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23#帰還②

 トレード・ハブのきらびやかで暴力的なまでの光の海を抜け、バイクは徐々にミッド・グリッドの薄暗い下層――ダスク・ストリップへと向かってスピードを上げていく。 ​ 猥雑で毒々しいネオンの瞬きが視界に混じり始めると、ずっと張り詰めていたラスの胸の奥で、強張った神経がゆっくりと解けていった。ヘルメットの中で、深く重い安堵の息がこぼれる。  ――無事に、ようやく元の世界に帰ってきた。  あの傲慢な権力者の檻から、この奔放で厄介な魔物を連れ帰ったのだ。アジェイやマリアに誓った約束は、どうにか果たせたことになる。 ​ だが、任務中の極度の緊張が解けたことで、代わりに別の熱が輪郭を濃くし始めていた。  風を切る音に混じって伝わってくる、フランの静かな呼吸。背中にぴたりと密着する柔らかで生々しい体温。   数週間前、フランがデートと称して誘ったダイナーへ向かった時にも、こうして彼を後ろに乗せて走った。あの時と、物理的な距離は何も変わらない。  だが今のラスは、その衣服の下の体温を知っている。直に触れたなめらかな肌の感触と、その奥で蕩けるような熱を。 (……クソ)  今さら、スターリングの目の前で交わした深いキスの感触が、まざまざと唇に蘇ってくる。  あの時、フランはプライベートルームでスターリングに押し倒されながら、ぎりぎりまでラスを待っていた。自ら盤上に上がったショーの、その最後の幕引きの瞬間をラスに委ねたのだ。  それが単なる気まぐれなのか、ただそこにあるものを利用しただけなのか、あるいはそれ以上の意味があるのかはわからない。   いつもの彼のものとは違う――あの場のために仕立てられたひどく甘くて官能的な香りが、容赦なく鼻腔を掠めていく。  理性が否応なくじわじわと灼け焦がされていくのを感じながら、ラスは奥歯を噛み締めた。  どう考えても、今の自分にはあの傲慢なエリック・スターリングのことを笑う資格などない。 ​ 猥雑で毒々しいダスク・ストリップのネオンが、さらに色濃く近づいてくる。  洗練された摩天楼とは別世界の、自分たちのテリトリー。 「……帰ってきたね」  ヘルメット越しに、背中からフランの声が微かに聞こえた。その声は、パーティ会場での冷たく完璧な仮面を完全に脱ぎ捨てた、いつもの気怠げで、どこか安心しきったような響きを帯びていた。 「ああ。……帰るぞ」  ラスは短く応えると、持て余した熱を誤魔化すように、冷たい夜風を切り裂いてさらにアクセルを捻った。    二人を乗せたバイクは、深夜のダスク・ストリップを抜け、見慣れた裏通りの角で静かにエンジンを止めた。  バイクから降り、ヘルメットを脱いだフランが、乱れた前髪を無造作に掻き上げる。 「ありがと、リーズ刑事」  診療所の自動ドアは、襲撃された夜のままわずかに歪んで半開きになっている。消えたままのドア横のモニターには、不在が続いて患者や住人に不審に思われるのを避けるためか、フランの軽い筆跡で書かれた『故障中。しばらく休診』の貼り紙が貼られていた。  手動でドアを開けて中へ入ると、やはりあの夜のまま、散乱したガラスの破片や引き裂かれたソファの残骸、ひっくり返った医療棚がそのまま放置されており、とてもではないが人が休めるような状態ではなかった。 「……アジェイの店じゃなくて良かったのか」 「言ったでしょ、上の部屋で寝るぶんには困らないって」  散らかった待合室の惨状を気にする素振りもなく、フランは器用に足元の破片を避けて中へと足を踏み入れる。  薄暗い非常灯に照らされた、暴力の痕跡が生々しく残る荒れ果てた空間。そこに立つフランの、上質なドレススーツ姿はあまりにも場違いだった。摩天楼の上で纏っていた完璧な仮面はとうに剥がれ落ち、無造作に歩くその背中は、どこかふっと力の抜けた妙な無防備さを晒している。   埃っぽい空気に混ざって、ふわりと甘いコロンの匂いが漂う。それが、腹の底で燻り続けていたラスの熱に、決定的な最後の一押しを与えた。 「――フラン」  低く、抑えきれない熱の混じった声で呼び止めると、フランがゆっくりと振り返る。  薄暗い非常灯の光に照らされたそのハニーアンバーの瞳が、ふ、と艶やかに細められた。 「……『監視役』、なんでしょ?」  そう言って微笑む、彼がラスの視線に込められた飢餓感に気づいていないはずがない。いや、気づいているどころか――フラン自身の瞳の奥にも、まるでラスが堪えきれなくなる瞬間を見計らっていたような、濡れた欲情の色がとろりと滲んでいた。 「ちゃあんと見張っててくれないと……楽しいパーティの余韻を持て余して、このまま夜遊びに行っちゃうかも」 「……あんた、マジで行きそうで嫌だな……」  冗談とも本気ともつかないその言葉に、ラスは忌々しげに吐き捨てた。  この男なら平気でやる。あれだけの修羅場を潜り抜けた直後で——手近な誰かのベッドに潜り込んでその身体の火照りを紛らわせることなど、彼にとっては小腹が空いたから適当に食事をつまむ程度のなんでもないことなのだ。  それが無性に腹立たしく、そしてどうしようもなく、ラスの理性を揺さぶる。  甘い感傷も、割り切れない感情も、今はどうでもいい——ただ目の前にある、この極上の熱を喰らいたいという剥き出しの欲求だけがあった。 「それじゃあ、どうする?」  挑発するように小首を傾げ、艶めいた唇を吊り上げるフラン。  ラスは一気に距離を詰めると、逃げ場を塞ぐようにその身体を冷たい壁へと乱暴に押し付ける。 ​「――決まってる」 ​ 答えの代わりに、ラスは獲物に喰らいつく獣のように、挑発的に微笑むその唇を荒々しく塞いだ。

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