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第二章 モブ山モブ生の奮闘(3)

 それから、香月とは三日に一日ぐらいのペースで、放課後にちょっとした寄り道をするようになった。  クレープやドーナッツ、揚げたてのポテトにドリンクバー。そういったささやかなおやつを会話のおともにしながら、他愛もない話に花を咲かせる。  勿論、支払いは割り勘だ。  学校から真っ直ぐ家に帰宅していた俺は、小遣いの使い道が漫画やゲームくらいしかなかったのだが、そこに第三の選択肢が出来た。香月と寄り道をして買い食いをする。部活動をしていた時は、帰りがけにラーメン屋で一杯、なんてこともあったのだが、それも部活を辞めると同時になくなった。だから俺としては、正直、ちょっと楽しい。  味気ない学園生活が、やっと普通の高校生生活になった気がする。  勿論、香月と学園で一緒に行動する時間も増えた。登校の時間が合えば、校門から教室までの道程を一緒に歩いたし、昼休みに昼食を一緒に取るのも当たり前になった。本田たちは「モブ山があの香月に気に入られた」と驚いていたが、休み時間や教室移動は相変わらず本田たちと一緒だ。だからだろう。本田たちが香月との仲について深く尋ねてくることはなかった。  亘代は毎日のように『今日の香月先輩』について訊いてくる。  ピエール・マルコリーニの件についても話をしたら、お小遣いをやりくりして買うと張り切っていた。そういった意味では、亘代にとって香月は好きな人というよりも、推しに近いのだろう。ただ、この調子では香月の趣味嗜好を制覇しようとしかねない。だから俺は情報を小出しにすることにした。流石に我が家の小遣い事情では、香月の趣味嗜好を全て攻略するのは無理だからだ。  今のところ、香月のプライベートでわかっていることは以下だ。  ・家に料理を作る専任のシェフが二人いる。  ・お手伝いさんは十五人ほど。  ・趣味はバイオリン。気晴らしに弾くことが多いらしい。  ・好きなスポーツはスカッシュ。  ・カメラとレコードの蒐集癖あり。  ・実はテニス部だが、部活動には偶に顔を出すぐらいで、コートに立つことは先ずない。  うん。まあ、無理である。バイオリンにスカッシュにカメラにレコード……亘代の小遣いでは百年経っても追い付かない。とはいえ、亘代もその辺りは理解しているのか、香月がテニス部なのは把握済みだったにも関わらず、入部を考えることはなかったのだという。「偶にちょっと顔を見る為だけに、そんなにお金はかけられないもん」ということらしい。なんといじらしい妹だろう。可愛さが天元突破している。  ただバイオリンには食指が動いているようで、色々と調べているみたいだ。部屋の床にバイオリン教室のパンフレットを広げていたこともあった。この辺、亘代の基準が良くわからない。どういった考えで取捨選択を決めているか、今度訊いてみる必要があるだろう。  何はともあれ、全てが順調だ。  写真の件を除いては。  いつの間にか四月が終わり、五月も二週目になっている。だが、俺はまだ香月に写真を撮らせてくれと言えずにいた。  カメラの蒐集癖があるのだから、それをきっかけに――と思ったりもしたのだが、香月自身は写真を撮る性質ではないらしい。元々曽祖父のコレクションだったものを受け継いだ結果、その造形美に魅せられて、自身も蒐集を始めようと思っただけなのだとか。この点、金持ちの考えはさっぱりわからない。  カメラを通じて香月の写真を撮る流れに持っていくのは無理だとわかった以上、機を窺って香月に話を持ちかける必要があるのだが、香月の傍には常に瀧居家がいて俺の動向に目を光らせている。流石は香月のお目付け役だ。俺に迂闊な言動や行動があれば、例えこの友達関係が香月の意向であろうとも、瀧居家は容赦しないのだろう。そう考えると、写真についてはかなり根気よく機会が来るのを待つ必要がありそうだ。  まあ、まだ香月と友達付き合いを始めて一か月も経っていないのだ。焦る必要はない。  俺は弁当箱の蓋を閉じた。  すっかりお馴染みとなった香月との昼食(ランチ)。いつもの場所に香月と瀧居家が陣取っている。最近では話をしながら食べることにも慣れてきた。お陰で、昼休みはまだ二十分も残っている。 「あー、美味しかった」  俺はお弁当に母が付けてくれた紙パックのジュースに口を付けた。しょっぱいものを食べた後には甘い飲み物が欲しくなる。程良い甘さのレモンジュース。ちろりと感じる酸味が気持ちいい。  ちなみに今日の弁当はのり弁だった。おかずはちくわの磯部揚げと白身魚のフライ、そして目玉焼き。そこに彩り用のレタスとプチトマトが付いていた。 「奥山の弁当はいつも母親が作ってくれるのかい」 「そう。親子のコミュニケーションに必要だから、って。頭が上がらないね。香月はシェフさんでしょ。瀧居家は?」 「うちは祖母だな。ボケ防止に作ると煩くてな……」 「へえ。かなり手が込んでるよね、瀧居家のお弁当。ごま団子が入ってたりするし」  俺のTHE・家庭料理な弁当や、香月のTHE・豪華な弁当と異なり、瀧居家の弁当はTHE・和食という感じだ。それもただの和食じゃない。野菜に飾り切りが施された本格的な和食だ。肉じゃが一つ取っても、人参が花になっているような。 「瀧居家の祖母は、料理研究家をしていたんだよ。今は時短料理が好まれるのもあって、辞めてしまったけれどもね」 「そうなんだ。通りで綺麗だと思った。見た目から違うよね、瀧居家のお弁当」 「褒めても何も出んぞ」  俺は香月と顔を見合わせて、肩をそびやかした。  瀧居家が照れているのがわかったからだ。  どうも瀧居家はツンデレの気があるらしく、褒められても素直に嬉しさを顔に出すことがない。いや、ツンデレと言っていいのだろうか? 香月の傍で睨みを利かせている彼は、同級生たちに舐められまいと必死なのだ。そうでないと、香月に良からぬ輩が近寄ってきてしまう。  自らに与えられた立場を、瀧居家は彼なりの方法論で全うしようとしている。  偉いよな。  俺は何もない自分を振り返った。既に道が決まっている香月や瀧居家は勿論、本田たちにも将来の夢や希望がある。事業を起こしたい本田に、福祉の道に進みたい大塚、総合商社希望の山口。畑山に至っては新聞社希望だ。俺とのほほんと日々を過ごしているように見えても、彼らはきちんと自分の往くべき道を考えている。  俺は何になるのだろう。  ぼんやりと考えていると、香月が俺をちょいちょいと手招いた。「何?」首を傾げて訊くと、「おいで」と言われる。??? 俺は席を立ち上がった。そして香月が座っている席の隣に立った。と同時に、香月が手を伸ばしてくる。何をするのだろうと思っていると、俺の腰が香月の手に捕らえられた。そのまま、膝の上に座らせられる。 「あ? は? へ?」 「してみたかったのだよ、こういうことを」  いつでも上品に辺りに漂っているシトラスの香りが、ふんわりと俺を包み込んでいる。 「……膝に友達を乗せるのを?」 「うん。何だか仲良しそうに見えるだろう。羨ましくてね」  いや、まあ、やることあるけどね。席が足りないときとか、巫山戯ているときとか。  でも、と俺は前の席に座っている瀧居家を見た。それならば、瀧居家を相手にすればいいのに――と思って、即座に首を振る。瀧居家では無理だな。流石に香月に肩を並べられる身長の瀧居家ではサイズが大き過ぎる。 「もう、何だ。その、すまない……」  けれども瀧居家は俺のその視線を、何かを訴えているものと取ったようだ。表情を歪めると、珍しくも頭を軽く下げてくる。 「いや、いいんだけど。その、何か、あの、照れるね、これ」  俺の身長は166センチ。香月の正確な身長は知らないが、頭半分以上は香月の方が高い。だから香月にとっては、俺のサイズ感が丁度良さそうに見えたのだろう。しかもこちらは、部活を辞めてからというもの大分筋肉が落ちている。ひょろっこくなった身体。それも香月にとっては抱き心地が良さそうに見えたのかも知れない。  俺は自分の机に手を伸ばしてジュースを取った。ちゅるちゅると啜る。  ……クラスメイトの視線が痛い。  それはそうだ。あの香月である。学園の高嶺の花と称される王子様が、何の印象にも残らないモブ山モブ生を膝に乗せてご満悦でいるのだ。この構図に驚かない人間はそういまい。俺だって心臓が爆発しそうなのだ。とはいえ、香月の奇行は今に始まったことではないからだろう。俺の思考は心臓に反して冷静だった。  慣れって恐ろしいなあ。俺はのんびりとジュースを啜った。  そう、普通の友達付き合いに憧れがあるらしい香月は、偶に妙な動きをした。俺が食べているおやつをひと口欲しがったり、俺の機嫌が悪いのではないかと感じると手に触れてきたり……恐らく、それが香月にとっての『普通の友達付き合い』のイメージなのだ。確かに、そう考えてみると、上流階級に属する生徒たちは気安くお互いに触らない雰囲気がある。 「そのジュース、美味しいかい」香月が言った。 「うん。書いてあるほどレモンって感じはしないけど、美味しいよ」 「なら、私にもひと口」  肩越しに香月が頭を差し出してくる。  ひぃ。なんだか恥ずかしいぞ。  俺はジュースのパックを香月に差し出した。本田たち相手だと平気な行為も、香月が相手だと心臓が高鳴ってくる。きっとこの綺麗な顔立ちの所為だ。俺は紙パックジュースに口を付けている香月を横目で窺った。眉目秀麗などという言葉が薄っぺらく感じられるほどの美しさ。長い睫毛が麗しい。 「ちょっと、モブ山! 何してんの。俺の一生に!」  香月の横顔に見蕩れていると、男にしては少し高めな声が頭上から降ってきた。  聞き覚えのある声に俺は視線を上に向けた。やっぱり。二組の水無瀬川遥(みなせがわはるか)が、俺たちの目の前に立っている。  緩くカールを描く毛先に、くるりとした瞳。身長は俺よりも少し低くて、身体も俺よりほっそりとしている。最近は韓流ブームで男も化粧をすることが珍しくなくなったが、恐らく、水無瀬川も化粧をしているのではなかろうか。朱に染まった口唇はさくらんぼのようだ。 「あ、いや、俺がしてるんじゃなくて、俺がされてるところなんだけど」  俺は紙パックを香月の口から離した。香月は大分飲んだようだ。もう残りが少ししかない。 「いーや。君がしてるの。だって一生がこんな風に他人に触ることなんてないんだから。これだから普通の人間は困るよね。距離感が全くわかってない」  中等部の三年次で同じクラスだった水無瀬川は、場面は限られるものの、モブ山モブ生である俺にも声をかけてくれる気さくな人間だ。書家の父と華道の家元の母を持つ芸術畑の人間でもある。その性格は高飛車で繊細。良くは知らないのだが、香月とは家ぐるみの付き合いであるらしい。だからだろうか。香月と同じクラスになったときなどは四六時中彼にべったりで、俺たち一般生徒からは金魚の糞などと揶揄されていたりもした。 「大体、君、自分の立場わかってる? モブ山モブ生でしょ。それがちょっと一生に気に入られたからって馴れ馴れしい。いい? 今からとても大事なことを言うけれども、一生は俺のなの。わかった? 手を出すような真似はしないでよね」  うーん、困ったぞ。俺は水無瀬川にどう応えたものか悩んだ。  モブ山モブ生である自覚は俺には大いにある。大いにあるからこそ、その俺が香月一生という高嶺の花の傍にいることを面白く感じない人間が出るのも予想済みだ。しかし、こうも大勢の前ではっきりと宣言されるとは思っていなかった。  面倒で厄介な事態だぞ、これは。  これから先、同様の出来事が続く可能性だってある。なら、下手に返事をするよりも、香月から離れた方が水無瀬川を刺激せずに済むのではないか。うん、そうだ。そうしよう。そう考えた俺は香月の膝から腰を浮かせようとした。 「いいのだよ、奥山。このままで」  その俺の動きに気付いた香月が、俺の身体を抱き留める。 「良くはないでしょ」  俺は腰に回されている香月の手を剥がそうとした。ところがこれがぴくりとも動かない。俺は焦った。存外な力が込められている気がする。 「私がこうしたいと頼んだのだよ、遥」 「本当に? それだったら俺が幾らでも一生の膝に乗ってあげるのに」 「はは。面白い冗談を言うね。ところで何の用だい、遥」  一向に手の力を緩めてくれない香月に、俺は彼から離れるのを諦めた。香月の膝の上で成り行きを見守る。とはいえ、水無瀬川はそこまで深く俺に絡んでくる気はなさそうだ。というより、香月を話をし始めたことで、俺の存在に気を回す余裕がなくなったのだろう。「これ」と、一冊のハードカバー本を香月に差し出した。 「読み終わったからね。返そうと思って」 「どうせ日曜には会うというのに」 「顔が見たかったんだよね。だから感想は日曜に言うよ。じゃあ、それだけ……」  流石は上流階級の人間だけはある。水無瀬川を見事なまでに受け流してみせた香月に、俺は感心した。  そう、水無瀬川は癖のある人間だ。悪い奴ではないのだが、自分に正直に言葉を吐くものだから、誤解を受けることが少なくない。特に香月が絡むとそれが顕著になる。亘代が香月に突っ込んで行った入学式の件でもそうだ。「君の妹も君に似ておっちょこちょいなんだね。もう少し足元には気を付けさせた方がいいよ。一生の格が落ちる」などと、大真面目に忠告してきたぐらいだ。そう考えると、今日がこれだけで済んだことは、むしろ喜ぶべきことなのか知れない。  などと俺が思っていると、矢張りと言うべきか。これだけで終わらせるのは癪に障ったようだ。教室を出て行こうとしたところで水無瀬川がこちらを振り返る。 「ねえ、一生。付き合う相手は選んだ方がいいよ。それ、モブ山モブ生だってわかってる?」  それに対して香月はただ微笑んでみせただけだった。

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