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ash 03. おとぎ話
本当は全て夢で、目が覚めたら、まだあの部屋にいるのではないかと、ふいに恐ろしくなる。
だから、一日の大半を眠っている世那のそばで過ごした。世那の部屋のとなりを自室として与えられていたけれど、その部屋にもどるのは食事のときくらい。
朝はいくらかマシだ。少しだけカーテンを開けたら眩しくて、世那の髪が透けるみたいに輝くのをながめる。ベッドサイドでそうしていたら、うとうとと微睡んでいて、朝食が運ばれる時間まで眠るのだ。
あたたかい眠りは怖くないのに、ひとりだけの暗い部屋のなか、沈むような眠りは苦しかった。もう戻ってこれないような気がして、そのときだけ、俺は世那のことを忘れている。
そんなときは世那の部屋に行って、またベッドサイドに腰をおろし、世那のふくらんでしぼむ呼吸に安心して、朝が来るのをまつ。
「慧くん。やっぱり起きていたのね」
そうしていると、たまに紗良がやってくる。
俺の部屋のとなりが紗良の部屋だから、俺が起きると分かるのだと思う。
紗良は窓を少しだけ開けて、ベッドサイドの椅子に腰をおろしたら、いくつか話をしてくれる。
「慧くん、運命の番って、どんなものか知ってる?」
あるとき、紗良はそう言った。
俺は頷く。もちろん聞いたことくらいはある。『運命の番』は、有名なおとぎ話だから。孤児院でもシスターから聞いたし、学校でも習った。
「作り話だって思う?」
それはそうだろうと思う。けれど、世那が言う「運命」を思い出して、頷くのをためらった。
おとぎ話で語られる『運命の番』は、人類ではじめて番となったGlassとVeilの話だ。まるで、ふたりでひとつのように互いを補い合う、世界で一人だけの相手。みんなはそれを素敵だと言っていた。
「実はね、いままでも数組、見つかっているのよ」
ひみつだけどね、と付け足して紗良が言う。
「医師のあいだでは、やっぱり気になる話題でね。こっそり研究もされているんだけど、わかったことはひとつだけ」
そう言って、紗良は内緒の話をするように身を屈めた。
「ピッタリな匂いのひとが、ひとりだけ、世界のどこかにいるっていうのは、本当のことなのよ」
そしていたずらっぽく笑ったら、世那の方を見た。その視線につられて、俺も静かに眠る世那を見る。
「……俺は、世那が運命だとしても、分からない」
きっと、このさき、一生。世那の匂いを知るときは訪れない。
あの夜、兄たちは俺の右腕を噛むことを望んで、そして傷つけあって血を流した。俺のせいでそうなるならと、自ら右腕を切り裂いたときに、俺は無価値になったのだ。
そんな俺を、Veilの俺ではなく俺として、世那は望んでくる。
「慧くんは、世那の匂いを知りたいと思う?」
紗良が聞いてくる。
おとぎ話では、運命の番に出会ったGlassは能力が強くなって、Veilは頑丈になるといっていた。
それに、匂いでお互いの感情が分かるとかいう、特別な力があった。
世那の感情を分かりたいか。そう考えて、少し笑う。
「……どっちでもいいな。あんまり変わんねぇかも」
世那は嬉しいとか楽しいとか、そういうことはなんでも伝えてくるし、たまに何を考えてるのか分からないけど、きっと聞いたらおしえてくれるのだと思う。
紗良が「そうね」と笑って、もういちど「そうよね」と言った。
「私の番は運命とかじゃないけど、あのひとのことなんてなんでも分かるし、これって運命よりも運命よね! って思うのよねえ」
紗良が楽しそうに言う。紗良は番のことが相当好きみたいで、番の話になるといきいきする。こうなるとずっと喋っているから、俺は相槌もしないで、ただ聞いている。
「あら。私ったら話しすぎちゃったわ。私はもう寝るわね。慧くん、すこしだけでも身体を休めなさいね」
そう念を押して、紗良は部屋に戻っていく。
俺はベッドサイドの床に座って、世那の顔の近くに頬をのせる。眠っている世那は陶器の置物みたいだ。
「……いつまで寝てんだよ」
世那は、俺と番になれなくても、俺を運命だと言うのだろうか。きっと言うだろうな。
本当に匂いで感情が分かるのならば、いまのこの気持ちは知られたくないかもしれない。
やっぱりもうすこし寝てろ。そう思いながら、俺はゆったりと眠った。
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