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clear 01. 腹が立つ

 夏服に袖を通す。肘上で袖がおわってしまうから、腕の内側のただれた皮膚が目立った。かさかさと乾いた古傷をかくすため、薄手のカーディガンを羽織る。  カバンを手に部屋を出たら、扉の前におとねがいた。なにもしないでぼけっとしている。 「……なにしてんの?」 「…………はっ!? けいくん! おはよう!」 「……おはよ」  おとねがぼんやりとしているのは今朝だけじゃない。  俺が第一都市の病院から戻ってきたとき、もうすでにおとねはこうだった。ふらりとどこかを見つめたり、心ここに在らずといった様子だ。 「大丈夫か?」 「……だ、だいじょうぶ!」  おとねが無理に笑う。おとねは弱っているところを見せてこないから心配だった。 「無理するなよ」  俺がそう言ったら、おとねはぎゅっと目をつむってから「うん!」と言った。どういう感情なんだ。 「けい、おはよ」  そして様子がおかしいのはもうひとり。  世那に会うのはひさしぶりだ。何日ぶりだろう。俺が「おはよ」と返したら、じっと見つめて、   「じゃあ、またね」  と言って、すぐに離れていく。まるで出会ったころみたいな、出会ったころよりも少し遠い、変な距離。 「……なんなんだよ」  意味がわからなくてイライラする。全然触れてこないし近くに来てくれないし離れていくし、腹が立つ。 「音音ちゃん、慧くん、おはよ〜」  そして変わらないのがひとり。優芽が来ると安心する。おとねが少し元気になるから。 「優芽先輩、おはようございます!」 「寝癖ついてるよ〜」 「え、ど、どこですか!」  おとねは寝癖なんてついていないけど、優芽はおとねの髪をなおしている。優芽は勘のいいやつだから、おとねをなぐさめているのかもしれない。 「慧くん、世那なんだけどさ」 「……」  つい顔が強ばってしまうから逸らして「なんだよ」と言う。優芽はなぜか笑ってから、 「慧くんのこと、大好きだから安心してね」  とか言ってきた。そんなこと言われなくても、 「……わかってる」  わかっているけれど、腹が立つのだ。    俺は三年生になった。世那は四年生だ。四年生になると、将来のために各々必要な勉強をするから、Glassはとくに、第一都市へ行ってしまうことが多い。  世那もそのひとりで、第一都市の薬を作る研究所に行っているらしい。それはいい。やりたいことをやったらいいけれど、会える頻度は減ってしまったし、それなのにあいつは、ああ、イライラしてきた。  どうしてこんなに腹が立つのか分からなくて、余計に腹が立つ。 ◇  フィルストーン学園には学園祭がある。第一都市の貴族を招待する年に一度の祭りらしいのだが、この二年間は中止になっていた。今年は二年ぶりの開催ということで、かなり張り切っているらしい。 「けいくん! これ着ようよ!」 「……やだ」 「じゃあこっち!」 「やだよ」  学園祭の出し物が「動物喫茶」に決まってから、おとねはすっかり調子が戻った。おとねの右手にはネコ、左手にはトラの衣装だ。耳を頭につける感じの恥ずかしいやつ。なぜかクラスメイトが俺をみて手を合わせている。  俺はため息をついて、しかたなく衣装のひとつを拾い上げた。 「これならいいけど」 「ほんと! やったあ! うれし……」  俺が両手で抱えたクマの被り物を見て、おとねはぴたりと止まった。 「……ちがう、ちがうんだよ、けいくん……」  何が違うのか分からないけど、もうクマの着ぐるみは俺のものだ。得意気に笑ってみせたらおとねは悔しがっていた。  学園祭の準備は面倒だった。放課後まで残って色々作ったりする。俺は飾りを作る係になったから巨大な葉を作ったりしていた。どこに飾るのか分からないけど。   「ねえ、慧くん」  ペタペタ色を塗っていたら、話したことがないクラスメイトが声をかけてきた。名前が分からなくて返事をしなかったら「アサミだよ」と教えてくれた。赤茶色の髪がくるくるとしてる奴だ。 「世那先輩と別れたってほんと?」 「…………はあ?」  アサミは小声で聞いてきたけど、思わず大きな声が出た。なにいってるんだこいつ。 「あ、やっぱりウワサだよねえ。ぼくは信じてなかったよ」  アサミは大丈夫と言って親指を立ててくる。なんだこいつ。アサミはよく喋る奴で聞いてもいないのにペラペラ自分のことを話してきた。ほとんど聞き流して無心に巨大な葉の緑色を塗る。 「世那先輩ってすごいよねえ。あ、ぼくの番も四年生なんだけどね——」 「番……」  俺はつい手を止めた。アサミが喋るのをやめて、じっと俺を見て「あれ?」と言った。 「もしかして、まだ番じゃない?」  そして声を潜めて聞いてきた。余計なお世話だ。と思うけれど、番とはそんなにいいものなのだろうか。  番になったら、なにか変わるのだろうか。 「……おい、アサミ」 「なになに?」 「…………番って、どんなかんじ」 「ええ?」  アサミがうーんと言いながら、なぜかクッキーの袋を開けてぼりぼりと食べだした。こいつ全然作業しないな。俺は巨大な葉と向き合いながら、アサミが答えるのをまつ。 「そうだなあ。安心するっていうか、ずっといっしょにいるかんじ? すごくほっとするし、それから——」  アサミはそこまで言って、またこそこそと耳に口を寄せてきた。 「ヒートのとき、すっごくドキドキする」 「……」  顔を赤くしてそんなことを言ってくる。ついため息が漏れてしまう。アサミが「あれ興味ない?」とか言って、またクッキーをぼりぼり食べた。  ドキドキとは緊張するということだよな。 「……それならいつもと変わんねぇじゃん」  あきれて言ったら、アサミは「ヒュー」と口を鳴らした。なんだこいつ。  けれど、ずっといっしょにいるかんじ、というのは、いいな。うらやましい。  そんなことを考えていたら葉を塗る手が止まっていた。なんだかまたイライラしてくる。  俺が雑に色を塗っていたら、アサミが「クッキーたべる?」と聞いてきた。それを無視して、また巨大な葉に色を塗りたくる。    

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