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第一章 モブ山モブ生の挑戦(6)

 それで終わる話だと思っていた。  午前中の授業が終わり、昼休みになった。  良く、『ぼっちメシ』なんてのが話題になるが、俺と本田たちは輪になってお昼ご飯を食べたりはしない。自分たちの席や食堂などでめいめい食事を取ってから、教室の適当な場所で集まって話をする。これは別に俺たちに限ったことではなかった。購買に食堂と施設が充実しているこの学園では、それぞれのライフスタイルに合わせた行動が可能だ。中庭で優雅なランチタイムと洒落込む生徒もいれば、課題の消化ついでに教科棟でパンを齧る生徒だっている。  本田は購買がメインなので、授業が終わると同時にダッシュだ。グループの残りのメンバーである大塚(おおつか)山口(やまぐち)は食堂に行くことが多い。俺の母は多忙な中でも「親子のコミュニケーションに必要だから」と弁当を持たせてくれる人なので、俺はいつも教室の自分の席で昼食を取る。  今日もそうだ。  甘い卵焼きに豚肉の生姜焼き、鶏唐揚げにポテトサラダ。彩りにレタスとミニトマトが入ったお弁当。そこに中くらいサイズのおにぎりが二つ付いている。中身は鮭と明太子。どれだけ仕事が遅くとも、翌朝には早起きをし、手間暇かけてこれだけ用意してくれる。本当に母には頭が上がらない。 「いただきます」  お弁当箱に向かって手を合わせて、さて食事だと箸を手にする。先ずはおにぎりをひと口――と思ったところで、「美味しそうだね」と頭上から声が降ってきた。  ひぃ。俺は身体を大きく仰け反らせた。  顔を上げなくとも誰であるかはわかる。この柔らかい語り口はどう聞いても香月だ。 「いつもお弁当なのかな」 「そ、そ、そうだけど」  視線をゆっくりと声のする方角に向ければ、瀧居家を斜め後ろに従えた香月が俺の机の脇に立っている。 「隣、失礼するよ」  食堂に行ったと思しき隣の生徒の席に香月が腰を下ろす。手にはお弁当箱が入っていると思しきランチバッグ。とはいえそこは流石は香月家の子息というべきか。ランチバッグというよりはミニトートといった感じで、そのまま持って買い物に出ても違和感のないデザインになっている。 「何故こんな生徒相手に伝家の宝刀を抜くんだ」  相変わらずひとりごちている瀧居家が、仏頂面を晒しながら香月の前の席に陣取る。  どうやらふたりともそこで昼食を取る気でいるようだ。お弁当箱を出すと、さも当然と箸を取る。この展開は予想していなかった。お弁当箱を開いてしまった俺は、今更この蓋を閉じて逃げ出す訳にもいかず、知らない料理が詰まっている香月のお弁当箱から漂ってくる美味しいそうな匂いに鼻を鳴らしながら、どうしようと思いつつ口を開いた。 「伝家の宝刀って、何?」 「わがまま券だね」 「わがまま、けん?」  妙な響きの言葉の意味がわからず首を傾げると、何を思い出したのだろうか。香月が肩を震わせた。 「五歳の誕生日のプレゼントに瀧居家がくれたのだよ。『一枚につき一回我儘を聞きます』って、手書きの券を五枚ね」 「後生大事に持っているからいつかは使うつもりだと思っていたが、まさかこのタイミングで……」  可愛らしい思い出に、俺は少しだけ瀧居家の見方を変えた。五歳の瀧居家の贈り物は、彼がもう自らの立場を自覚していたからこそだ。そうでなければ『わがまま券』などという発想は出てこない。香月の付き合いを厳格にコントロールするのもその表れなのだろう。瀧居家は選ばれて香月の傍にいるからこそ、瀧居家なりの哲学で、香月一生という様々なしがらみのある存在を守っている。  とはいえ、瀧居家にとってその過去は、身悶えするほどに恥ずかしいものであるようだ。苦々しい表情を隠すことなく晒すと、無言で弁当を口の中に放り込み始めた。 「見るかい、実物」  そうした瀧居家の行動や表情が見えていないのか。呑気にも香月が言ってのける。 「あるの?」 「止めろ、一生」 「可愛いのだよ。色鉛筆で一文字ずつ色を変えて書いてくれてね」  言いながらブレザーのポケットから財布を取り出す。中に仕舞っているのだろう。財布を開こうとした香月に、瀧居家は我慢の限界を迎えたようだ。止めろと言いながら香月の財布に手を伸ばした。  あはは。と笑いながら香月が財布を瀧居家の手から逃がす。  こんな表情もするのだ。俺は香月の表情にはっとなった。俺からすれば瀧居家は目の上のたんこぶのような存在だが、香月にとっては長い付き合いだからこその気安さがあるのだろう。心砕けた笑い顔は、普段の香月からは想像も付かないほど『少年』らしかった。 「いいよ、香月。瀧居家が嫌がってるみたいだし、実物は見られなくても」 「うん。残念だけれど、仕方がないね」  あっさりと引いた香月が、財布をポケットに仕舞い込む。  それにしても、香月は五回しか使えないという『わがまま券』を何に使ったのだろう。瀧居家の反応から察するに、俺に関することであるのは間違いなさそうだが、まさかまさか。 「だけど、その伝家の宝刀がどうしたの?」 「鈍感か、お前は」瀧居家が増々苦虫を噛み潰したような表情になる。「お前と友達になるのに使うと言い出したんだ」  何故だ。  何故なのだ。  俺は意味のわからなさに唖然とした。  この話の流れである。香月が俺とお近付きになる為に『わがまま券』を使ったのは予想が付く。だが、それが現実だと認められるかというと、無理だと言うより他ない。  だってそうだろう。朝に香月が口にした通り、俺は『特筆すべきことのない普通の人間』だ。それが何をどうすれば彼に目を付けられるに至るのか。蓼食う虫も好き好きとは言うものの、物には限度がある。俺は香月一生の興味や関心を惹けるような面白味のある人間ではない。 「意味がわからないんだけど」 「奇遇だな。俺もそう思う」  何故、香月一生は何の特徴もない一般人のモブ山モブ生を選んだのか。常に香月の傍につきっきりな瀧居家でも理由はわからないようだ。しみじみと口にすると俺に向き直る。 「そもそもお前も知っての通り、一生は将来芙蓉グループを背負って立つ人間だ。その為には学ばなければならないことが山程ある。それこそ回り道をしている暇もないほどにな」  やっていない商売は闇商売ぐらいと謳われるほどの巨大なグループ企業。関連会社は百を下らないと言われる芙蓉グループは、社会に名を轟かせる著名な企業ばかりで構成されている。その舵取りをする総会長の跡継ぎともなれば、俺には想像も付かないほどの途方もない知識が必要になることだろう。  だから俺は瀧居家の言葉に頷いた。 「そのぐらいは、まあ、俺にもわかるよ」 「対人関係にしてもそうだ。将来的に有益な人材となる人間を今から探し出し、親交を深めておく必要がある」 「まあ、だろうねえ」 「全ては芙蓉グループの発展の為だ。楓陵学園に来たのも、半分はそういった理由からだった」 「大変だねえ」 「だのに、こいつは――」箸を握り締めた瀧居家の手から色が失われる。「お前のような一般人と友達になりたいと言い出した」 「ごめん。そこは全然わからない」  俺がそう言うと、黙って俺と香月の遣り取りを眺めていた香月が顔を伏せた。  くっくと漏れ聞こえてくる声。肩が震えている辺り、香月は声を殺して笑っているようだ。どういうことなんだ? 俺には香月が何を考えているかがさっぱりわからない。 「私には私の考えがあるのだよ、奥山」 「その考えは綺麗さっぱり捨てるといいと思うよ」  俺はおにぎりを口の中に詰め込んだ。  香月と瀧居家の話に付き合い続けていると、いつまで経っても食事が進まないことに気付いたからだ。  母が作ってくれた大事な弁当を味わわずに済ませてなるものか。俺はお弁当箱に視線を戻した。あまり減っていない中身が物悲しい。 「まあ、聞きたまえ」 「うん。聞くけど、食べさせて」  購買に行った生徒たちはもう教室に戻ってきている。本田も定番の焼きそばパンを食べ終えたのだろう。自分の席で時間を持て余している様子だ。早く食べ終えてしまわなければ、五時限目に間に合わないかも知れない。俺は一口、また一口とおかずを口の中に収めていった。 「瀧居家が説明した通り、私にとって友達付き合いは将来の為の資産作りの側面が強い」  食べながら香月の話を聞く。 「けれどもね、最近、ふと気付いてしまったのだよ」 「何に?」 「消費者の大半は普通の人間たちだということに」  俺が話を聞いていることがわかったからだろう。香月の口が途端に滑らかになった。 「流行(ブーム)を作るのはいつだって一般人だ。彼らのお眼鏡に適わなければ、流行(ブーム)は局所的なもので終わってしまうだろう。例えばオートクチュールとプレタポルテだ。昔はブームは上から下へと流れるものだったが、今の世の中は違う。下から上へと流れてゆくのも珍しくなくなった。そういった意味で普通の人間というものは、時代の潮流(ムーブメント)を作る大事な存在だ」  今日の弁当も美味い。美味いのだが、香月の難しい話を聞きながらだと、砂を噛んでいるような気分になる。  というか、ここからどうやって俺と友達になりたいという結論に至るんだ?  俺には香月の高尚な思考が理解出来ない。いや、住んでいる世界が違う以上、理解出来なくて当然なのだが、俺たちはまだ高校二年生である。たかが友達作りに消費者原理がどうたらなどという話を持ち出してこなくともいいではないか。 「で、香月はその普通の人間とどうして友達になりたいの?」  焦れた俺はストレートに香月に尋ねた。  まさかそこまで真っ直ぐに切り込んでゆくとは思っていなかったのだろう。瀧居家が頭を抱えているのが視界の隅に映り込むが、ここで瀧居家に構うと進む話も進まなくなる。俺は瀧居家の挙動不審な動きを見なかったことにした。 「私にとって普通の人間は大事な商売相手だ」  香月も瀧居家のこうした行動には慣れているのだろう。何事もなかった風に話を続ける。 「普通の人間のことを私はどれだけ知っているのだろう。それに気付いた私は怖くなったんだ。大事な商売相手のことを、私は殆どといっていいほど知らない。それだのにその普通の人間を相手に商売をしている企業グループのトップに立つことを嘱望されている」 「まさかとは思うけど、俺と友達になりたいっていうの、普通の人間とはどういうものかを知りたいなんて理由じゃないよね?」 「幼い頃から選ばれた人間とばかり付き合ってきた私は、普通の人間との付き合いに乏しいのだよ。だから普通の人間の友達が欲しい。とはいえ、私は立場が立場だからね。誰でもいいかと言われるとそういった訳にはいかない」 「俺じゃなくとも他に候補は幾らでもいると思うけどなあ」  きっと俺とは違って、マナーだの立ち居振る舞いだのを叩き込まれているのだろう。お弁当箱に箸を滑り込ませてゆく香月の所作は、THE・一般人な俺とは違って優雅である。  見ているだけで自分との違いを思い知らせてくる存在。こんな生まれも立場も住む世界も違う人間が俺の友達になる? 俺にはその現実が矢張りピンとこない。 「君は面白いね、奥山」 「面白いの、俺? どこにでもいるモブだけど」 「うん、面白い。私と知り合いになりたがる人間は山程見てきたけれども、脱兎の如く逃げ出したのは君が初めてだよ。今だってどうにかして逃げられないかと思っている。違うかい?」 「うん、まあ、実はそうなんだよね……」  嘘を吐いても仕方がない。正直に答えて、俺は頭を掻いた。  俺が朝、香月と瀧居家の前から逃げ出してしまった以上、取り繕ったところで直ぐに襤褸が出るだろう。それにおべんちゃらなんてのは俺の性分ではない。そもそも香月が望んでいるのは普通の人間であるところの俺との付き合いである。ならば、変に気取らずに普通に返事をするべきだ。そう、その結果、香月が俺に幻滅すれば万々歳ではないか。  だが、香月は俺を逃がすつもりはなさそうだ。「瀧居家、あれを」と、瀧居家に指示を出す。と、いつの間に用意していたのか。瀧居家がまた書類を片手に取り上げた。  今度は何が出てくるんだ。俺は身構えた。 「奥山亘代、十四歳。201X年7月6日生まれ。奥山民生の妹で楓陵学園中等部三年生。成績は中。飼育委員を務める。部活動は調理科学部。得意料理はカレー。中等部一年次より、香月一生のファン活動に従事。その関係で友人関係は幅広い」  ひぃ。  俺は香月たちとは逆側に身体を引いた。  俺のことを調べ上げたぐらいであるのだ。それは家族のことも調べ上げていることだろう。そのぐらいのことは俺もわかっている。  だが、わかっていたことだとしても、それをこう大っぴらに読み上げられて平然としていられるほど俺は人間が出来ていない。というか、上流階級の人間たちの間ではこれが普通なのか? 俺は額一面にびっしりと掻いた冷や汗を拭いながら香月たちを見た。 「妹さんは喜んでくれるのではないかな。私と君が友達になったら」  怖い。  満面の笑みで俺に提案してくる香月の、当たり前といった態度が怖い。  亘代、ごめん。俺は母に続いて亘代にも胸の内で謝罪した。  俺がとんでもない相手に目を付けられてしまったばかりに、お前のプロフィールが当の本人に筒抜けになってしまった……いや、亘代的にはいいのか? 憧れの香月に自分という存在を認知してもらえたのだ。容姿とは結びついていないかも知れないが、一ファンとしてこれに勝る名誉はない。  しかし、だからといって俺が香月の友達になるのは御免なのだが。 「まあ、なんだ。諦めろ、奥山」  その不服が表情に出てしまっていたようだ。先程までの表情とは一変。憐れむような視線を瀧居家が俺に向けてくる。 「普段聞き分けがいいからか、一度こうすると決めると一生は凄いんだ。前に券を使われた時もそうだった」 「瀧居家」 「大丈夫だ。これ以上は言わない」  手の内を見せるのが嫌なのだろうか。瀧居家の話の続きを制した香月に不安が募るも、今はそちらに気を取られている場合ではなかった。俺はどうやればこの窮地から一発逆転の脱出劇が出来るのかを考えた。考えに考えた。けれども妙案は浮かんでこなかった。  これは駄目かも知れない。  俺はちらと香月を窺った。ぱちりと目が合う。  瞬間、香月の顔に浮かぶ極上の笑み。流石は高嶺の花である。そんな時ではないとわかっていても目を奪われてしまう。  そんな俺に同情しているのだろうか。それとも呆れているのだろうか。宙を仰いだ瀧居家が、いつ終わるとも知れない長い長い溜息を吐いた。

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