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22#終幕のキス②

「邪魔して悪いな、クソ野郎」  地を這うような低い声とともに、ラスは銃口を真っ直ぐにスターリングの眉間へと向けた。 「き、貴様は……客か!? セキュリティ! 誰かこいつをつまみ出せ!」  スターリングが血相を変えて叫ぶが、扉の向こうからは足音一つ聞こえてこない。 「無駄だ。ラウンジは制圧済み、セルジオも観念した」  ラスはゆっくりと部屋へ足を踏み入れ、ソファの上――そこでわざとらしくフランを組み敷いているスターリングへじわりと距離を詰める。 「LCPS、サウスウエスト・エッジ隊だ。エリック・スターリング、違法薬物の製造及び売買、ならびに拉致監禁の容疑で同行を願うぜ」 「警察だと……馬鹿な、このフロアのセキュリティをどうやって……」  驚愕と狼狽を露わにするスターリング。しかし、すぐに持ち前の傲慢さを取り戻し、鼻で笑った。 「……ふん。サウスウエストだと? 貴様らごとき末端の刑事が何人入り込もうが、私を捕らえられるとでも思っているのか? 捜査権限などすぐに――」 「残念だがそいつは無理だ。ネクサス・バイオテックの研究所とデータ、あんたのクラブとの繋がりも全部裏は取れてる。それに、さっきの商談の映像もバッチリ録らせてもらったからな。どれだけ上に圧力をかけようと、これだけ証拠が挙がってりゃさすがに言い逃れはできないぜ、覗き趣味のクソ野郎」  ラスの痛烈な言葉に、スターリングの顔からようやく血の気が引いた。  咄嗟にスターリングがインジェクターを放り出し、懐の護身用小型拳銃に手を伸ばそうとした、その瞬間。  ラスは一瞬で距離を詰め、スターリングの胸ぐらを掴み上げると、そのまま力任せに床へと叩きつけた。 「ぐはっ……!」  トレード・ハブの頂点に立つ男は、あっけなく冷たい床に這いつくばる無様な罪人へと成り下がった。  ラスは手早くスターリングの胸元から拳銃を抜き取り、他に隠し武器がないかを確認する。  息の詰まる沈黙の降りた部屋に、不意に場違いなほど甘く、楽しげな笑い声が響いた。 「――あーあ、痛そう」   ラスが振り返ると、それまで大人しくソファに横たわっていたフランが、ゆっくりと身体を起こしているところだった。彼は乱れたスーツの襟を直すこともせず、床に転がるスターリングを冷ややかに見下ろしたあと、ラスへ向かって妖艶に微笑みかけた。 「惜しかったなぁ。もう少しで、本当に極上のクスリを味わわされるところだったのに」 「……てめえは、少しは危機感ってものを持て」  呆れと安堵がない交ぜになった複雑な心情で、ラスはどうにか平静な声を出す。自分から危険な盤上に上がり、男に押し倒されて薬を打たれそうになっても、一切の恐怖さえ見せない。そんなフランのありのままの性質が、ラスの胸の内をざわざわと逆撫でする。 「ふふ」  そんなラスの内心などお構いなしに、フランはひどく楽しげに笑い声をこぼすと、しなやかな動作でソファから立ち上がる。  床に這いつくばったままのスターリングが、血走った目でフランを睨みつけた。 「く……フラン、……君は……!」 「ねえ、リーズ刑事」  スターリングを組み伏せているラスに向かって不意に手を伸ばしてきたフランが、ラスの髪に触れる。そのまま指先が差し込まれ、きっちりとセットされていた髪型をくしゃりと乱した。  「おい、なにすん――……」  ラスが言い終わらないうちに、髪を乱した手に強引に頭ごと引き寄せられる。そして。  甘いコロンの香りとともに唇が重なると同時に、至近距離で目が合った。そのハニーアンバーに灯る悪戯っぽい光を見た瞬間、ラスの中で強烈な既視感が弾ける。  ラスの口内に、躊躇いなく熱い舌が滑り込んでくる。甘いコロンの香りと、先ほどの暗がりでの口移しよりもずっと深く、そして濃密な、見せつけるようなキス。  足下のスターリングがヒュッと喉を鳴らすのが聞こえた。愕然とした視線が突き刺さる。その唇からこぼれる声は、怒りとショックに震えていた。 「お前、は……あの時の――……!」   ——このキスは、あの監視カメラの前での挑発の再現だ。  ゆっくりと唇を離したフランが、屈み込んだままふっと目を細める。その小悪魔のような、それでいて相手を徹底的にコケにする振る舞いに、ラスは内心で深くため息をついた。 (……本当に、どこまでも性格が悪い)  だが、その不遜さこそが、この男の最大の魅力でもあるのだ。 「……じゃ、ここからはきみたちのお仕事」  そう言って身体を離したフランは、足元で血走った目を向けるスターリングにはひと言も、ひと目すらもくれなかった。  自分に狂い、プライドを粉々に打ち砕かれて這いつくばる男のことなど、まるで道端の石ころと同程度の興味すら湧かないと言わんばかりの、徹底した無視。フランはただラスに向かって、ふわりと軽やかに微笑んでみせた。 「後はよろしく」  ひらひらと手を振り、フランは振り返ることもなく悠然とした足取りでプライベートルームの扉を抜けていく。  すべてを引っ掻き回し、マフィアも巨大企業のトップも手玉に取って、一番美味しいところだけを掻き攫って消えていく後ろ姿。 「フラン……待て、フランッ!」  無様に手を伸ばすスターリングの声は、もう彼には届かない。 「フラン……! 君は、僕の……ッ」  男の悲痛な声は空しく響き、遠ざかる足音が完全に聞こえなくなるまで、フランが足を止めることは一度もなかった。 ​「ああああっ……!」  徹底的に存在を「無」として扱われた屈辱と絶望に、スターリングが獣のような唸り声を上げる。そして、その憎悪に満ちた視線は、自分を見下ろすラスへと向けられた。 「貴様……貴様が、僕のフランが、お前のような下賤な男のものなんかに……!」  怨嗟と嫉妬を吐き捨てるスターリングに、ラスは肩をすくめ、呆れとともにどこか自嘲の混じったため息をこぼした。 ​「……俺の、ねえ」 ​ あの魔物が誰かの所有物になることなど、あり得ない。ラス自身、それを誰よりも痛感している。  ラスは無慈悲にスターリングの腕を捻り上げ、冷たい手錠をかけた。ガチャン、と無機質な金属音が部屋に響き渡る。 「あんたはあのドクターを見誤ってる。だいたい、あいつはあんたの部下ともとっくに寝てるぜ?」 「な……、んだと……?」 「あんたが薬を作らせ、殺した男――アラン・ケンプだよ。バーでナンパされたんだと。口説き方を間違えたな」  その言葉に、スターリングの顔が引き攣った。  自分だけが特別だと思い込み、途方もない金と労力をかけて手に入れようとした至高の「芸術品」が、とうの昔に自分の手駒と気まぐれにベッドを共にしていたという事実。それがどれほどこの男の肥大した自尊心を無惨に引き裂くか、想像に難くない。  すべてを失い、呆然と床にへたり込むルミナス・ネックスの王を見下ろし、ラスは冷たく言い放った。 ​「あれを()()()()()()としたのが、あんたの運の尽きだ」 ​ 完全に言葉を失い、呆然とするスターリングの背中を小突いて立たせる。  フランの背中はもう見えない。唇の奥には、彼の置き土産の熱だけが残っていた。

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