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clear 03. ふわり

 どうやら、俺と世那が別れたという噂は真実味を帯びて広まっているらしい。そして四年生は今年が最後の学園祭。ふざけた話だけど、世那の番候補と俺の番候補に名乗りをあげるべく、こっそりとこちらをうかがう人達がいるらしい。  という情報をアサミが持ってきた。 「……ばかばかしい」  俺はクマの被り物をすっぽりと被った。クマの顔は愉快な笑顔で全身がぼてってとした着ぐるみだ。これならきっと、そのふざけたやつらに見つかる心配はない。あいつは分からないけど。  着ぐるみに身を包んだ俺を見て、おとねとツキは笑いを堪えていてアサミは笑い転げていた。ちなみにおとねは鳥の衣装、ツキはリスの衣装で、アサミはトラを着ていた。もちろん頭に耳が生えているやつだ。おとねは背中に翼が生えている。  学園祭の準備期間中、俺はほとんど世那と会話をしなかった。そもそも世那が第二都市に全然来ないし、帰ってきたとしても、俺は寮に逃げたりしていた。  世那はいつも人に囲まれていて、それを見るとなんだか腹が立って、胸の辺りがモヤモヤした。だからもう見たくなかった。けれど世那から逃げるたびに、寂しくなった。    学園祭がはじまったらにぎやかになった。俺は「動物喫茶」の看板を手に、玄関ホールの片隅で立っているだけの仕事をしていた。ものすごく退屈だ。  しかし、クマがいると言われることはあっても、いつものような視線を浴びることはなくて快適だった。    そんなのんびりとした空間で、ふいに悲鳴のような歓声があがった。 (なにやってんだあいつ)  小綺麗な服装に身を包んだ世那は、なんだかきょろきょろと落ち着きがなくて、来客や生徒をたくさん引き連れていた。どこにいても目立つ奴。  世那は「やっとみつけた」と言って、まっすぐ俺のところに来た。その嬉しそうな顔に腹が立つ。けれど、どこかにホッとしている俺がいて、自分の感情がどこにあるのか分からなかった。    世那を追いかけているひとりが、世那の腕をつかんだ。世那の同級生だろうか。馴れ馴れしく、世那がクマに話しかけてると言って笑う。世那は少し眉を寄せてから、また嘘っぽい笑顔を浮かべて、やんわりと振りほどいた。  しかし世那が立ち止まったら人が群がった。自業自得。こんな人の多い玄関ホールに来たのが悪い。    けれど気に入らないな。作った笑顔も居心地が悪そうなのも、俺を見つけてくるのも、全部気に入らない。  俺は、看板をそっと壁に立てかけたら、人混みを掻き分けた。クマの着ぐるみが分厚いおかげで、簡単に人混みを通れる。  人集りの中心。どこか驚いたような顔をして、世那は「けい」とつぶやいた。    世那の手をつかんだら走った。この学園はやけに広いから階段をのぼって廊下を駆けたら追手なんてすぐに撒ける。  やがて人気のない廊下にたどりつく。空き教室の扉をガラリと開けて入って、世那をおしこむようにしたら、扉を閉めた。 「なんなのおまえ」  走っているあいだ、色々なことを思い出した。  俺をすきとか言う変な奴で、食事が美味しいことを教えてくれて、一緒に空から落ちて、いつも目を合わせてくる世那の、まっすぐな想いが、もうどこかに消えてしまったとしたら。俺は心がざわついて、腹が立って、悲しかった。 「俺のことすきなんじゃないの」  世那が俺の名前を呼んでいる気がする。けれど、ごちゃごちゃした感情があふれてきて、どうにもできない。 「おまえが、なに考えてんのか、わかんない」  心臓のあたりが握りつぶされたみたいで頭のうしろがぎゅっとしていて、考えたくないことばかり、言いたくないことばかりが飛び出してくる。 「俺だけじゃ、ないのかよ」  もし、世那に大切な人が、番ができたら、俺じゃなかったら、それはいやだ、すごく苦しい。 「……世那の番になりたい」  そんな言葉がこぼれた。しんと静まったらすぐに視界が開けて、クマの被り物を持った世那の、変な顔と目が合った。  世那がそっと頬に触れてくる。 「けい、泣いてるの?」 「…………泣いてねぇよ」  そう言いながら鼻をすする。勝手に涙がこぼれてきて鬱陶しい。腹の立つ感情が、涙になって頬を濡らして、世那はそれをぬぐった。 「けい、ごめんね」  世那は眉間をくしゃくしゃにした変な顔でそう言って、俺のまぶたにやさしく口付けをした。 「すきなんだ。でも、だから、」  そして躊躇うように言って、そっと離れるから、俺は無意識に世那の腕をつかんだ。けれど着ぐるみの手では上手くつかめなくて落ちていく。それを、世那が包むように受け止めて、俺の右腕の内側に、唇を寄せた。 「……めちゃくちゃにしたい、って、思っちゃうんだ」  着ぐるみごしに触れたというのに、なんだかじんわりとした。世那の悩ましげに伏せられた瞳が、ゆっくりと俺を見つめるから、顔が熱くなる。 「…………なんだそれ」 「でも、けいを傷つけてしまった。ごめんね」 「……それは、ていうか、」  なんかもうどうでもよくなってくる。つまり世那は、また触れたら傷つけるとか思って離れた、ということだろう。なんだかあきれてくる。 「……すればいいじゃん、めちゃくちゃに」  俺がそう言ったら、世那はなぜか顔を手で覆って深く息を吐いた。あきれているのは俺だというのに、世那のほうがやれやれといった様子だ。腹立つな。 「けい、あのね。たぶん、けいの思っているような意味ではなくて」  世那が膝をついて言い聞かせるように言ってくる。まるでシスターに諭されているときみたいだ。  それに、なんだか変な感じがする。  鼻のあたりがくすぐったい。    世那がなにやら言っているけれど、あまり頭に入ってこなくて、なんだかふわりとした。びりびりとするような、けれどもうすこし近づきたくなるような、なにかが、俺の鼻から頭の方に抜けていく。  それは、小さい頃に嗅いだ、花の香りに似ていた。  もっと知りたくて、世那の首筋に鼻を寄せた。世那が驚いていたけど無視する。そっと吸い込んだら、喉の方まで染み込むように香った。けれどすぐに消えてしまうからまた吸い込む。すると先程とは少し違う香りがした。  香りというよりも、なぜだか伝わってくる、これは世那の感情。  驚き、焦り、でも、それよりもずっと大きな感情がある。  それは甘い香り。綿のようなものに包まれてとめどなく溢れていて、ふよふよとながれて、俺に当たってはじけている。 「…………おまえ、おれのことすきすぎだろ」 「え? だからずっとそう言っ……、え、もしかして」  なんだか恥ずかしいというか堪らなくなって、世那から離れた。けれど今度は世那が近づいてきた。 「……おい、離れろ」 「えぇ、いやだよ」  気がついたら壁と世那に挟まれた。すぐそこに世那の顔があって香りが強くなる。  世那の香りは、よく分からないけど、ずっとここにいたくなる香りだった。 「俺の匂い、わかるの?」 「……わかる」 「ほんとうに?」 「うん」 「…………そっか」  世那の香りと表情が喜びに染まった。やっぱり恥ずかしくなって目を逸らしたけれど、世那がそっと目を合わせてきた。  すると世那の香りは、ずっと甘くなった。 「……おい、ひっこめろ」 「え? なにを?」 「匂い」 「ふふ。むりだよ」    世那がやさしく唇を重ねてきた。甘い匂いがまた弾ける。俺の上唇を世那は食んで、わずかな隙間から、世那の香りが入ってきた。  ゆったりと舌先が触れる。その感触を確かめるように舌は絡み合って、身体がふわりとした。たまに離れては繋がって呼吸が乱れていく。  息が苦しいけれど気持ちがよくて力が抜けて壁にもたれていく俺を、世那は抱きしめるみたいにした。 「めちゃくちゃって、こういうことだよ」  世那が耳元で言う。俺はふわふわとした頭と世那の香りに酔いそうで、ちょっと勘弁してほしいと思った。  

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