8 / 24
第二章 モブ山モブ生の奮闘(1)
写真である。
俺はどうやって香月の写真を撮るかを考えていた。
友達になった以上、もう瀧居家の動向を気にしなくともいいだろう。正面突破で香月に頼む。これが一番手っ取り早く、且つ揉め事を起こさずに済む方法だ。だが、問題はいつどのタイミングで香月にそれを切り出すかだ。
まさか昨日の今日で写真を撮らせてくれとは言えない。馴れ馴れしいにも限度がある。とはいえ、香月が俺に飽きるより先に言い出さねば好機 がなくなってしまう。
リアルタイムで今を切り取って投稿するアプリなんぞが流行るくらいだ。一般的な高校生だったら、もっと簡単 に教室だの弁当だのクラスメイトだのを撮るのだろう。だがしかし、生憎というべきか、ここは良家の子息子女が通う私立の学園だ。一般社会と隔絶されたこの環境下では、俺のような普通の高校生の感覚や常識の方が圧倒的に少数派である。
お上品な彼らは一般社会に迎合しない。というより、わざわざ日常を撮る意味が見出せないのだ。彼らにとって一般的な高校生が撮る『映える写真』は当たり前の日常である。写真が大事な瞬間を切り取るツールのひとつである以上、ここぞという場面でシャッターを切りたいのは人の常。体育祭や文化祭といったイベントごとでは、さしもの彼らもスマートフォンを構えるようだが、普段から方々でパシャパシャやっているような輩は写真部ぐらい。それにしたって学園内の景色が大半で、許可だの何だのが必要な人物を選んで撮るような真似はしない。
色々と面倒らしいのだ。
亘代に香月の写真を頼まれた俺は、あまりにも実現不可能なミッションに、いっそ写真部に入るかと考えたりもしたのだが、調べて行く内に自分の安直さを恥じる事態となった。
楓陵学園では入学時に、入学書類とは別に二つの書類にサインをさせられる。ひとつは秘密保持契約書だ。学園の中で知った事項についての学外での口外を禁じるという契約は、十代の少年少女にとっては中々ヘビーなものではあるが、ここは普通の学校とは異なり、良家の子息子女がメインの生徒層となる学園だ。俺たちが何気なく流してしまった情報を利用して、彼らに危害を加えようとする輩がいるのだと聞かされれば、流石に襟を正して従うより他ない。
当然ながら、SNSなどといった不特定多数が閲覧する場所への写真のアップロードも禁止だ。写真部にしても、生徒が写った写真を使っての学外コンテストへの参加が禁じられているほどである。この辺りは相当に厳しく取り締まられていて、中等部でも何人かが退学になったと聞く。
とはいえ、写真の公開には例外がある。
楓陵学園には学生が利用するデータベースを含む公式サイトがあるのだが、ここは入学検討者に対する広報を兼ねていて、校舎の写真や制服の写真は勿論、授業風景や学校行事の写真なども掲載されている。そう、こうした学園の広報活動に使用する写真に自身の肖像を使用してもいいかという意思確認書が、もう一つの書類だった。
ちなみに俺は『いいえ』に丸を付けた。
俺のようなモブがああいった華やかな広報写真に写り込んでしまっては、入学検討者に負の意味での最後の一押しをしかねない。それでは折角の広報活動が広報活動でなくなってしまう。俺の友人たちは「面白いから」という理由で、俺が『はい』に丸を付けなかったことを惜しんでいたが、残念ながら俺は自分のもっさい容姿が与える影響に自覚的である。そうは問屋が卸して堪るものか。
話が大分長くなってしまったが、こうした事情が絡み合った結果、写真部の活動はほぼ風景写真に限られている状態になってしまったのだそうだ。
偶に学外からモデルを呼んで撮影を行うことはあるそうだが、生徒に関しては先ず撮らないが鉄則であるらしい。昔は意思確認書を確認した上で学内モデルを選考するなどということもしていたようだが、それでもこれだけ肖像権の扱いに厳しい学園である。後々やっぱりなかったことに――と言われれば、ネガもろとも処分するしかない。そういったことが度々起こった為、トラブル回避の意味も含めて一律禁止になってしまったのだそうだ。
だから亘代は俺に撮れと煩いのだ。
俺に撮ってもらった写真は自分ひとりで愛でるだけに留めると約束はしてもらっているが、万が一流出しようものなら、俺の高校生活が危ぶまれる事態である。
うーん。俺は宙を睨んだ。果たして写真を撮ってもいいものか。
そもそも友達、なのである。家に招いて亘代に実物を見せれば一発ではないか。その上、写真も、などとは随分と贅沢な話だ。
「難しい顔をしているね」
考えている間に午前の授業が終わってしまったようだ。ランチバッグを片手にした香月が隣の席に陣取ってくる。当然ながら前の席には瀧居家。無言で着席すると早速とランチバッグからお弁当箱を取り出す。
「つまらんことを考えているのだろう」
ひぃ。
ぎろりと瀧居家の目が俺に向かって動く。
流石は香月のお目付け役である。香月の友達が相手だろうが容赦がない。その表情からは、おかしなことを言ったりやったりすればただでは済まさないという気迫が感じられる。
俺としては即座に逃げ出したい気持ちに駆られるところだが、もう了承してしまったことである。香月一生と友達になる。そうである以上、じたばたしても仕方がない。鞄の中からお弁当箱を出した俺は、香月たちの方に顔を向けて言った。
「恋心の難しさについて考えていたところ」
「恋心だと?」
俺の口から飛び出す言葉ではないと思っていたようだ。怪訝そうに眉を顰めた瀧居家に、微かに目を開く香月。あ、これは誤解されるヤツだ。そう思った俺は慌てて次の言葉を吐いた。
「あ、俺じゃないよ。妹の」
「ああ、成程」
とはいえ、自分がその対象であることを理解しているからだろう。香月としてはあまり深堀りしたい話題ではなさそうで、微かにその眉が歪む。
「香月は恋人はいないの?」
「恋人はいないね」
「そっかあ」
俺はお弁当箱を開いた。
鶏のから揚げにコーン入りのポテトサラダ、きんぴらごぼうと彩り用のプチトマト。ご飯にはケチャップがかかった目玉焼きがが乗せられている。うん。今日も美味しそうだ。俺は箸を両手に持った。「いただきます」頭を少し下げてから、から揚げに箸を伸ばす。
「君は恋愛事には無縁なようだが、気になる相手はいないのかい」
ひぃ。
香月の言葉に俺の箸からから揚げが転がり落ちた。
調べられているのはわかっているとはいえ、それを前提に話をされるのは心臓に悪い。俺は落ちたから揚げを拾って口に運んだ。幸いご飯の上に落ちたので、汚れてはいない。うん。大丈夫だ。俺はから揚げを咀嚼しながら息を整えた。
整えたついでに考える。
確かに俺は恋愛事には縁がなかった。どのくらい縁がないかというと、この年齢になるまで告白されたこともなければ、バレンタインにチョコレートを貰ったこともないぐらいだ。自分で言うのもなんだが、流石はモブ山モブ生と呼ばれるだけはある。俺は恋愛事に於いてもその他大勢だ。
なら、自分の気持ちはどうなのだと問われると、これがまあ見事なまでに何もない。
初恋は幼稚園の先生だったが、小学校に上がるとそれもすっかり忘れた。他に気になる人が出来たのではなく、単純に新しい環境が楽しくなってしまったからだ。それだけ俺にとって小学校という場は最高の遊び場だった。
楓陵学園に入学して、ふと足を止めれば、他の生徒たちは恋に花を咲かせていた。
俺だけがいつまでも同じ場所に足踏みしている。その事実に気付いた時は流石に少し焦ったが、自分の気持ちを作ることは出来ない。何より住む世界が違い過ぎる。俺が好きになっていいような人間がそういない学園。自認がモブである俺にとって、気後れするようなステータスの人間が顔を揃える楓陵学園は、恋の舞台に適していないのだろう。
「うーん。まあ、この学園、俺の身の丈に合ってないしね。高望みするような性格でもないし……」
「その外見では色気もないしな」
瀧居家の言葉に俺はこくりと頷いた。
俺が前髪を伸ばしているのは、他人に素通しで顔を直視されたくないからだ。モブ山モブ生であることまでもを否定しようとは思わないが、それでも印象に乏しいこの顔に対するコンプレックスはある。それだったら顔を隠してしまった方がいい。俺の前髪はその為のカーテンの役割を果たしてくれている。
「瀧居家はどうなの、恋愛は」
「俺は家が決めた相手と結婚するからな。その点については何の心配もしていない」
「あ、そっか。そうだよね」
香月の傍にいつでも控えている瀧居家の実家の詳細を、実のところ俺は良く知らないのだが、あの香月家に認められている存在なのだからそれなりの家柄であるのだろう。そうである以上、恋愛も自由にはならないということか。俺には想像も付かない世界の話を口にした瀧居家に、俺は少し寂しくなった。世界が違えば常識が違うということは、こういった話からでも窺えることであるのだ。
「父親からは後学の為に恋の一つぐらいはしろと言われているがな。正直、俺にとっては時間の無駄にしか思えん。将来的には家を継ぐことが決まっているというのに、恋愛にうつつを抜かすなど」
「瀧居家は偉いねえ。もうそこまで覚悟を決めてるんだ」
「何だ。何も出んぞ」
「いや、偉いよ。本当に」
俺は溜息混じりにご飯を口に含んだ。
気付けば高等部の二年生になっていたが、俺の将来のビジョンは定まらないままだ。親はどうせ会社員になるとでも思っているのか、大学で考えればいいと鷹揚に構えてくれているが、それにしても方針だけは固めておかねばならないだろうに。そう、俺はそういった意味で将来の希望が何もない。会社員になるのか。それともそれ以外の道に進むのか。どういった業界でどう働きたいのか。そうしたぼんやりとした希望さえも俺にはないのだ。
「俺、近いって理由でこの学園に来てるからさ。何もないんだよね、本当に。将来自分がどう生きていくとかさ……」
「近いから」唖然とした表情になった瀧居家が、途惑いも明らかに口にする。「そういう理由で通っていい学園ではない筈なのだが」
「あ、受験のときにはそれっぽい理由を挙げたよ。親と一緒に色々考えて」
「当たり前だ。近いからと馬鹿正直に言って、それが通る学園だったら、俺は一生を連れてこの学園を出る」
「あ、ああ、ごめん。変なことを言ったね」
俺は手に掻いた汗をハンドタオルで拭った。
香月にせよ、彼とセットで行動しているのが当たり前な瀧居家にせよ、きちんとした目的を持ってこの学園に入学している。将来の為に有益となる人間関係を構築する。それが『近いからここにした』などというファジーな理由を聞かされて楽しい筈がない。
もう少し考えて発言するべきだった。
俺が反省していると香月は何かを納得したようだ。成程。などと口にしながら、宙を見上げて考え込む素振りをみせる。流石に飽きられたか――まだ写真を撮っていない俺としては、焦る気持ちが湧いて出る。
「面白い」
へ?
何に感心しているんだ?
俺は香月の考えがわからない。わからないからこそ彼の言葉を待つ。
「普通の人間というのは目的意識を持たないものなのだね。だから消費行動の予測が難しいのか」
「いや、そこは、俺が特殊なんじゃないかな……」
俺の言葉一つからビジネスに話を繋げる辺り、流石は芙蓉グループの御曹司というべきか。とはいえ、俺を代表にして普通の人間を定義してしまうのは、他の数多の普通の人間に対して失礼である。だから俺は香月に言った。彼らの全てが俺と同じではないと。
「目的を持ってこの学園に来ている一般の生徒だっているよ。本田なんかは将来的に事業をやりたいから、ここで富裕層の考え方を学ぶって言ってたりするし」
「お前と違って志が高いな」
「うん。本田は偉いよ」
「とはいえ、君と同じような考えの人間も一定数は存在している筈だ」腕を組んだ香月が、宙を睨むようにしながら言葉を繋げる。「でなければ、流行 の予測が指向性に留まる理由がない。誰しもが目的意識を明確にしているのであれば、もっと正確に次の流行 となるヒト・モノ・コトを定めることが出来るだろう。ところが実際はどうだい。予測もしなかったところから次の流行 が生まれてくる」
昨日の話と今日の話を総合するに、今の香月にとって『消費』が興味を寄せているテーマであるのは間違いなさそうだ。とはいえ、一介の高校生に過ぎない俺相手に出すにしては中身が高度過ぎる。流行を正確に予測出来たとしてどうなるんだ? 俺は大いにたじろいだ。そして、正直に香月に問いかけた。
「香月はいつも友達とそういう難しい話をしているの?」
「ああ、すまない」視線を俺に戻した香月がうっすら笑う。「君と話をしていると、これまで理論でしかわからなかったことが、真に理解出来るような気がしてくるのだよ。不思議なものだね」
「ふむ。そういった意味では奥山でも役に立つことがあるのだな……」
何やら思うとことが出来たようだ。瀧居家がふっと考え込む様子をみせる。
「俺は一生から一般の生徒を遠避け過ぎたのかも知れん」
その瀧居家の言葉に、うん。と、香月が頷く。そして少し間を置いてから、「決めたよ」と、俺を振り返った。
「今日は一緒に帰らないかい、奥山」
「か、かか帰るぅ?」
俺は驚きに身体を仰け反らせた。
昨日の香月の口振りでは、学内で余った時間に少しだけ友達付き合いをするようなニュアンスだった筈なのだが、何故か彼の中ではその話はなかったことになってしまっているようだ。「うん。私の車に乗せてあげよう」などと、俺と一緒に帰宅するのが確定事項な台詞を吐く。
「いや、乗せるとか乗せないとかそういう話じゃなくて……」
やばい。
俺には香月が何を考えているのかが全くわからない。
わからないが、俺の意に反して、香月が更に俺を気に入ったらしいことだけは伝わってくる。
「何か怖いことでもあるのかな」
「ないけど……」
急展開に頭が付いていかない。何故、消費の話から一転、俺と一緒に帰宅するという話になるんだ。普通は間にもっとこう、前触れのようなものがある筈だろう。少なくとも俺が今まで構築してきた人間関係ではそうだった。気が合ったと感じたら一緒に帰る。だのに消費行動だぞ。直前にしていた話が結論に全く見合っていない。
「安心してくれていい。瀧居家も一緒だ」
「いや、そこは心配してないけど。でも俺、徒歩で二十分だよ、家まで。車で送られたら一瞬だよ」
「少し寄り道をしよう」
ふふ、と軽く声を洩らして香月が微笑 う。
「どこに?」俺は尋ね返した。
「普通の友達らしいことをするんだよ」
いつの間にか香月は弁当を食べ終えていたようだ。お弁当箱の蓋をそっと閉じる。
「そういった機会が私にはあまりなくてね。だから大丈夫だよ。ちょっとしたことだ。君が堅苦しくしないでも付き合える」
「本当に?」
「ああ、約束するよ」
いつの間にか瀧居家も弁当を片付けていたようだ。香月のその言葉を契機に立ち上がる。
俺は教室の壁に掛かっている時計を見上げた。始業まであと十分もない。マズい、急がねば。まだ僅かにおかずを残しているお弁当箱に箸を突っ込む。その脇で、「じゃあ、放課後に」ゆったりとした所作で香月が腰を上げた。
ともだちにシェアしよう!

