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pure 08. もっとずっと
俺の母が死んだ六歳のとき、はじめて二人の兄がいることを知った。それまで俺と母は離れで暮らしていたから。
母が死んで、俺を迎えに来たのは明だった。
『けいくん。いっしょにいこっか』
そう言って、明は俺を母屋に連れて行ってくれた。父は俺を見ると顔をしかめるけれど、明の母は違った。俺を自分の子のように可愛がってくれた。けれど、明のことが誰よりも好きらしくて、兄さん——一番上の兄のことは、好きじゃないみたいだった。
兄さんは、名前で呼ばれるのを嫌った。
『慧。僕のことは兄さんと呼びなさい』
だから俺は兄さんと呼んだ。けれど明は『明でいいよ』と言った。
俺は明が好きだった。兄さんは遊んでくれないし機嫌の悪いときがあるから難しかった。でも優しいときもあって、だから兄さんのことも好きだった。
明は何かと俺を連れ回した。そして家に帰ったら、兄さんに話すのだ。おみやげも買って、俺の部屋に集まって、三人で夜が更けるまで。
いつも俺が最初に眠った。そうすると兄さんたちは部屋に戻るけれど、たまに兄さんたちも寝落ちていて、そんなときはうれしかった。
朝になると眠っているふたりにイタズラをして起こした。そうしていたら義母さんが起こしにくる。そして父以外のみんなで朝食を食べる。
それが、俺たちの日常だった。
◇
寂れて朽ちた教会に、ゆらりと兄さんは現れた。
「慧、君は本当に可哀想な子だね」
そう言って、俺の背後からそっと抱きしめてくる。
俺は天井を見上げていた。天井には、かすかに色彩が残っている。きっとここが墓地じゃなかったころ、この教会は美しかったのだろう。
「やっぱり慧には、僕しかいないんだよ」
兄さんの手が、俺の頭に触れて、頬を撫でていく。そして、そっと顎に手を添えて、瞳を合わせるように持ち上げたら、不機嫌そうに顔を歪めた。
「慧。なんで、そんな顔してるの」
そんな顔、というのがどんなものか、分からないけれど、俺はいま、兄さんのことが怖くなかった。
兄さんの視線や声に震える。それは変わらない。けれど、それはもう、記憶でしかない。
いま、俺が本当に恐ろしいのは、おまえじゃない。
「……俺、可哀想なんかじゃないよ」
「は?」
俺は、ずっと守られていた。
ここにきたばかりのころ、シスターは腕の傷を手当してくれた。ひどい傷だったから熱が下がらない日もあった。眠れない日もあった。そんなときは、薬が苦手な俺のために、薬草のお茶をいれてくれた。
不思議とよく眠れたけれど、また夜は来て、怖くて、けれどシスターは大丈夫だと言ってくれた。
もう安全だから、大丈夫だと。
けれど、ここを安全にしていたのは、シスターだった。
「可哀想なのは兄さんだよ」
「慧? 何を言っているの」
兄さんがVeilを拐って商売をしていること。そして、俺と引き換えに、彼らを解放すると言ったことを、俺は知った。シスターが教えてくれた。
兄さんが教皇と親しいことも、そのせいで歪んだものも、シスターは、本当は、全部止めようとしていたことも。
けれど、ここまで。
『けいくんをつかまえて、あの人に差し出して、そして皆の復讐を見守ること。それが、私の、最後の、役目でした』
シスターはそう言ってから、逃げなさい、と言った。
「もう兄さんなんて怖くない」
傷つけることでしか人を愛せない兄さんよりも、人を愛したことが傷になった、シスターたちのほうが、ずっと怖い。
まるで足場のない道を歩くみたいに心許ない、けれど求めてしまうものが、人を愛することなら、それは恐ろしい。
兄さんは、ふいに優しく微笑んで、
「やっぱり可哀想だね。また利用されているんだよ。僕が助けてあげるからね」
と、俺を抱きしめる。本当に哀れだ。
俺には兄さんを怖がる暇がない。もっと怖くて、けれど怖くなってもいいくらい、愛おしい人がいる。兄さんのそれよりも、ずっと綺麗であたたかい感情。
兄さんには、きっと一生、分からないのだろうな。
「利用されてる? ちげぇよ」
「慧?」
思わず笑みがこぼれた。あんなに怖かった兄さんが、ちっぽけに見える。
「利用されてやってんの」
兄さんが何かを言いかけて、そして、俺が両の手で握るものを見て顔色を変えた。
「ど、どうしてそんなもの——」
うろたえる兄さんを無視して、教皇が兄さんを利用して作り上げた、そしてシスターたちに遺した、まるで希望みたいに成れ果てたものの、ピンを抜く。
そして、俺から離れようとする兄さんの腕をつかんだら、その胸元に、むかしみたいにとびこんで、
「俺は、もう玩具じゃないよ」
と、笑ってみせた。兄さんは悔しそうに歪んだ表情を一瞬だけ緩ませたけれど、白い煙が全てを覆って、なにもかも、かすんでいく。
教会には光が降り注いでいた。褪せた壁画に、目をつむり互いの腕を絡めて、幸せそうに微笑む二人がいる。
世那に、会いたくなった。
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