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glass 01. おそろいの影

 俺は宙に投げ出された体をそのままに、昨夜のことをぼんやりと考えていた。やがて背中は地面に打ち付けられたけれど、そのまま無骨な天井をながめる。 「おーい! 世那ー! 生きてるかー!」  俺をのぞきこむのは、カラットで理久さんの相棒をしている二条院家の海景(みかげ)さん。俺がGlassの力を上手く使えるようにと指導をしてくれているのだが、俺は投げられてばかりだ。   「悩みごとかー? おにいさんに言ってみなー」  海景さんは人懐っこい笑顔をむけてくる。海景さんはいつも笑顔だ。俺を投げるときも笑顔。  海景さんはヤンチャな感じの人でとっても自由な人。どこをとっても理久さんとは正反対だ。学園の卒業生らしいのだが、理久さんが言うには、海景さんは当時からこんな感じだったらしい。  俺は起き上がって鍛錬の続きをお願いする。しかし海景さんは、 「まぁまぁ、休憩しようよ」  と言ってあぐらをかいた。さきほど休憩したばかりだと思いながら、俺は腰をおろす。 「それで、悩みごとは運命くんのこと?」  海景さんはすごく楽しそうに聞いてくる。海景さんは良くも悪くも人間のことが好きだと、理久さんが言っていた。 「なやみってほどじゃ、ないです」 「へえ?」  悩みというより、むしろうれしくて、それはもう、ものすごくうれしい。けれど、怖くなったのだ。 「海景さんは、傷つけたくないひととか、いますか」 「んー? 傷つけたくないひとかー」  海景さんはそう言って、ふいに切なく笑ったような気がしたけれど、すぐにいつもの楽し気な表情にもどった。 「大切にしたいひとって意味なら、まあ、いるよ」 「へぇ。知りませんでした」 「まあね、ひみつにしてるから」  海景さんがいたずらっぽく笑う。この人は煙みたいにつかめない、どこか謎めいた人だけど、理久さんがすごく信用していることだけは知っている。  楽観的な人に見えるけれど、抱えているものもあるのかと思いながら、秘密なら聞き流しておく。 「……俺は、傷つけたくなくて、触れないようにしてきたんです。いまも、そうです」 「うんうん」 「でも最近、なんか、すごく、近くて」 「ほぉほぉ」 「…………こまる」  俺が言ったら、海景さんは楽しそうに笑った。そして「かわいいねえ」と言いながら俺の頭をボサボサにする。海景さんにとっては笑いごとかもしれないけれど、俺にとってはそんなことない。 「なに? もしかしてキスでもされた?」 「……」  俺が沈黙したら海景さんはもっと楽しそうに笑った。こんなに楽しめるなんてすごいなと思うほどだった。 「なにをそんな怖がってんのさ」  海景さんがふいに言う。 「……それは、怖いですよ」  けいの感情は分かっても、心の傷は見えなくて、だから恐れてしまう。 「でも、彼は世那に触れてくれたんでしょう?」  海景さんが言う。 「それならもっと、自分を信じてあげなくちゃねぇ」 「自分を、ですか」 「そうそう。でも世那には、すこしむずかしいかな」  海景さんが気遣うように言った。自分を信じるということは、本当に難しい。  俺は、俺の制御できないものが、俺のなかにあることを知っている。それが人を傷つけることも。 「世那はまだ、自分のことが怖いんだねえ」  海景さんが、今度は優しく頭に手をのせた。  怒りという感情が大嫌いになったこと。Glassの力が恐ろしいものと知って、蓋をしたのだ。  本当は怒りたくも悲しみたくもない。けれどけいに出会ってから、何度も蓋が外れてしまう。怒ってしまう。悲しんでしまう。  俺は、それが恐ろしい。 「でもわかるなあ。おれも怖いものってずっと怖い」 「え? 海景さんにも怖いものってあるんですか?」 「あるよあるよ。たっくさんある」  海景さんはケラケラと笑ったあとに、またどこか切ない顔をした。 「大切にしたいひとってやつ、あれがいちばん怖いね」  海景さんはそう言って、おれたち似てるかもなと笑った。つかみどころがなくて、けれど強かな海景さんの、はじめて知るところだった。  しかし少し疑問に思う。 「海景さんって、番いないですよね」 「あー」  海景さんは珍しく困ったように言い淀んだあと、「まあこれくらいなら言ってもいいかな」と呟いた。 「おれの大切なひと、Glassなんだよね」 「……え」  Glass同士で交際するひとのことは、すこしだけ聞いたことがある。けれどあまり良く思われていなくて、それは子孫が作れないからという、いかにも貴族らしい考え方。 「だから、おれもね、番になれないんだよ」  海景さんが悲しそうに言う。そして「あれ? 本当ににてるじゃん!」と言って、豪快に笑った。 「おれたちもね、いつ貴族連中にバレるかってハラハラドキドキだったわけ」  海景さんは、どこか懐かしむように言う。軽やかな言葉だけど、きっと辛いものだったのだと思う。海景さんの表情はすこしだけ苦しそうだった。 「でも、そういうのやめたんだよなあ。怖がる時間がもったいないねって」  いつまで、いっしょかわからないから。海景さんは小さな声で言った。  俺の家族はけいの味方だ。だから番になれなくても受け入れてくれると思う。けれど、海景さんはきっとそうじゃない。二条院家の人だし、いつかは番を見つけなくてはならないから。  いつかおわるかもしれなくて、きっとたくさん悩んできて、けれど「いつか」を恐れないように覚悟して、愛している。 「海景さん、かっこいいですね」 「ええ!? なになにー!」  こんなふうに生きている人もいる。きっとみんな怖いことはあって、それを抱えながら生きているのかもしれない。 「俺は、変わりたいです」  俺が呟いたら、海景さんが「その意気だ」と言ってくれた。  けいが俺に触れてくれるように、俺も変わっていきたい。そう思った。  気合いを入れ直して鍛錬をしていたら夕方になっていた。そのことに気がついたのは、「いつまでやってるんだ」とあきれた顔の理久さんがやってきたから。 「ついつい熱が入っちゃってー」  と言う海景さんに、理久さんは「帰るぞ」と言う。  頷いた海景さんと理久さんの視線が一瞬、ぬくもりのような熱をはらんで逸らされていく足元に、並んだ影が落ちていた。  

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