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おいしいね

 昼の学園はどこも人が多い。だから俺は時計塔にのぼって食事をしていた。しかし、予期せぬ来客があった。    がちゃりと階下の扉が開く音がして、ゆっくりと階段がきしんだ。めんどうだけど時計塔の柱に身を隠す。 「私、世那のことが好きなの」  知っている名前が聞こえた。あいつは人気者みたいだから、こういうのはたまに見る。聞いてしまうことはなかったけど。  あいつはきょろきょろと時計塔を見回して、首をかけしげてから、女の人に向き直った。多分、俺の匂いがしたけど姿が見えなくて不思議だとか、そんなところだと思う。俺がどこにいても、あいつは俺を見つけてくるから。 「世那は、あの一年生が好きなんでしょう?」 「うん」 「……本当に、そのひとしかダメ?」 「だめ」  沈黙がおちて風の通る音だけがした。古びた時計塔にかさかさと木の葉が転がってくる。俺はそれをひろって、退屈しのぎにびりびりと破いた。 「私、二番目でも、三番目でも、いいの」  女の人が言う。Glassは恋人や配偶者を何人作ってもいいとかいう第一都市の法律。俺は嫌いだ。ひとは道具じゃないのだから。 「ごめんね。俺は一人だけって決めてる」  世那が言う。  あまりに凛とした声で言うから、つい木の葉を落としてしまった。女の人が「そうだよね」と言って走り去っていく。きしんだ階段の音が聞こえなくなって、世那が息をついた。  そして時計塔の床に腰をおろして寝転がった。もしかしてここで眠るつもりだろうか。 「……おい」 「あれ、けいだ。夢かな」 「ねぼけんな」  世那が目をこすって、少し驚いてから、やさしく笑いかけてきた。こういうところに調子が狂うのだ。 「ここ、けいの場所だった?」 「……べつにそういうわけじゃねぇけど」 「もしかしてごはん食べてた?」 「……」 「そっか」  世那が体を起こしてぐっとのびをする。そして、機嫌が良さそうに俺を見上げたら、 「俺もう行くね。昼も会えてうれしい」  とか言ってきた。俺は少しも嬉しくない。けれど、こいつは機嫌が良い方が似合っていると思う。さきほどみたいな、ああいうくだらない話は、なんだか気に入らないな。 「……べつにいい」 「ん?」 「……いたいなら、いれば」 「え、いいの?」 「…………俺の場所じゃねぇし」  俺はそう言って、世那から少し離れて座って、サンドイッチの包みをしまった。 「ごはんは?」 「……もう食った」 「食べないの?それ」 「……」  世那がじりじりと近づいてきて、サンドイッチの包みを覗いてくる。やっぱり触れないくらいの距離感で。 「いらないなら、ちょうだい」 「……は?」 「このままだと食べ損ねちゃうんだよ」 「……」  どうせ食べないから捨てるだけ。別にいいかと思って、世那の手に包みを置く。ガサガサと食べかけのサンドイッチをとりだして、世那がかじったような音がした。 「おいし」  ぼそりと呟くから変だと思った。もっと美味しいものを食っているはずなのに、こんな庶民的なものが美味しいと思えるのだな。おめでたいやつ。 「これ、けいがつくったの?」 「……それ以外ねぇだろ」 「へぇ。うれしい」 「……」  こいつはいちいち調子が狂うような顔をする。視界の端にしあわせそうな奴がいるのは変な気分だ。わるくはないが。 「こんなにおいしいのに、本当に食べないの?」  世那が聞いてくる。もうめんどうだから答えない。世那がまたサンドイッチにかぶりつく。手料理を食わせるのは久しぶりのことだ。孤児院のやつら、ちゃんと食っているだろうか。    ちらりと視線を向けたら世那と目が合った。本当に美味しそうに食べるのだな。ただの野菜と肉をはさんだパンだというのに、とんでもなく美味しいものみたいに見えてくる。  それに、なんだか鼻のあたりがむずがゆい。  世那がひらめいたように、サンドイッチを向けてきた。 「食べる?なんて——」  よく分からないけど、俺は吸い込まれるように、世那の手からサンドイッチを食べていた。そうしないといけないみたいに。  そして何度かシャキシャキと噛み砕いて、「……うま」と呟いていた。まるで味が違う。  というか、味がする。  世那がおかしな顔をして止まっている。けれど俺はこの不思議な体験が気になって、たしかめたくてしかたがなかった。 「……おい」 「なに?」  ようやく動き出した世那はいつになく機嫌がよくて気味が悪い。けれど、そんなことはどうだっていい。 「……もうひとくち」 「うん。はい、どうぞ」  今度はしっかり食べてみる。やっぱりちがう。よく分からないけど、こいつの手から食べると味がする。食事なんて味のない、ただの栄養摂取だったのに。 「おいしい?」 「うん。おいしい」 「そっか、そっか。ふふ」 「……なんだ気色悪ぃな」  結局、残したサンドイッチは俺が食べてしまったのに、世那はずっと機嫌がいい。そういえば人の前で食事をしたのはいつぶりだろう。  まだ時計塔の床に座ったままの世那を盗み見る。運命とかそんなものは知らないけれど、こいつは、他の人とは何かが違うのかもしれない。 ◇  川のほとり、木陰の椅子にいくつかの食べ物。変な串のついたやつとか、器に盛られたやつとか、ほとんど見たことがないものだった。 「どれ食べる?」  世那が聞いてくる。こいつはいつも聞いてくるな。 「……おまえの気に入ってるやつ」  そう答えたら、世那は尻尾が見えるんじゃないかというくらいうれしそうに、これもあれも好きだけど、と説明をはじめた。 「やっぱり芋焼きかな。ほくほくなんだよね」 「……」  やはり庶民派というかなんというか。いいところの子息みたいな話は嘘なんじゃないかと思う。 「じゃあそれ」  そう言ったら、世那は包装紙を取り除いて、口元にそっと運んできた。俺は、やっぱり吸い寄せられるみたいに頬張った。甘いような塩っぱいような芋が、くちのなかでほろほろと溶ける。 「……うま」  世那は「よかった」とうれしそうに言った。もうひとくち差し出されるまま食べて、たまに世那も食べて、あっというまに食事がおわる。  食事に味がある、というのは、ずっとまえに失って諦めたはずなのに。こいつといると、俺は普通の人間に戻ったみたいだ。

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