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22#終幕のキス①

​ 喧騒から完全に隔絶されたプライベートルームは、息が詰まるほどの静寂と、むせ返るような香木の匂いに満たされていた。  分厚い防音扉が重い音を立てて閉ざされた瞬間、エリック・スターリングがそれまで纏っていた紳士の仮面が、どろりと崩れ落ちる。 「……素晴らしい演技だったよ、フラン。まさかあそこまで見事に、僕の期待に応えてくれるとはね」  スターリングは喉の奥で粘ついた笑い声を漏らしながら、フランを部屋の中央にある豪奢な革張りのソファへと乱暴に押し倒した。  スプリングが深く沈み込み、フランの身体がクッションに埋もれる。だが、その顔に恐怖や狼狽の色は一切ない。彼はただ、乱れた前髪の隙間から、どこか冷ややかにエリックを見上げていた。 「スポンサー様のご期待に応えるのが〝商品〟の務めでしょ。……でも、本当にあの薬でそんなに気持ち良くなれるの?」 「もちろんだとも。だからこそ……あれほどの客の前で、君が本当に薬で乱れる姿を晒すのは、あまりにも惜しくてね」   エリックはソファに手をつき、フランを逃げ場のない状態に閉じ込めながらその顔を覗き込んだ。その瞳は、欲望と歪んだ征服欲で濁りきっている。 「あのパーティの夜、テラスで君の唇に触れた時から、僕はずっと君に焦がれていた。……贈り物は見てくれたかな?」 「……さあ、どうだったかな。たくさんのプレゼントに紛れてて、気がつかなかったかも」  冗談めかして、フランは目を細める。  嘘はついていない。事実、ロニたちからこの男の執着とネオンブライトのことを知らされなければ、プレゼントの山に紛れた小さな小瓶のことなど思い出しもしなかったのだ。  フランの表情の意味を掴みかねたのかエリックはわずかに眉をひそめる。だがすぐに高慢に唇を歪めて、長い指で首に巻かれたベルベットのチョーカーと、その先で揺れるコバルトブルーの石に触れた。 「まあいい。これでもう君は僕のものだ」  そのまま指先を滑らせ、フランの滑らかな頬を愛おしげになぞる。 「この僕が、君のすべてを愛して、支配して……」  甘い囁きとともに、エリックの顔が近づく。  フランは身を捩ることもなく、深く塞がれたそのキスを素直に受け容れた。ねっとりとした舌が口内を撫で回すのを、抵抗するでも応えるでもなく、ただされるがままに任せる。その一見従順な反応に、エリックの歪んだ独占欲はさらに満たされたようだった。高揚した熱い息を吐きながら、彼は名残惜しそうにゆっくりと唇を離す。 「ああ……フラン、やはり君は最高だ――」 「――ふうん」  エリックが欲情しきった瞳でさらに喰らいつこうとしたその時、かたちの良い唇からひどく冷めた吐息がこぼれ落ちた。  フランはつまらなそうに唇を指先で拭い、小さくため息をつく。 「……ここまでするからには、少しは期待したんだけど。――ま、一度目が記憶にも残らないようじゃこんなものか。仕方ないね」 「な……」  ただただ退屈そうなその声音に、エリックの表情が凍りつく。金も地位も女も男も、欲しいものは全て手に入れてきた男だ。ましてキスやベッドでの手管を「こんなもの」などと評されたことなどまずないだろう――その自信と高慢に満ちた男のプライドが、音を立ててひび割れる。   だが、エリックは一瞬激昂しかけたその表情を不意に抑え込み、陶酔しきった先ほどの様子とは打って変わって、傲慢な支配者の顔で低く笑った。  「……ああ、そうだ。君は……ふふ……そうだったな。いいだろう」  男は歪んだ執着をむき出しに、狂気じみた光を瞳に宿す。 「まずはそのままの君をこの手で屈服させるつもりだったが……ここは君と僕しかいない。誰の目もない密室だ」  エリックはジャケットの内ポケットから、先ほどデモンストレーションで使った、アジュールが充填されたインジェクターを取り出した。  コバルトブルーの液体が、室内の間接照明を浴びて不気味に揺らめく。 「先ほどのプレゼンでは依存性もコントロールの利く範囲内だと謳ったが――あれは嘘だ。一度でもこのアジュールの快楽を知れば、もうこれなしではいられなくなる」  そう囁くエリックの口元は、完全に理性を失ってサディスティックな笑みに歪んでいた。 「さあ、見せてくれ。君のその不遜な瞳が、快楽に焼き切れて、僕に媚びへつらう、本物の姿を」  エリックの指先が、フランの首を捕らえる。仰向きあらわになった白い首筋へ、エリックはインジェクターの先端を押し当てた。 「薬なんて使わなくても、ちゃんと()くしてくれたらいくらでも啼いてあげるのに」  冷たい金属の感触を肌に感じながらも、フランの声はどこまでも平静だった。その挑発的な響きが、エリックの嗜虐心をさらに煽る。 「減らず口を。君が自我を失い、涎を垂らして僕に快楽を乞うようになるまで、徹底的に――」 ​ ――ガンッ!! ​ エリックの言葉は、背後の重厚な扉が強引に蹴り開けられた爆音によって断ち切られた。 「なっ……!?」  エリックが弾かれたように振り返る。 「……実食の邪魔をして悪いな、クソ野郎」  その声に、エリックの下でフランの唇が心底愉しげに弓型の弧を描く。待ちかねた、と言わんばかりに。  開け放たれた扉の向こう、薄暗い廊下を背にして立っていたのは、右手に漆黒の銃を構えたラス・リーズだった。

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