラスは動揺を押し殺し、意図して低く保った声で応答した。 『あ、ああ。今、ホログラムの光の端でスターリングとセルジオの一派が動くのを確認した。一般客の目を盗んで、VIP用の奥の回廊へ抜けたみたいだ』 「——上等だ。ジェイク、指輪は手に入れた」 『え!?』  「……ラス、どういうこと!? いつの間に——」  明滅する光と暗闇の中、インカムでのやりとりを聞いていたイジーがラスを振り返る。   ラスは手のひらの黒い指輪を右手の指にはめ込み、拳をぐっと握り締めた。まだ、唾液に濡れた金属の冷たさと、甘いキスの感触が口の中に残っている。 「ブルーラウンジだ。俺が単独で向かう。イジーはカバーを頼む」 「ラス」  何かを言いかけたイジーを片手で制して、ラスはジェイクとマキに声をかける。 「ジェイク、セキュリティの解析を急いでくれ。マキさんは俺が中で証拠を押さえ次第本隊の突入を」 『……了解した。気をつけろよ、ラス』  マキの短い返答を聞き届け、ラスは喧騒と極彩色のホログラムが狂乱するフロアから、影のように滑り出した。 

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