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第33話 夢の終わり

 二人は城へ戻った。  広間には使用人たちが並んでいる。  全員が同じ笑顔で待っていた。  ヨシュアが手を上げる。  金色の光が、天井へ昇った。  城中の魔法が震える。  壁を覆う花。  光の蝶。  空を泳ぐ魚。  動く階段。  そのすべてを通り抜け、細い糸が現れた。  何千、何万もの金色の糸。  一本ずつが、使用人たちの身体へ繋がっている。  王子は息を呑んだ。  ヨシュアは指を閉じた。  糸が切れる。  人々の笑顔が消えた。  何人かは、その場へ崩れ落ちた。  立ち尽くす者。  泣き出す者。  何が起きたのかわからず、自分の手を見つめる者。  床へ座り込み、幼子のような声を上げる者もいた。  庭師は、長いあいだ動かなかった。  やがて王子を見た。  そこに恐怖があるのか、憎しみがあるのか。  王子にはわからなかった。  何もなかった年月は、完全には戻らない。 「……殿下」  庭師の声がした。  低く、掠れた声。  劇場で聞いた王子役の声とは違う。  あの日の庭で聞いた声だった。 「ごめん」  王子は頭を下げた。  庭師は答えなかった。  許されるとは思っていない。  謝ったからといって、失われたものが返るわけではない。  それでも王子は、顔を上げなかった。  やがて、足音がした。  庭師が立ち去る。  ほかの使用人たちも、少しずつ動き始めた。  自分で。  転びながら。  壁へ手をつきながら。  どこへ行けばよいかわからない者は、その場に残った。 「お世話が必要ですね」  ヨシュアが言った。 「うん」 「私がいたしますか?」 「皆、ヨシュアを怖がる」 「では、テオが?」 「僕も怖がられてるよ」  二人は広間を見た。  壊れた人々。  これから何年かけても、元には戻らないかもしれない。 「王都から人を呼ぼう」  王子は言った。 「父上との約束は?」 「僕が決める」 「はい」 「それから、名前を返して」  ヨシュアの目が揺れた。 「皆へ?」 「返せる?」 「ええ」 「本や手紙も?」 「すべて」  ヨシュアは胸元を押さえた。  そこに、形のない何かを抱えているように。 「返してほしいですか?」  怖がっている。  王子は理解した。  名前を返せば、自分だけのものではなくなる。  父も。  兄たちも。  王都の人々も。  王子を名前で呼べるようになる。  ヨシュアだけの声にあった名前が、世界へ戻る。 「返して」  王子は言った。  ヨシュアは目を閉じた。 「承知しました」  金色の光が、胸元から溢れた。  小さな光の粒が城を抜け、空へ昇っていく。  王都へ。  父と兄たちのもとへ。  古い記録へ。  母の手紙へ。  世界のあらゆる場所へ。  奪われていた名前が戻っていく。  王子は、自分の中で何かがほどけるのを感じた。 「返した?」 「はい」 「寂しい?」 「とても」  ヨシュアは正直に答えた。  王子は、その頬へ手を添えた。 「でも、僕が名前を呼んでほしいと思うのは、ヨシュアだよ」 「本当に?」 「うん」 「陛下ではなく?」 「父上には、父上の呼び方がある」 「お兄様方は?」 「兄上たちにも」  王子は微笑んだ。 「ヨシュアが呼ぶ名前は、ヨシュアの声にしかならないだろ」  金色の瞳から、涙が落ちた。  ヨシュアは、自分が泣いていることに気づいていないようだった。  王子は親指で涙を拭った。 「泣きすぎ」 「嬉しいのです」 「名前を返したのに?」 「返しても、私の分がなくならないと知りましたから」 「最初から、そうだったんだよ」 「今、わかりました」  ヨシュアは王子の手へ頬を寄せた。  白い髪が指へ絡む。 「テオ」  名前を呼ぶ。  もう、その名は世界中の人々が思い出している。  それでも王子にとって、ヨシュアの声で呼ばれる名前は一つしかなかった。 ###  夜。  二人は庭へ出た。  開いた城門の向こうに、道が見える。  いつでも出ていける。  王都から人が来れば、城はもう二人だけのものではなくなる。 「閉めますか?」  ヨシュアが尋ねた。 「門?」 「ええ」 「魔法で?」 「ご希望なら」  王子は首を振った。 「僕が閉める」  手を上げる。  青い光が城門を包む。  重い扉が、ゆっくりと動いた。  外の道が細くなっていく。  完全に閉じる直前、王子はもう一度外を見た。  逃げ道。  未来。  母が生きていた王都。  父と兄たち。  これから、自分の名前を思い出す人々。  そのすべてが、向こう側にある。  城門は閉じた。  ただし、鍵はかけなかった。

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