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veil 05. 想う
第四都市——地上に降り立つのは、もう何度目のことだろう。
開発者の名をとって「アザリア」と名付けられた薬は、病に臥せるVeilのために作られた、睡眠薬だったらしい。
患者の意識を混濁させるだけのものは、多量に摂取すると性的な興奮を促すものになる。それを発見したのはGlassだった。
「アザリアさん、こんにちは」
しゃらりと鎖を引きずる音がする。鉄格子の向こう側、ゆったりとこちらにやってきた初老の女性は、その姿に不釣り合いなほど穏やかな笑みをたたえていた。
「あら、あまり元気がないみたいね」
アザリアが鉄格子越しに俺をのぞきこんで、
「ちゃんとやすめているのかしら」
と言ってきた。俺はアザリアを無視して、聴取に応じるようにと伝える。
「どんな情報もお渡しいたしますよ。けれど、貴方がたのやろうとしていること、それはね、私たちを殺すようなものだわ」
アザリアは、似つかわしくない強い言葉をつかって、けれど優しく微笑んだ。Glassが、Glassのために最善な策を講じていることは知っている。それが問題だということも。
「アザリアさん。第一都市にはVeilの病院があります」
「あら、そうなの」
「そこにはVeilの医者がいて、第三都市のVeilを案じています」
「……」
「そして、俺は薬学の研究をしています。研究員は皆、Veilの病を治す薬を作っています」
アザリアの表情に、一瞬だけ真剣なものが混ざって、諦めたように揺らいだ。
「それで、お医者様とお薬を寄越してくださるの?」
「はい」
「うそはおやめなさい。三家の方々が許しても、貴族の皆様は許さないでしょう」
アザリアの優しくも厳しい声色に気圧される。しかし、俺は一刻も早く、情報を得なければならない。そしてこの機会に縋るしかないのだ。
「先日の会議で、過半数の同意を得ました」
「あらまあ」
一枚の紙を鉄格子の隙間に差し込む。医者や薬を送るには第三都市の治安維持が必要になること、そのために整えられるものが、この紙には記されている。
アザリアはじっくりと目を通して、口元を抑えて控えめに笑ったら「いいでしょう」と言った。
「ここまでしていただけるのなら、私も腹を括らなければなりませんね」
そう言って、穏やかに、諦めたように微笑んだ。
◇
その日、岬から見渡せる空には薄い雲がかかっていた。そのすきまから飛行船はやってきて、ふわりと着陸したのを、見た。
第一都市からGlassがやってくる。
その通達があったのは数日前で、こんな通達は前代未聞のことだった。そこに記された文言を見て、メイルが「しかたないかぁ」と笑う。しかし、おとねは目に涙をためていた。
「薬草、燃やされちゃうんですか、ぜんぶ……?」
おとねは薬草を育てはじめたところ。悲しむのも無理はない。けれどメイルは「まあ、しかたない」と何度も繰り返していた。
岬の集会を終えて、教皇とヨルは空港に行った。俺たちは、街を見回って、外に出ている人がいないか確認した。無事に薬草が焼かれるまで、俺たちは外出禁止だ。
「けいー!」
「……なにやってんの」
外出禁止だと言っているのに、幸が飛び出してきた。ここは街のはずれ、貴族宿舎からはだいぶ遠い。
「見に行こうぜ!」
「帰れ」
こいつはいつだってこう。好奇心旺盛、怖いもの知らず。諦めが悪い。聞き分けがない。いまも「みにいこうぜー!」と体当たりしてくる。
「ちょっとだけ! いっしゅん!」
「……はあ。遠くから少しな」
「よっしゃー!」
幸が意気揚々と俺の手を引く。こいつは変な奴なのだ。無鉄砲で無邪気な子どもかと思ったら、ふいに大人びたりする。
「あぁ、やっぱり」
いまも、どこかを見つめて呟いて、にっと見上げてきた。「なんだよ」と聞いても答えない。本当に変な奴だ。
「シスターの畑いこうぜー」
そう言って砂利道を走っていく。おとねも誘ってやれば良かった、と思って、シスターの薬草畑が燃えるところなど見たくないか、と思い直す。
「幸。あんまり近づくなよ」
「わかってるー!」
ここは、第三都市で最も広大な薬草畑だ。畑をぐるりと囲む柵が見える牧場の入口で、幸は止まった。
なつかしい。あの畑のほとんどは、ギザギザした、いつか本の挿絵で見た、あの薬草だ。
薬草の名前はなんと言っただろうか。記憶を探る、付箋の貼られたページと、大きな手と、ぬくもり。
はっとした。煙だ。
「もえてる」
幸がぽつりとつぶやいた。
俺は、くもりの空に溶ける煙を、ただながめていた。
◇
薬学研究所がその役目に選ばれたのは、ひとえに余計なことをしないためだ。うっかり第三都市を焼け野原にするようなことがないように、薬草だけを、しっかりと燃やすため、俺たちが選ばれた。
というのが建前。これは俺の我儘だ。
第三都市は不思議なところだった。人の気配はするのに、なにか、肝心なものがなかった。
「匂いがしないね」
千璃さんが呟く。そうだ。Veilの匂いが、まったくしない。これは異様な光景だった。どこにいてもVeilの匂いというものは存在していたから。
だから、彼がどこにいるのか、分からない。
ぞわりと肌が粟立つ。
もうどこにもいなくて、どこにもいないことにさえ、俺は気がつけないのかもしれない、そんなことを思った。
アザリアの薬草畑に、火が放たれた。
それはなつかしい、俺の腕のなかで一緒に見た、あの葉が燃える姿だった。縮んで黒くなって、ばらばらと落ちていく。くすぶって、やがて焼けた大地の匂いがして、鼻先がふわりとした。
愛おしい、彼の匂いだ。気がつかなかった。彼はすぐそこにいた。清廉な黒衣に身を包んだ彼の、空を見上げる横顔を、俺は見つめた。
きっと、俺の匂いは届いていない。
煙が目にしみた。もうこちらをみない、美しい彼の横顔に、俺は背を向けた。
◇
粉々に砕かれるような悲しみだ。
その感情は俺のものではなくて、けれど俺の感情のようで、知らない涙が伝った。
煙にかすんだ背中は、もうすぐ見えなくなる。
俺は、そのとき、なにもかもを忘れて追いかけた。
そんな感情を抱かないでほしい。
ふりむいた、世那は、苦しんでいた。いやだった。
世那を想うことから俺は逃げて、けれどそれは繰り返したくなくて、そばにいてはいけないと、思ったから。
けれど、世那は苦しんでいる。
困ったような、悲しいような、変な顔をした世那と目が合う。そして、なにかを無理に飲み込んだように、くしゃりと笑った。
「けい」
そう、世那は俺の名前を大切そうに呼んだ。世那はいつもみたいに膝をついて、俺の頬をやさしく包んで、目尻に涙を溜めた、みたことのない顔をした。
「もうなにも、誰も、けいを責めていないよ。でも、俺といることが、自分を責める、きっかけになるのなら」
それなら。世那の、そっと吸った息が震えた。
「そばにいられなくても、いい」
うそだ、と、すぐにわかった。
けれど、触れただけの唇が言葉を消した。
「さよなら」と、告げられたような気がした。
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