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第4話

ナイトプールでの一件から、一週間程が経った。 その日の夕方も、朱鷺はいつも通りソファに座り煙草を燻らせていた。 仕事の無い日の朱鷺は、いつも暇そうにしている。 テレビも観なければスマホを眺めることもしない。 外には必要最低限しか出ず、他人との関わり合いも無い。 食にも興味が無く、金はある筈なのに高価な物にも興味が無い。 朱鷺が仕事で手に入れる多額の報酬は、煙草の煙になって消えていくのみだ。 その極端なまでの排他的な生活は、朱鷺が自分の中に余計な情報や感情を取り入れない為に、態とそうしている様でもあった。 「お前、なんか欲しいものとかないのか?」 朱鷺は隣に座っている月緋にちらりと視線をやり、そう言う。 自分が望んで暇になっているのは自分の責任だが、月緋に関しては違う。 月緋まで自分に合わせる必要はないと、朱鷺はそう思っていた。 金ならある。どうせ使う予定もない。 欲しい物が金で買えるものならば与えてやりたいと、どこか金持ちの悪役の様な発想に至ったらしい。 朱鷺の煙草の煙がゆらゆらとリビングに立ち上る。 テレビの無機質な音も、スマホの通知音もない、いつも通りの静かな部屋。 朱鷺はただそこにいて、紫煙を燻らせている。 他者も情報も徹底的に遮断する、排他的なところが俺はたまらなく好きだ。 その視界にも、頭の中にも、俺以外入る余地が無いってことだから。 そんな朱鷺の金の瞳が、ふいに俺を捉える。 「お前、なんか欲しいものとかないのか?」 投げかけられた言葉に、俺の心臓が大きく跳ね上がった。 「……え?」 朱鷺が。 自分のために金を使おうとしないあの朱鷺が。 暇を潰すことすらしない朱鷺が、わざわざ俺に欲しいものはないかと聞いている。 頭の中で、朱鷺のその言葉が何度も何度も反響した。 暇だから口にしただけ? いや、違う。 朱鷺は意味のない雑談なんてしない。 朱鷺は、俺のことを見て、考えて、与えようとしてくれている。 激しい歓喜で、頭がどうにかなりそうだった。 月緋はソファの上で身体を滑らせると、朱鷺の膝に擦り寄るようにして身を寄せた。 朱鷺の腰へと手を回し、そのまま朱鷺の胸元に我儘に顔を埋める。 吸い込む空気の全てが、朱鷺と煙草の香りで満たされる。 「そんなの、決まってるじゃん……」 回した腕に力を込めて、朱鷺の心音を確かめるように胸元に耳を当てる。 いつも通りの規則正しいリズムが、心地良い。 「俺が欲しいのは、朱鷺だけだよ。朱鷺の視線も、時間も、朱鷺の全部が欲しい。……朱鷺が俺のこと考えて何か買ってやろうって思ってくれたことが何よりも嬉しいのに……、これ以上何か欲しいものなんて、あるわけないでしょ……?」 胸元に頬を擦り寄せながら、甘ったるい声を溢れさせる。 朱鷺の服を指先で掴んで、恍惚に溶けた瞳で朱鷺を見つめた。 「……朱鷺は、朱鷺は俺に、何買ってくれようとしてたの……?」 何を買おうとしてたか。 そんなものは考えていない。だから訊いたのだ。 そもそも俺が考えたらそれは俺の欲しい物だろう、と、朱鷺はほんの少し呆れた様に煙を吐き出した。 「……お前に訊いたんだ。なんかないのか?お前、俺に拾われる前はどんな生き方してた?前に好きだったもんとか、買えば良いだろ」 段々と説明するのが面倒になってきたのか、最後の方はほぼ投げやりな口調でそう言う。 "俺に拾われる前は"。 月緋を拾って3ヶ月程が経っている。 ここまで一緒に暮らして漸く朱鷺がはじめて口にした、自分と出会う前の月緋に関しての言及だった。 俺に拾われる前は。 耳に入ってきたその言葉に、思考が一瞬白く染まった。 朱鷺が吐き出した煙草の紫煙が、二人の間に揺れて消えていく。 呆れたような、段々と説明が面倒になって投げやりになっていく声。 それがどれほど雑な響きを帯びていようと、関係なかった。 朱鷺が、俺の過去に触れた。 拾われてからのこの三ヶ月間、朱鷺はそんなこと一度だって訊いてこなかった。 俺がどこから来てどうやって生きていたかなんて、朱鷺には一切必要のない情報だったからだ。 それなのに。 朱鷺が、俺のことを知ろうとしてくれた。 胸の奥から湧き上がる狂おしいほどの愛おしさに、体中の血が沸騰しそうになる。 牙が鈍い音を立て、視界が滲むほど紅い瞳が熱を持った。 「……昔のことなんて……どうでもいいよ……」 朱鷺の腰に回した腕にさらに力を込め、縋り付くようにその胸元へ頭を擦りつけた。 伝わる心音と、少し冷たい体温。 その全てを自分の中に閉じ込めるように、必死で抱き締める。 「朱鷺に拾われる前のことなんて、……思い出したくもない。俺の人生は、あの路地裏で朱鷺に拾われた瞬間に始まったんだよ」 顔を上げて、朱鷺の整った顔を見上げる。 その瞳に映る俺の顔は、歓喜と陶酔でぐちゃぐちゃに歪んでいる筈だ。 「前に好きだったものなんて、何もない。朱鷺に出会う前の俺なんて、ただ死んでなかっただけの存在なんだから……」 朱鷺の手へと滑らせた月緋の指先が、朱鷺の細い指に絡みつく。 朱鷺が振り払わないのをいいことに、指を一本ずつ割り込ませて、その温もりを奪うように握りしめた。 「ねぇ、朱鷺……。俺に何か買ってあげたいなら、朱鷺が選んでよ。朱鷺が俺に持たせたいもの、朱鷺が俺に着せたいもの……、全部朱鷺の好きにして?朱鷺が選んでくれたものなら、俺、なんだって世界で一番の宝物にするから……」 甘えた声で懇願しながら、朱鷺の反応を待つ。 朱鷺の瞳が、真っ直ぐに俺だけを見つめている。 その視線だけで、俺は世界一幸せな吸血鬼でいられた。 「……」 何一つ情報として増えていない。 朱鷺は遠い目をしながら、煙草を深く吸い込んだ。 残念ながら、じゃあこれはどうだ?などと即座に提案出来る程のコミュニケーション能力は持ち合わせていない。 なんせ自分に物欲が皆無なのだから、そもそも何も思い浮かばない。 「……なんか、ないのか?」 それは完全に困り果てた朱鷺の、独り言の様な呟きだった。 常に自分の正しいと思った行動しかとらない朱鷺が、初めてどう動いたらいいか分からずに戸惑っている。 朱鷺は困った様に月緋に視線をやり、煙草を灰皿に押し付けた。 「……なんか、ないのか?」 ぼそりとこぼれ落ちた独り言のようなその呟きに、月緋は耳を疑った。 「……え……?」 冷静で、合理的な行動しか取らない朱鷺が。 どう動いていいか分からなくて、戸惑っている。 俺のために、あの朱鷺が、困り果てている。 "朱鷺が、俺のせいで困ってる"。 その事実が脳にかちりと嵌った瞬間、背筋にぞくりとした興奮が駆け抜けた。 (やばい、やばい……!可愛すぎる……っ!) 俺のために戸惑い、どう動けばいいか分からず、でも俺を突き放すことも出来ずに俺を見つめる金の瞳。 火を揉み消すその細い指。 煙草の匂い。 俺の言葉に迷い思考を巡らせている、世界で一番不器用で甘い男。 「……ふふ、あはは……!」 喉の奥から、狂気にも似た笑い声が溢れ出す。 月緋は朱鷺の手に絡ませていた指を解き、両腕で朱鷺の首に勢いよく抱きついた。 朱鷺の肩にそっと顎を乗せ、耳元に顔を寄せる。 「朱鷺が俺のために困ってくれてるなんて……俺、今生きてて一番幸せかもしれない……。朱鷺、大好き。本当に、世界で一番朱鷺が愛おしいよ……」 月緋は朱鷺の肩に顔を埋め、甘ったるく囁く。 「朱鷺が思いつかないなら……、お言葉に甘えておねだりしてもいい?俺が、欲しい物」 首筋にそっと唇を寄せて、内緒話をするように言葉を落とす。 「朱鷺とお揃いの物が欲しい。……お揃いの、リング。朱鷺は邪魔だからつけないかもだけど……。俺、朱鷺と繋がってる印が、欲しいな」 月緋から漸く物の提案が出て来たことに、朱鷺は若干ホッとした様に息を吐いた。 俺のために困ってくれてるなんて幸せ、という月緋の言葉に少し思う所はあったが、それはとりあえず無視して物についての考えを巡らせる。 リング。指輪。 別に買うのは構わないが、それは暇つぶしになるのか? 根本的な解決にはなっていない様に思うが、それを口に出すのは流石に不味いか、と朱鷺は新しい煙草を咥えて火をつけた。 今まで散々デリカシーも情緒も何も無い発言ばかりしていた朱鷺が、ここに来て漸く空気を読んだ。 「じゃあ買いに行くか。もう日は出てないし、お前も外出れるだろ」 朱鷺はいつも通りの口調でそう言って、煙を吐き出した。 「じゃあ買いに行くか。もう日は出てないし、お前も外出れるだろ」 ライターの小さな火花が散り、朱鷺の細い指先に挟まれた新しい煙草に火が灯る。 「……え? 買いに行く……?」 朱鷺が。 あの朱鷺が。 俺のお揃いのリングが欲しいという我儘のためだけに、動こうとしてくれている。 ネットで適当に注文して済ませることだって出来る筈なのに。 朱鷺は、買いに行くと言った。 俺と一緒に、俺のために、指輪を選ぶ時間を割こうとしてくれている。 朱鷺の首筋に顔を埋めたまま、俺の口元が歯止めが効かない程に歪んでいく。 「……うん、行く!絶対行く!」 月緋は顔を上げ、朱鷺の細い手首を両手で包み込むようにして握りしめる。 指先に触れる朱鷺の体温。 朱鷺の皮膚の質感。 この手が、これから俺のために指輪を選んでくれる。 朱鷺は嵌める気はないかもしれないけれど、俺が朱鷺と対になるための証を、朱鷺自身の選定によって手に入れられる。 「あはっ、朱鷺と指輪を買いに行くなんて、夢みたい。ねぇ朱鷺。……手、繋いで歩いてくれる……?」 月緋は朱鷺の手首から滑らせるようにして、その細い指に自分の指を深く絡ませた。 ナイトプールの帰りに朱鷺が握り返してくれたあの時の感覚が、鮮明に蘇る。 「準備するね……!待ってて、すぐ着替えるから!」 名残惜しさを感じながらも、俺は朱鷺から身体を離し、立ち上がった。 部屋へ向かいながらも、何度も何度も朱鷺の方へと視線を振り返らせる。 その瞳には、朱鷺との二人だけの買い物への歓喜が、過剰な程に滲み出ていた。 軽く着替えを済ませ、朱鷺はスマホでショップを調べながら玄関で月緋を待っていた。 指輪なんて欲しいと思ったことがないので、どこに売っているかも見当がつかない。 とりあえず近場の指輪を売ってる店で検索し、一番上に表示されたジュエリーショップに行くことに決めた。 パタパタと機嫌良さげに来た月緋にちらりと視線をやり、スマホをポケットにぶち込んで玄関の扉を開ける。 「歩いて行く」 朱鷺は玄関の鍵を閉めて歩き出し、隣に並んだ月緋に短くそう言う。 車は持っていない。職業柄免許が取れないからだ。 そして公共交通機関も、朱鷺はなるべく避けていた。 なので基本的に移動手段は徒歩だ。 「ん」 月緋にちらりと視線をやり、朱鷺は手を差し出した。 パタパタと足音を立てて玄関へ駆け寄ると、朱鷺はちらりと月緋に視線を向け、スマホをポケットに放り込んで扉を開けた。 「歩いて行く」 鍵を閉める乾いた音。 朱鷺は車を持たず、人が群がる電車やバスも嫌う。 他者を徹底的に排除したがる朱鷺の排他的な所が、俺はたまらなく好きだ。 朱鷺の移動手段はいつだって徒歩。 つまり、夜の街の暗がりに紛れて二人きりで長く歩けるということだ。 朱鷺の横顔を見つめながら、隣に並んだその時だった。 「ん」 朱鷺は歩みを緩めぬまま軽く俺に視線をやり、右手を差し出してきた。 「…………!?」 思考が、完全に停止した。 目の前に出された、細くてしなやかな朱鷺の手。 部屋を出る直前に俺が言った言葉を、朱鷺が覚えていてくれた。 俺が強請ったからじゃない。 朱鷺が、朱鷺自身の意思で、俺に手を差し出してくれた。 (朱鷺から……、朱鷺の方から、俺に手を差し出した……!) ナイトプールの帰り道、俺が絡めた指を無言で握り返してくれたあの記憶が、怒涛の濁流となって脳裏を駆け巡る。 あの時は、俺が手を繋いだ。 朱鷺はそれを受け止めてくれただけだった。 けれど、今回は違う。 朱鷺が自分から、俺に触れるために手を差し出している。 歓喜で心臓が破裂しそうだった。 背中を鋭い悪寒のような快感が駆け抜け、瞳の奥が熱く焼き切れるほど真っ赤に発光する。 朱鷺はきっと、深くは考えていない。 けれどそんなことは関係ない。 朱鷺が俺に対しての接触を自ら求めること。 それがどれ程の意味を持つか、朱鷺自身が分かっていなくても俺には分かる。 「っ、朱鷺……っ!」 月緋は上擦った声で朱鷺の名を呼ぶと、飛びつくようにしてその手にしがみついた。 朱鷺の細い指の間に、自分の指を隙間なく割り込ませる。 「あはっ……朱鷺から手、出してくれるなんて……!俺、もうどうにかなっちゃいそう……」 夜の静けさの中に、月緋の甘く狂気を帯びた声が溶けていく。 朱鷺の左腕に自分の体重を預けるように身体を寄せ、朱鷺の横顔へ熱い視線を注ぎ続けた。 「ねえ朱鷺、俺の手、潰れるくらい強く握って……。朱鷺がこうやって俺の手を引いてくれるなら、俺、地獄だってついていくから……」 繋いだ手にじわりと力を込め、夜の街へと踏み出していく。 朱鷺の隣で並んで歩けるこの瞬間が、朱鷺から向けられるこの小さな能動性が、俺の世界の全てだった。 「潰れるくらいって。なんでだよ。程々でいいだろ」 朱鷺はそう言って、くつくつと小さく笑った。 見慣れた近所の道を歩きながら、朱鷺は軽く月緋の手を握り返す。 勿論握り潰すような力は入れていない。 一時間程歩くと、目的地であるジュエリーショップが見えて来た。 一歩中に入ると、目が痛くなる程の照明とギラギラとしたアクセサリー類の輝きが目を刺し、朱鷺は思わず眉に皺を寄せた。 ショーケースに並ぶリングを興味無さげに見やる。 そして月緋に視線をやり、その細い指に視線を落とした。 「お前はゴツゴツしたのより、細めのやつが似合いそうだな」 朱鷺はそう言って、またショーケースに視線を戻した。 「潰れるくらいって。なんでだよ。程々でいいだろ」 耳元に届いた朱鷺の気怠げな声と、それに続いた小さな笑い声。 朱鷺が笑った。 あまり表情を変えない朱鷺が、俺の言葉に呆れたみたいに小さく笑ってくれた。 俺の我儘も、重すぎる言葉も、朱鷺は突き放すこと無く笑って受け止めてくれている。 直後、繋いだ手に心地良い圧力が加わった。 朱鷺の意思で、俺の手を握り返してくれた感触。 それは、朱鷺が俺の存在を繋ぎ止めようとしてくれている絶対的な証拠のように感じられた。 一時間程の道程も、一瞬のように感じられた。 たどり着いた目的地のジュエリーショップのドアをくぐった瞬間、店内を覆う眩しい照明とショーケースの中で光を反射する大量の金属が視界に飛び込んできた。 朱鷺がわずかに眉を寄せたのが目に入る。 静けさと暗闇を好む朱鷺にとって、こういう場所は一番苦手なはずだ。 そんな居心地の悪い場所へ俺のためにわざわざ足を運んでくれたという事実が、歪んだ全能感となって胸を甘く擽る。 朱鷺はショーケースに並んだリングを興味無さげに流し見すると、月緋に視線を向けた。 そして、その手に落ちた金の瞳。 「お前はゴツゴツしたのより、細めのやつが似合いそうだな」 その言葉に、心臓が大きく跳ねた。 朱鷺が、俺の指を見ている。 朱鷺が、俺に似合うものを考えてくれている。 俺の身体や容姿の雰囲気を頭の中で思い描いて、俺のために選ぼうとしてくれている。 視界の端で光るダイヤモンドも金銀も、朱鷺の金の瞳の美しさには足元にも及ばない。 俺はこの店のすべての宝石よりも価値のあるものを手に入れている。 月緋は溢れる感情のままに、擦り寄るように朱鷺の肩へ頭を寄せた。 店員の視線も、朱鷺以外の人間も、どうだっていい。 「朱鷺が……俺の指、見てくれた……!」 甘えた声を朱鷺の耳元に落としながら、朱鷺の横顔を食い入るように見つめる。 「朱鷺が選んでくれるなら、俺、朱鷺が似合うって言ってくれた細いやついい……!ねぇ朱鷺、どれにする? 朱鷺が選んでくれたやつ、俺、絶対一生外さないから……。朱鷺と同じのを俺につけさせて……?」 朱鷺の袖口を軽く掴み、朱鷺がどの指輪に視線を留めるのか蕩けきった眼差しで追い続けた。 「そりゃ見るだろ。指輪買いに来てんだぞ?指見ないでどこ見るんだよ」 朱鷺はショーケースに視線を走らせながら、そう言う。 正直、見比べて見てもどれが良いのかさっぱり分からない。全部同じに見える。 太い、細い、捻れてるくらいしか感想が出ない。 「……分からん。けどまぁ、こういうのがいいんじゃないか?」 朱鷺が指差したのは、細めの少し湾曲したデザインの指輪だった。 シンプル過ぎるのも似合わないかと思ったようだ。 朱鷺はどうだ?と言うように月緋に視線をやった。 「こういうのがいいんじゃないか?」 ガラス越しに、朱鷺の指先がひとつのリングを指し示した。 それは、繊細で細身のプラチナにゆるやかなウェーブを描くような湾曲が施されたデザインだった。 派手すぎず、かといって無機質すぎない。 絶妙な曲線を描くそのリングは、どこか妖しく流麗で、朱鷺の見立て通り、俺の手元にしっくりと馴染みそうな形をしていた。 「シンプル過ぎるのも似合わないかと思った」朱鷺の試行錯誤が、その気怠げな瞳の奥に透けて見える。 「……朱鷺……」 朱鷺が選んでくれた。 数ある指輪の中から、朱鷺が俺の姿を思い浮かべて、俺の雰囲気に合わせて、選んでくれた。 繋いでいた手に力を込めると、朱鷺の肩に顔を埋め、指差されたその指輪を狂おしいほどの愛おしさを込めて見つめる。 「……すっごく綺麗……!朱鷺が俺のために選んでくれたこの形、世界で一番好き……!」 朱鷺の顔を見つめる月緋の紅い瞳は、歓喜で歪んでいた。 必死に縋り付きながら、甘く蕩けたような声を出す。 「これにする……、これがいい……!ねぇ朱鷺……朱鷺もこれのお揃い、買ってくれる……?朱鷺はつけなくてもいい、俺が朱鷺の分も大事に持ってるから……朱鷺と俺が、これで繋がってるんだって証拠が欲しい……!」 擦り寄るように朱鷺の首元へ額を押し当て、我儘に吐息を漏らした。 朱鷺は月緋の奇行に固まっている店員に声をかけた。 店の中だろうが人目があろうがお構い無しにくっついて狂ったように重い言葉を投げ掛けまくっている銀髪の美男子がいたら、その反応になる。店員は正常だ。 「この指輪、見せていただけますか?」 朱鷺が店員にそう言うと、店員はハッと我に返ったようにテキパキと指輪を出し始めた。 人間離れした顔の男二人がゼロ距離で揃いの指輪を選んでいるのだから、世にも珍しいものを見るように店員も他の客も視線が二人に集中していた。 指輪を出され、採寸したサイズのものを指に嵌める。 幸い二人共指は細いので、特注などをせずとも店にあったもので事足りた。 「じゃあ、この二つで」 朱鷺はそう言って、あっという間に支払いを済ませる。 かなりの額だったが、朱鷺はそれすらも興味が無いようだった。 無駄に厳重に包まれた商品を受け取り、店から出る。 漸く目が痛くなるような照明から解放され、朱鷺は小さく息を吐いた。 採寸のために指輪が差し出され、月緋の左手の薬指に冷たい金属の輪が滑り込む。 朱鷺が選んでくれた、美しい曲線の指輪。 そして朱鷺の分の指輪も、同じように用意された。 「じゃあ、この二つで」 迷いのない朱鷺の声。 朱鷺は提示された額なんて気にする素振りも無く、あっさりとカードを差し出して支払いを済ませた。 人殺しの報酬で得た金が、お揃いの指輪へと姿を変える。 朱鷺にとってはただの金の使い道の一つかもしれなくとも、俺にとっては朱鷺の命のやり取りの対価で買われた、世界で一番重い宝物だ。 高級感のある包装紙に包まれた小さな箱を受け取り、店を出る。 夜の冷たい空気が肌を撫で、朱鷺が安堵したように小さく息を吐き出した。 照明と他人の視線から解放され、心底ほっとしているのが分かる。 俺は店を出た瞬間に、朱鷺の左腕に再びしがみついた。 手に持った小さな紙袋を、大切に大切に抱え込む。 「あはっ……あははっ……! 買っちゃった……っ、朱鷺が俺に買ってくれた……っ!」 甘く狂った悦楽の声を漏らしながら、朱鷺の肩に顔を埋める。 不快そうにしていた朱鷺が、途中で投げ出すことも無く俺のために指輪を買ってくれた。 「ねぇ朱鷺……!帰ったら、すぐに付けていい?朱鷺の分も、俺が朱鷺の指につけてあげる……!」 月緋は朱鷺の横顔を見やり、潤んだ紅い瞳を愛おしそうに細めた。 「朱鷺は暇つぶしのつもりだったかもしれないけど……、俺、一生これ外さない……。朱鷺が俺にくれたお揃いなんだから……!」 朱鷺の手に自分の指を割り込ませて、再び隙間なく繋ぎ直した。 朱鷺の冷たい指先から伝わってくる体温を、貪るように確かめる。 「だから、早く家帰ろう……?早く、二人だけの場所で……、これ、開けたい……!」 コツコツと夜道を歩きながら、朱鷺は月緋の言葉を反芻した。 お揃い。指につける。外さない。 一つ一つの言葉がパズルのピースのように組み合わさっていき、一つの結論に辿り着く。 そういえば、軽く聞き流していたが店員もペアリングがどうのマリッジリングがどうのと言っていた。 「……」 欲しがっている物を買い与えよう、くらいの軽い気持ちだったが、思っていた以上に重い物を与えてしまったらしい。 朱鷺は嬉しそうに自分の手を掴んで歩く月緋にちらりと視線をやり、またすぐに前に戻した。 未来の約束なんて出来ない。 いつ仕事でヘマをして死ぬかも、復讐で殺されるかも分からない生き方をしている。 復讐の為に始めたこの仕事は、誰かの復讐の火種を生んでいる。 それは最初から受け入れている。 けれど、月緋は違う。 こいつは当たり前のように、俺との未来を見ている。 その当たり前の未来を、俺は渡せないかもしれないのに。 けれど、今隣で幸せそうに歩くこの吸血鬼を、もう自分から遠ざけることも出来ない。 「……暇潰しなんかで買うほど、俺はお人好しじゃない」 朱鷺はぶっきらぼうにそう言って、自分の自己中心的な考えに嫌気がさしたように眉を寄せた。 夜道に響く二人の足音と、朱鷺の吐き出す僅かな吐息。 「……暇潰しなんかで買うほど、俺はお人好しじゃない」 ぶっきらぼうに投げかけられたその声と、ほんの少しだけ寄せられた眉。 その言葉が、その表情が、胸の奥深くに鋭く突き刺さった。 朱鷺は暇潰しじゃないと言った。 どこか、苦々しい顔をして。 思考が、歓喜の熱で真っ赤に焼き切れる。 朱鷺は気付いたんだ。 俺に渡したものが、どれほど重くて、どれほど狂った意味を持つか。 自分のしたことが俺の命や存在そのものを縛り付ける行為だと、気付いてしまったんだ。 じゃあ、暇つぶしじゃないなら、なに? 俺が欲しがったから? 俺を喜ばせるため? それとも、朱鷺自身が必要だと思って買い与えてくれたの? なんだっていい。 朱鷺が重さを自覚しながら引き受けてくれた。 その事実だけで、いい。 月緋は歩みを止めず、繋いだ手を引き寄せるようにして朱鷺の腕に縋り付いた。 「理由なんて、何でもいいよ……。朱鷺が俺をどうしようと、朱鷺の勝手でしょ……? 俺のこと縛り付けたいなら、いくらでも縛り付けてよ……」 甘えた声で懇願しながら、繋いだ指に力を込める。 「朱鷺が、俺にくれたんだから。俺の未来も、命も、全部朱鷺の好きにして……。朱鷺が死ぬ時は俺も死ぬし、朱鷺が生きるなら俺も生きる。……ねぇ朱鷺、だから、一生手放さないでね……?」 熱を持った瞳で朱鷺の横顔を見やり、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。 朱鷺がどれだけ眉をひそめようと、どれだけ悩もうと、俺の存在がその思考を埋め尽くしているという事実は、変わらないのだから。 家に辿り着き、朱鷺はソファに座って煙草を咥えて火をつけた。 帰宅して最初にやることが商品の開封ではなく煙草のあたり、彼はどうしようもないヘビースモーカーだった。 未来も命も好きにして。 朱鷺が死ぬ時は俺も死ぬし、朱鷺が生きるなら俺も生きる。 前にも、似たようなことを言われたことがあった。 その時は、こいついつも重いな、くらいで流せていたはずなのに。 今はどうだ。 「指輪、開けといてくれ。吸い終わったら嵌める」 まだ思考の整理が追いつかない。 それならばまず行動してみるしかないと、朱鷺は思った。 朱鷺が、俺が渡した重すぎる愛の言葉を、無視出来なくなっている。 自分の中に落とし込もうとして、必死で思考を巡らせている。 俺という唯一の例外を、自分の世界にどう位置付けるか悩んでいる。 俺のせいで朱鷺が乱れている。 俺のせいで、あの完璧な殺し屋の思考が占領されている。 「指輪、開けといてくれ。吸い終わったら嵌める」 煙を吐きながら投げかけられた、その気怠げな声。 「……うん……! 開ける、俺が開けるね……!」 月緋は胸の奥から湧き上がる激しい歓喜に身体を震わせながら、朱鷺のすぐ隣に身を寄せた。 大切に抱えていた紙袋から、小さな箱を取り出す。 指先が歓喜と緊張で微かに震えていた。 リボンをほどき、滑らかなベルベットの箱の蓋を押し開けると、控えめで妖しい光を放つ二つのプラチナリングが並んでいた。 「あはっ……綺麗……!朱鷺、見て!すっごく綺麗だよ……!」 月緋は我慢出来ずに自分の分の指輪を摘み上げると、迷わず左手の薬指へと滑り込ませた。 朱鷺が選んでくれた、決定的な縛りの証。 そして、もうひとつの指輪。 朱鷺の分の指輪を、愛おしそうに手で包み込んだ。 「朱鷺……煙草、吸い終わるの待ってるから……!」 月緋はソファの上で朱鷺の太ももに擦り寄るように体勢を崩し、空いている方の手で朱鷺のパーカーの裾を掴む。 「早く吸い終わって……? 俺が……俺の手で、朱鷺の指に嵌めさせて……!」 朱鷺の指にこの輪を通した瞬間、朱鷺は完全に俺のものになる。 そんな狂った陶酔に身を震わせながら、月緋は朱鷺が煙草を灰皿に押し付けるその一瞬を、息を詰めて待ち続けた。 月緋の左手の薬指に嵌った指輪を、朱鷺は煙草を燻らせながらぼんやりと見つめていた。 それは、決定的な"存在を縛る物"だ。 服や暇つぶしの本なんかとは話が違う。 それを自分が身につけるということは、月緋を自分の弱点だと認めることに他ならない。 殺し屋においては致命的だった。 漸く思考に折り合いがついた。 自分が感じていたのは、恐怖だ。 もう二度と、大切なものを失いたくないという、恐怖。 だからこそ、今まで人との関わりも持たず、排他的に生きてきた。 それなのに。 朱鷺はゆっくりとした動作で煙草を灰皿に押し付ける。 「……ん。お前のもんだ。好きにしろ」 そう言って、もう一度手を差し出した。 ゆっくりとした動作で、朱鷺が灰皿に煙草を押し付けた。 微かな音を立てて火種が消え、二人の間を漂っていた紫煙が静かに散っていく。 朱鷺の瞳が、左手の薬指に光る指輪を見つめていたのを、月緋は息を止めて見つめ返していた。 何を考えていたのかは分からない。 けれど、朱鷺が自分の中の何かをゆっくりと噛み砕き、飲み込もうとしていることだけは伝わってきた。 そして。 「……ん。お前のもんだ。好きにしろ」 いつも通りの気怠げな声と共に、朱鷺の手が俺の目の前へと差し出された。 (――お前のもんだ?) 心臓が凄まじい音を立てて跳ね上がり、視界が揺れた。 (朱鷺が……お前のもんだって……) ただ指輪の所有権の話じゃない。 俺にはそうは聞こえなかった。 朱鷺は今、この手そのものを、朱鷺の時間を、朱鷺の存在を、俺に好きにしろって明け渡してくれたんだ。 他者を避け世界を拒絶して生きてきた朱鷺が、俺というバグみたいな存在を自分の内側に完全に引き入れた。 俺に縛られることを、許容してくれた。 「っ……ぁ……」 喉の奥から、言葉にならない嗚咽が漏れた。 視界が一瞬で熱い涙に覆われて、大粒の雫が頬を伝って零れ落ちる。 「あはっ……朱鷺……、朱鷺……っ!」 月緋は震える両手で、差し出された朱鷺の手を包み込むように取った。 人を殺すための、無駄のないしなやかな指。 冷たい温度。 骨の形。 その全てが愛おしくて、狂おしくて、月緋は朱鷺の左手の薬指に祈るように唇を落とす。 「俺のもの……!ふふ……っ、朱鷺が自分で言ったんだよ……? もう、絶対に取り消せないからね……!」 涙で濡れた顔を上げ、月緋は大切に握りしめていたお揃いの指輪を摘み上げた。 朱鷺の薬指に、プラチナの冷たい輪をあてがう。 関節を越え、指の根元へと、決定的な縛りの証を押し込んでいく。 「あははっ……入った……!朱鷺の指に、俺とのお揃い……っ」 月緋は溢れ出る感情のままに、ソファの上にいた朱鷺の身体へ覆い被さるように飛びついた。 朱鷺の首に両腕をきつく回し、全体重を預けて縋り付く。 「朱鷺、大好き……!世界で一番、朱鷺だけが好き……!俺のものだって言ってくれた……、俺の手で、朱鷺を縛らせてくれた……!」 首筋に顔を埋め、朱鷺の服が涙で濡れるのも構わずに頬を擦り寄せる。 「俺、朱鷺のためならなんだってするよ……。朱鷺に近付く奴は全員殺すし、朱鷺が死んでほしい奴も全員殺してあげる……!朱鷺の邪魔になるものは全部俺が壊すから……だから、ずっと俺だけを見てて……!」 腕の力をさらに強め、朱鷺の身体を自分の中に閉じ込めるように抱きしめる。 「ねぇ朱鷺……。朱鷺は俺のもの。俺は朱鷺のもの……でしょ?もう絶対に、俺から逃げられないよ……」 「俺には死んでほしいやつも、邪魔になるやつもいねーよ」 朱鷺は呆れたようにそう言って、小さく笑う。 そして縋りついて来た月緋の体を、観念したように軽く抱きしめ返した。 「逃げるつもりもない。……だから、」 朱鷺はそこまで言って、口を噤んだ。 思わず口から出そうだった言葉が、どれだけ勝手で傲慢なものか分かっている。 自分が月緋の死を見たくないという身勝手な理由で、月緋に自分の死を見せようとしている。 「……、いや、なんでもない。とにかく、物騒なこと言うな」 朱鷺は誤魔化すようにそう言って、月緋の涙に濡れた頬を指先で拭った。 背中に、ふわりと重みが乗った。 俺の身体を押し返すでもなく、引き剥がすでもなく。 朱鷺の腕が、俺の背中を包み込むように回された。 「……あ……っ」 声にならない息が喉の奥から漏れ出る。 朱鷺の腕の重み。 朱鷺の鼓動。 信じられない。 朱鷺が、自分から俺を腕の中に閉じ込めてくれた。 頭の奥が真っ白にショートして、視界の端がチカチカと点滅する。 歓喜なんて生ぬるい言葉じゃ足りない。 俺の存在の全てが、朱鷺のそのささやかな抱擁ひとつでドロドロに溶かされていくような感覚だった。 「逃げるつもりもない。……だから、」 耳元に落ちた声。 けれど、朱鷺の言葉はそこで途切れた。 何かを言い淀んで、飲み込んだような気配。 言葉に詰まった朱鷺の微かな迷いが、抱きしめ合う皮膚と服の布地越しに伝わってくる。 何を言おうとしたの? だから、ずっと一緒にいろ? だから、どこにも行くな? 「……、いや、なんでもない。とにかく、物騒なこと言うな」 誤魔化すように吐き出された、ため息混じりの声。 直後、俺の頬にそっと冷たい指先が触れた。 あの日の帰り道でもそうしてくれたように、朱鷺の指が、俺の涙に濡れた頬を優しく拭ってくれる。 視界の端で、嵌めたばかりのプラチナの指輪が鈍く光っているのが見えた。 「あはっ……ふふ、あはははっ……!」 物騒なこと言うな、なんて呆れたように言いながら、俺を抱きしめて、涙まで拭ってくれる。 朱鷺の行動は、いつだって言葉よりも何百倍も雄弁にその心を教えてくれる。 「物騒なこと言ってごめんね……。でも俺、朱鷺が甘やかしてくれるから……嬉しくて、頭がおかしくなりそうなんだもん……」 朱鷺の背中に回した腕に、さらに狂おしいほどの力を込める。 涙で濡れた睫毛を瞬かせ、紅い瞳で朱鷺の金の瞳を至近距離から覗き込む。 逃がさないように、重く、絡め取るように。 「なんでもない、なんて誤魔化さないで……。俺は朱鷺の全部が欲しいの。朱鷺の我儘も、乱暴な言葉も、ぜーんぶ俺が叶えて、受け入れてあげるから。ねぇ朱鷺……、俺にどうしてほしい?俺に、なんて言おうとしたの……?」 俺は朱鷺から与えられた極上の幸福を反芻し、それでも足りないと、更なる愛の言葉を強請った。 「……」 朱鷺はほんの少し月緋から視線をそらし、目を細めた。 月緋に向ける感情がはっきりしていく度、比例するように小さな棘のような不快感が胸に広がった。 それは、自己嫌悪か。未来への不安か。喪失への恐怖か。もしくは、その全てか。 今すぐここでこの吸血鬼を手放せれば、楽なのに。 何も考えず、ただ人を殺し、復讐の為だけに生きる機械のように過ごしていたあの時の方が、余程楽だったのに。 どうしてここまで思い悩み、自分のこれまでの生き方を悔やみそうになる程に思考を巡らせてまで、手放せないのか。 「……、だから、」 言葉が、詰まる。 「だから、……俺より先に、死ぬな」 それは、月緋が紡ぐ愛の言葉よりも遥かに重い、呪いのような言葉だった。 「だから、……俺より先に、死ぬな」 静まり返った部屋の中に落とされたその言葉は、小さく、けれど逃げ場のない圧倒的な質量を持って耳奥へ届いた。 心臓が低く跳ね、幸福の余韻に浸っていた思考の全てが、一度白紙に戻される。 "俺より先に、死ぬな" それは朱鷺の過去を知る俺にとって、どれ程狂おしく、どれ程重い言葉か。 朱鷺は、俺を失うことを、恐れている。 俺に死なれたら、自分が今度こそ壊れてしまうと認めている。 朱鷺は、俺への執着を、未来への不安を、己の弱さを、その一言に全て込めて、俺に差し出したんだ。 これは、愛なんて甘ったれた言葉じゃない。 朱鷺が俺に刻みつけた、世界で一番美しくて重い呪いだ。 歓喜で体中の骨が軋み、視界が真っ赤に染まる。 涙が次から次へと溢れて止まらない。 余りの陶酔と幸福感に身体が激しく震え、朱鷺に抱きついたまま叫び出しそうになるのを必死で耐えた。 朱鷺は、身勝手で傲慢な言葉だと思っているかもしれない。 俺を縛りつける呪いを吐いてしまったと、自己嫌悪に苛まれているかもしれない。 でも、違う。 違うんだよ、朱鷺。 「……あはっ、ふふ……!朱鷺……!」 月緋は朱鷺の首元に顔を埋め、歓喜の悲鳴のような声を漏らしながら、朱鷺の背中を壊れそうなほど強く抱きしめた。 「ねぇ……言っちゃったね、朱鷺……!言っちゃった……!俺に死ぬなって……俺を残して死ぬなって……!」 朱鷺の首筋に頬をすり寄せ、溢れる涙と熱を全て朱鷺の肌に擦り付ける。 「朱鷺が俺に言ったんだよ……? 俺が先に死ぬのは許さないって……!朱鷺が、俺の命の終わりまで全部縛りつけたんだ……っ!」 顔を上げ、涙で濡れそぼった紅い瞳で朱鷺の顔を強引に覗き込む。 朱鷺の白い頬を両手で挟み込み、逃がさないように自分の至近距離に繋ぎ止めた。 「あははっ……すっごく嬉しい……!朱鷺の呪い、すっごく温かくて愛おしいよ……!朱鷺が俺を失うのが怖いなんて……、俺が朱鷺の弱点になれたなんて……!」 俺は朱鷺の唇が触れそうなほど顔を近づけ、重く、甘い吐息を漏らしながら囁いた。 「約束するよ、朱鷺……。絶対に、朱鷺より先に死んであげない。朱鷺が死ぬその最後の最後の瞬間まで、俺が朱鷺の隣で朱鷺を縛り続けてあげる……っ」 朱鷺の左手を取り、その指に嵌った指輪に自分の指輪を重ね合わせる。 「だから……朱鷺も、絶対に俺から逃げないでね……?俺を置いて消えたりしたら……俺、世界中の全部を壊して、朱鷺を探しに行っちゃうから……!」 狂信的な愛と全肯定の笑みを浮かべ、俺は朱鷺の差し出してくれた最高の呪いを、全身全霊で受け止め、抱きしめ続けた。 狂っていると、そう思った。 お互いにだ。 狂気的な愛をぶつけてくる吸血鬼と、それを手離せず縛り付ける殺し屋。 随分とお似合いなイカれた者同士だ。 朱鷺は月緋を抱きしめていた腕を解いて新しい煙草を咥える。 「お前だけ生き延びろなんて、反吐が出るような綺麗事は言わない。俺が死ぬ時は、お前も死ぬ時だ。フェアだろ?」 煙草に火をつけ、そう言って悪戯っぽく笑った。 ライターの小さな火花が散り、朱鷺の指先に挟まれた煙草の先に赤い火が灯る。 月緋を包み込んでいた朱鷺の腕が解かれ、二人の間にいつもの紫煙がゆらゆらと流れ始めた。 けれど、もう今までとはまでとは違う。 煙草を持つその手の薬指には、プラチナの輪が煙草の火を反射して密やかに光っている。 「お前だけ生き延びろなんて、反吐が出るような綺麗事は言わない。俺が死ぬ時は、お前も死ぬ時だ。フェアだろ?」 紫煙の向こう側で、朱鷺が唇の端を吊り上げて悪戯っぽく笑った。 「……っあ、」 その笑顔を見た瞬間、俺の胸の奥で何かが決定的に弾け飛んだ。 お前だけ生き延びろなんて言わない。 俺が死ぬ時は、お前も死ぬ時だ。 なんて、なんて美しくて、狂っていて、最高の言葉なんだろう! 朱鷺は綺麗事なんて絶対に言わない。 俺を残して自分だけ死ぬ気もなければ、俺だけを生き残らせて聖人ぶる気もない。 自分が死ぬその瞬間には、俺の道連れにして自分と一緒に命を絶たせる。 俺の命も、存在も、最後の瞬間まで全部自分の所有物として道連れにすると……そう、笑いながら宣言したんだ。 朱鷺が死んだ後に俺が生きていける筈がないと分かっているからこそ、道連れにすると言ってくれている。 その狂った優しさが、愛おしい。 「あはっ……ふふ、あははははっ……!」 喉の奥から、抑えきれない破滅的な歓喜の笑い声が溢れ出す。 月緋は煙草を燻らせる朱鷺の膝の上に滑り込むようにして、朱鷺の細い腰に再び両腕を強く巻きつけた。 朱鷺の胸元に顔を埋め、その冷たい体温と心音を全身で受け止める。 聞こえてくるいつも通りの心音が、その場しのぎの適当な言葉ではないと教えてくれる。 「うん……!フェアだよ、すっごくフェア……!朱鷺が死ぬ時は俺も死ぬ……、朱鷺が地獄に行くなら、俺も一緒に地獄に落ちるから……!」 抱きしめた朱鷺の腰に力を込め、朱鷺の顔を見上げる。 月緋の紅い瞳は涙と過剰な陶酔でぐちゃぐちゃに潤み、壊れたような笑みが唇を大きく歪ませていた。 「朱鷺が俺を道連れにしてくれるなら……俺、いつだって喜んで死んであげるよ。朱鷺の手に殺されるなら、朱鷺と一緒に死ねるなら、それが俺の一番の幸せだもん……!」 朱鷺の頬に擦り寄るように顔を近付け、甘えた声を喉から漏らした。 「ねぇ……朱鷺。俺を離さないでね?死ぬ時も、生きる時も、ずっとずっと……一緒だからね……!」 朱鷺の吐き出す煙草の煙をそっと吸い込み、その冷たい頬に誓うように口付けを捧げた。

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