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pure 02. やさしいかくしごと

 俺はGlassの気配を消すことが苦手だ。なにかと人が寄ってきて匂いが混ざって酔う。優芽や兄たちのように気配が消せたら良いのだけど、どうにもうまくいかない。だからこういうときは、愛想笑いで乗り切る。   「……おい、こいつはあきらめろ」    混ざり合う匂いに好きな香りがやってきたと思ったら、けいは少し不機嫌で、けれど俺を庇うように背でかくしていた。 「けい……」  その背中が頼もしくて、嬉しくて、もうどうだってよくなってくる。  つい抱きしめたら、けいが「なんだよ」と言いながら頭を優しく撫でてくれた。  けいはちょっとだけ怒っているような匂いで、それが俺の周囲に向けられていることに、なんだか嬉しくなってしまう。   「ひとりだけって決めてるんだ。ごめんね」  俺がそう言ったら、何人かが頷いたり謝ったりしてくれる。それを見て、けいは安心したみたいだった。 「ふふ。けい、帰ろう」 「うん」  けいは俺の袖口をつかんで歩き出す。俺はそれをながめながら、また湧き上がるしあわせをそのままにした。 ◇  第一都市の病院にはGlassの病棟とVeilの病棟があって、院長は紗良にぃの番、(れい)さんだ。俺は、春休みに澪さんから病院に呼ばれ、それからもう何度も呼び出されている。 「世那くん。あの患者さん、記憶がもどってきたみたい」 「そうですか」  その理由は、朝宮(あき)が目を覚ましたからだ。  朝宮明は、朝宮透の弟であり、けいのもうひとりの兄。俺は、彼から朝宮透に関する情報を聞き出すようにと、父から言われた。こういうのが得意なのは優芽や夕にぃなのだが、父は「世那が聞いておいで」と言った。  けれど、朝宮明の記憶は混濁していた。とくに「弟」という言葉に、ひどく取り乱してしまうみたいだった。 「こんにちは、明さん」 「ああ。来てくれたんだね。三ツ木さん」  整然とした病室のかたすみで、明さんは体を起こして窓の外をながめていた。ここからの景色は森の緑と遠くの海、そして灰色の空が見えるだけだ。 「あのね、思い出したよ」  明さんは言う。俺はベッドサイドで、明さんの視線が窓から外されて、そして自らの手を見つめるのを見下ろした。 「取り返しのつかないことをした」  明さんは呟くように言って、その手を握りしめ、目に浮かべた涙をぬぐうこともしないで、 「取り返しのつかないことを、してしまった」  と、もういちど言った。    俺は息を整える。本当は知りたくない。けれど、俺は知らなくてはいけない。 「聞かせてください」  明さんが微かに頷く。そして語り出す。あの夜と、壊れてしまったものについて。  俺は病室をあとにして、息が苦しくなるのをどうにかおさえた。はやく帰りたかった。けいに会いたかった。 「世那、お疲れ様」  紗良にぃが俺の肩を優しく叩く。俺が何も言わないと、紗良にぃはそっと頭を抱き寄せてあやすみたいにした。 「……明さんも、朝宮透の実験台にされてた」  俺がそう言ったら、紗良にぃの腕にぐっと力が入る。痛い。首がしまりそうだ。紗良にぃの腕を叩いたら「あらごめんなさい」と言って離れていく。助かった。  朝宮透は、何処かで発情を促す薬を入手して、そして兄弟をつかって実験をしていた。それがなんの実験なのかは分からないけれど、薬の効果は日を増す事に強くなっていったらしい。  はじめは、けいが食事中に眠ってしまうことが増えて、だんだんけいの匂いが強くなったらしい。日毎に匂いは強くなって、けいは苦しむようになった。そして、それを朝宮透と明さんは「助けた」。 『こんなこと、してはいけないから、病院へ連れて行こうとしたんです。そうしたら兄さんは、』  朝宮透は、酷く失望したように、頷いて、その日の食事中、明さんは眠るように意識を失った。 『ようやく、気がついた時にはもう、』  次の日から、明さんは思考も理性も、日に日に奪われて、ただ飢えて求めた痛ましい記憶だけが残された。    いつ壊れるのかを試されているみたいだった。明さんは、そう言った。 「どこで、誰から、入手したのかしらね」  紗良にぃが苦い顔をする。  明さんもそれを探っていたけれど、とうとう突き止めることはできなかったらしい。けれど、朝宮透は飛行船に乗って、頻繁にどこかへ行っていたらしい。  自然に力が入っていた肩に、紗良にぃは手を置いた。 「父さんに、私から報告しておきましょうか?」  そう言ってくれるけれど、俺は首を横に振る。 「……自分で行くよ」 「大丈夫?」 「うん。大丈夫」  明さんは悪くない。被害者だ。けれど、けいの身体を弄んだ事実は消えなくて、だから俺が怒りや嫌悪を抱くのは当然だけど、しかしそれをぶつけてはいけない。 『三ツ木さん、弟は、けいは、……無事ですか』  明さんの記憶は、けいが自分のCoreを破壊した、あの夜が最後だった。かすかに震えながらそう聞かれて、あなたのせいで、など言えるはずもない。  元気に過ごしていることを伝えて、本当によかったと涙を流す、あのひとを責めることはできなかった。 「世那。慧くんに、このことは?」 「……伝えてないよ」 「父さんはなんて?」 「俺が決めろって」  紗良にぃは息をついて、父さんは何を考えているのかと、ひとしきり悪口を言った。そんな紗良にぃを見ていたら、いくらか気分も落ち着く。 「……伝えないつもりでいたんだ」  俺が言ったら、紗良にぃは静かに頷いてくれた。 「でも、分からなくなった」  明さんが、けいをどれほど思って、悔いているのかを知ってしまったから。再会なんてしなくていいし、謝罪など聞かなくてもいいけれど、せめて目を覚ましたことや、真実だけでも、伝えるべきなのかもしれない。  紗良にぃは「本当に、むずかしいわね」と呟いてから、うつむく俺の背を勢いよく叩いた。痛い。 「しっかりしなさい」  そして優しく言ったら、 「慧くんが過去と向きあうとき、支えるための手段がひとつ増えただけ。いまは、そう思っておきましょ」  と言って、紗良にぃは背中をとんとんとなでた。いつも、紗良にぃはこうやって励ましてくれる。  俺は頷いて、けいが知りたいと思ったときのために、そっと隠しておくことにした。  

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